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楽譜のお勉強【79】トマス・デメンガ『蔦』

ひと昔前は作曲家とは音楽家のことであって、演奏も作曲も両方する人たちのことでした。昔から演奏家は作曲をする人よりもたくさん必要で、楽団の中にはある程度演奏のみを専門とする人もいました。ですが、作曲をする人が演奏をほとんどしなくてもよくなったのは近代以降です。今日では当たり前に見かけるようになった分業ですが、別に分業しなくてはならない理由はありません。私自身はほとんど演奏を人前でしなくなりましたが、演奏活動に積極的な作曲家の友人はたくさんいます。また、演奏中心に活動しながらも、精力的に作曲した音楽を発表し続けている演奏家もたくさんいます。トマス・デメンガ(Thomas Demenga, b.1954)は演奏と作曲の両方で世界的なレベルの活動を続けてきた音楽家です。チェリストの彼の作品にはやはりチェロ作品が多いですが、それ以外にも作品を残しています。今日はチェリストとしてのデメンガの力量が作曲にも存分に示された音楽として、『蔦』(»Efeu«, 2010)を読みたいと思います。

『蔦』は、エマヌエル・フォイアーマン・コンクール2010の課題曲として作曲されました。夭逝の天才チェリスト、フォイアーマン(Emanuel Feuermann, 1902-1942)の名を冠したコンクールの課題曲ということで、コンテスタントの技術を確認できるだけでなく、自由度の高い構成によって個々の音楽性も存分に味わうことができる曲になっています。また、古典的レパートリーでは用いられることのないプリパレーション(外的な小物道具等を用いて楽器に加工を施すこと)も出てくるので、新しい楽器表現への姿勢や音色の探究姿勢なども確認できる曲で、大いに課題曲らしい音楽であると言えるでしょう。

楽譜は基本的に無拍子で書かれていますが、一部、恒常的なパルスの流れが存在するような箇所では4/4拍子で書かれています。音楽はBbが徐々に聞こえてくる連打から開始します。この第2弦で演奏されるBbを残しつつ、1弦と3弦でハーモニクスを分散和音で奏するリフのような運動のパターンが作られます。このパターンは自由な頻度で繰り返し奏されるもので、ごくごくゆっくりと微細なクレッシェンドがかかっているため、演奏家の音響設計に対する取り組みを聞くことができます。ゆっくりと和音の構成音は変わっていきますが、長らくBbは固定です。Bbの呪縛から解放されると、旋律線はC#を目指してうつろいはじめ、彷徨きながらも最後はまたBbに帰結します。再び冒頭と同じBb連打になってから左手のピツィカートで短2度下のAが奏されます。最初はやや唐突に聞こえ、分離しているようにも思えますが、次第に頻度を増していくAと折り合いの良くトリルを構成し、不思議な差音を聞きながら最初の部分が終わります。

続く部分では、A-Bbを核にしながら、その辺縁の音を徐々に加えていって、モチーフの拡大を図ります。短いモチーフから、やや長さのあるメロディーまで拡大します。この後は少し、演奏家の技術の見せ場というか、コンテスタントの技術の確認みたいなエピソードが続きます。4音を押さえる重音のグリッサンドだったり、人工ハーモニクスを二つ組み合わせる重音だったり、アルペジオ状の旋律線にモルデントやトリルが細かく挟まっていたり、という具合に短い技巧的な場面が続きます。

やや長めの充実した技巧的セクションが終わったあと、5度の堆積から始まるコラールが奏されます。やがてコラールはトレモロで震えを伴いながら奏されつつ、駒の向こうで佇んでいた謎のペーパークリップをおもむろに手に取り、第2弦の駒から2センチほどの場所にクリップを設置します。この2弦にクリップを設置する間もコラールを途切れさせてはいけません。直前に大きな音程の重音が出てくるのですが、これは1弦と4弦を同時に演奏するものです。2弦と3弦を回避するために、弓は弦の上からではなく、通常の裏側から演奏されます。コラールが進行し、最後に1弦と4弦の開放音であるCとAになったところで、クリップを装着するので、音楽が途切れないのです。

プリパレーションされた第2弦は、まずピツィカートで音色の確認がされます。弦をクリップで挟むと、倍音へのさまざまな干渉を受けて、鐘のような太鼓のような不思議な音色になります。この弦の独特の響きを交えながら、ピツィカートと弓奏による二重奏が展開します。二重奏の最後の部分では、チェリストは歌い始め、三重奏になります。歌のパートは、とても低く書かれていますが、女性が演奏する場合は1オクターブ高く歌う指示があり、配慮されています。

このヴァーチャル三重奏に続いて、曲のまとめに入る前に短い挿入句のような楽節があります。2、3、4の弦を押さえ、三重音のピツィカートを演奏するのですが、グリッサンドで余韻を作っています。そしてこの余韻の作り方がかなりこだわっていて、個性的です。下の2つの弦はそのままグリッサンドしながら、はじいた音が消えるまで自然に消滅していきますが、歪な音色の2弦のみ、はじいてすぐに弓をフラウタンドで添えます。そしてほとんど圧力をかけずに余韻を弓奏でずっと伸ばすのです。実際に聞いてみるとかなり複雑な音響で、現代のいろいろなチェロの音楽でもあまり聞くことのない響きでした。最後は、第2弦を軸に据えた高速パッセージが演奏され、不安定な響きを残したまま余韻たっぷりに音楽は終わります。

演奏家であり作曲家である人物が書く音楽は、自身の楽器をよく活かしたものが多いです。それが強みなのですが、時には凡庸さにつながったりすることもあります。『蔦』の面白さは、作曲技法自体は短いモチーフを音程の展開を試みながら展開していく方法やゼクエンツによる旋律処理など、相当古典的であるのに、高度に楽器を修めたことから来る自由な楽器へのアプローチによって、とても新鮮な響きのモダンな音楽に昇華している点です。楽曲の作り込みは、まさに『蔦』が育っていって壁面を覆っていくような感覚を伝えていますし、シンプルながらも内容の濃い音楽でした。演奏は難しそうですが、無理難題があるというわけでもないため、演奏家は楽しそうだと思います。書き下ろし課題曲は、コンクールが終了すると途端に演奏されなくなる傾向が世界中であります。音楽的に充分な内容があれば、わざわざ練習した演奏家は自身のレパートリーに残しても良さそうなものですが、コンクール中に何度も執拗に演奏される音楽は飽きられるのも早いのでしょうか。デメンガの『蔦』は、コンクールが終わったら捨てられた音楽というわけではなく、今回ご紹介した動画も2年前のものです。コンクール課題曲の呪縛を一つ振り払った作品で、嬉しく思いました。

*「楽譜のお勉強」シリーズ記事では、著作権保護期間中の作品の楽譜の画像を載せていません。ご了承ください。


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