楽譜のお勉強【25】アンデシュ・ヒルボリ『金管五重奏曲』
スウェーデンの作曲家アンデシュ・ヒルボリ(Anders Hillborg, b.1954)は明朗で活き活きとした音楽で人気を集める現代の作曲家です。特に管弦楽曲群のオーケストレーションが見事で北欧出身の指揮者がが現代作品をプログラムに組み込むときなどに頻繁に演奏される作曲家です。日本ではなかなか演奏会で聴く機会のない作曲家かもしれませんが、室内楽や声楽曲にも面白い作品が多いので、実現は不可能ではないでしょう。オーケストレーションの素晴らしさから、私もドイツ在住時には講義で何度か取り上げましたし、自分でも何曲か勉強しました。しかし「楽譜のお勉強【23】」で書いたニールセン同様、管弦楽以外の曲をあまり勉強してこなかった作曲家です。今回はジャンルとしても私があまり集中して勉強したことのない『金管五重奏曲』(»Brass Quintet«, 1998)を読んでいきます。
ヒルボリの『金管五重奏曲』の動画はYouTube上にたくさん上がっています。スコア付きのものもあるので一番下に載せておきます。しかし、スコア付きの動画はテンポが少しだけ作曲家の指示より遅く、細部を確認するには良いですが、曲が持つとんでもないドライブ感は薄れています。聴いていただきたいのは、この曲の委嘱団体でもあるスウェーディッシュ・チェンバー・ブラスの演奏です。この団の演奏は何パターンか動画、録音がありますが、以下のリンクのものはテンポが指示通りで、いかにこの作品が金管楽器の自然な発音性能を乗り越えていこうとするか足掻いている様子が聞こえて一番面白みを感じます。ただし、テンポ重視で自然な楽器の機能を越えようとしているので音の裏返りが数カ所聞こえてしまうのはライブならではのご愛嬌でしょう。
現代の作曲家の多くが楽器の特殊な奏法から出る新しい音色を自らの音楽に必要と考えています。古典的な楽器学や管弦楽法の授業で勉強するような響きだけでは新しい音楽表現を獲得するのに不自由と感じているようです。しかしヒルボリはそんな業界の流行には関心を示しません。ほとんど全ての彼の作品はごく古典的な楽音で考えられており、その組み合わせの妙によって新鮮な音楽表現を獲得しました。ヒルボリの作品ではアーティキュレーションが極めて重要で、とりわけほとんど正確な発音が不可能な高速の繰り返しが多くの作品で見られます。高速同音連打はモダンな作曲技法の古典とも言えるような方法で、古くはラヴェルの『スカルボ』等で独特の効果を生み出しましたし、ベリオやリゲティの作品でも割と見かける技法です。どの作曲家も違った音楽性を持っていて、音楽は似ていません。技法は音楽の内容の保証ではないことが分かります。ヒルボリも古典的な作曲技法を用いながら、彼独自の音楽を聞かせてくれます。
ヒルボリの『金管五重奏曲』は通常のアメリカ式の編成で書かれています。すなわち、トランペット2本、ホルン、トロンボーン、チューバです。楽譜を開くとまずテンポの速さに驚きます。BPM=126で16ビートで疾走する始まり方です。この速さで走狗を演奏する場合、金管楽器を含む多くの楽器で現実的なのは音階的なフレーズです。しかしヒルボリの曲は3度を繰り返して、上下に震えるパッセージです。一つの楽器に任せるのではなく、どんどん次の楽器に受け渡していきます。この高速の3度の発音は均一に鳴らすことも耳に届けることも難しく、楽譜ではシンプルな素朴な繰り返しに見えるのに、実際の音はずいぶんボコボコした印象です。しかしこのボコボコが面白みになっています。他の音源でよくある、いくらかテンポを落とした演奏ではこのボコボコ感がかなり軽減されます。発音する時間的余裕もあり、耳でも理解できるようになるからです。これは解釈に議論が分かれそうな箇所です。書かれた音構造のディテールをそのまま届けたいのか、それとも書かれた内容の意図はそのまま音が正しく鳴っている状態よりも先にあるのか。私の耳にはテンポ指示通りでディテールからは耳が置き去りになる演奏の方が生々しい迫力があって面白いのですが、これはそもそもゆっくり音を確認してじっくり音の構造を頭の中に叩き込んだ結果出る味だとも思うのです。テンポ通りの演奏が最も最近の2018年の演奏であることからも、「テンポでディテールをそれほど崩さずに吹けるようになるのに時間が必要だった」ような気もします。曲というのは再演を重ねて育っていくものだと感じました。
最初の2音からなるモチーフの受け渡しはしばらく続きますが、さまざまな変奏を含み、複雑に展開していきます。3度以外の音程も出てきますし、倍音構造上、指を変えなくて良い箇所はスラーにしたり、色々な表情のボコボコとした波立ちが聞こえます。時折咆哮するチューバの超低音バスも迫力があって、聞き応えがあります。トロンボーンとチューバによるバスのホケトゥス(1つの旋律を2つの声部に分けて一音一音交互に歌う/演奏する音楽)が始まり、交互にクレッシェンドを繰り返しながら、疾走する16分音符群と層を作ります。やがて16分音符6つで新たな拍を形成し、徐々に八分音符3つの同音連打へと失速しながら中間部に入ります。
中間部ではまた元の拍ユニット(四分音符)に戻りますが、複合拍子に変わるため、四分音符=126でも充分速かったのに付点四分音符=126になります。一拍に6個も入る16部音符は流石に音を動かしまくると発音の限界を超えます。ここは安定の同音連打になるのですが、それにしても速く、ダブルタンギングで何とかアーティキュレーションを施しているのですが、持続する音がドゥルドゥル言っているようで、奇妙な効果です。その後ちょっとしたコラールを含みつつ、冒頭のモチーフを用いた音楽の変奏を展開しておよそアーチ型のこの曲は終わります。
アメリカではブラス・シーンが大きく、金管五重奏のために書かれた曲も多いですが、それでも世界的に見ると木管五重奏団ほど多くの金管五重奏団はなさそうです。また吹奏楽に深く由来する編成なので、管弦楽の作曲家たちとシーンが遠いこともあり、作曲家があまり被りません。私は管弦楽畑の作曲家なので、中々金管五重奏とご縁がある気配がないのですが、実は金管楽器は2018年頃からかなり大切に書いているジャンルでいずれは金管五重奏も書いてみたいと思っています。
ヒルボリの楽譜は長年ペータース社から出版されており、私が所有している楽譜の多くもペータース社のものですが、現在はフェイバー社に作品の権利が移譲されて、ペータース社のカタログからは全作品が削除されています。ペータース社が販売していた全ての作品は販売されていないようで、手に入りにくくなったものがあるみたいで残念です。今後に期待します。
最後に、ヒルボリの作品の中でも私が特に大好きな合唱曲、『Muoayiyoum』の音源を上げて終わります。この演奏をしているラトヴィア放送合唱団は本当に素晴らしいです。
(ヒルボリの『金管五重奏曲』の楽譜付き音源)
(記事内で触れたニールセン『木管五重奏曲』の記事はこちら)
*「楽譜のお勉強」シリーズ記事では著作権保護期間を終えていない楽譜の譜例は載せておりません。
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