見出し画像

楽譜のお勉強【58】フレデリック・デュリュー『マージュIV』

フレデリック・デュリュー(Frédéric Durieux, b.1959)は、現代フランスを代表する作曲家の一人です。パリ国立高等音楽院の分析クラスで長年教鞭を執り、現在は作曲科教授を務めています。日本の作曲家にも彼の弟子がいます。べツィ・ジョラスやイヴォ・マレツといった手堅い作曲家に師事し、聴取による記憶を促すしっかりした構成の堅実な作風を見せますが、グリゼイ、デュフール、ミュライユといったスペクトル楽派の作曲家にも師事し、響きの細部まで入念に神経を尖らせて完成度を高める作曲姿勢が魅力的です。

私がデュリューの音楽を初めて聞いたのは10代の終わりでした。Adèsというフランスの音楽レーベルから作品集CDが出ており、『So schnell, zu früh(とても速く、あまりにも早く)』、『Devenir(なる)』、『Là, au-delà(その向こうへ)』という3曲が収められていました。10代の頃はドイツの現代音楽よりもフランスの現代音楽に興味を持っていたのですぐに購入して聴きました。当時私は無調の音楽の聴取の難しさに少しつまずき、どのようにして自分の作品に聴取の方向性を持たせたら良いか考えあぐねていたのですが、このCDに収められた作品は一つの指針のように聞こえました。同じ和音や音型が何度も現れるけれども、繰り返しという感じはなく、音楽に心地よい偏重が認められると感じたのです。どのように作曲してあるのか興味を持ち、いくつかデュリューの楽譜を求めました。その中の一つがピアノ独奏曲『マージュIV』(«Marges IV» pour piano, 1992)です。「Marges」とは「余白」というような意味です。当時の私は、今は弾かなくなったピアノを頑張って練習しており、デュリューのピアノ曲を弾いてみたいという野心もありました。「楽譜のお勉強」では普段私があまり読んでこなかった楽譜を読んでいくのですが、本日はどの楽譜を読むか本棚をゴソゴソしているときに手に取った『マージュIV』が無性に懐かしく、再び読んでみたら昔と違う発見があるかもしれないと思い、この作品にしました。私の記事では著作人格権保護期間中の作品の譜例を載せておりませんので、お見せできないのが残念ですが、楽譜には指使いが「ああでもないこうでもない」と書き込んであり、頑張って練習した跡が見て取れます。

改めて読んで、結論から言えば、10代の頃よりはスッキリとした意図が透けて見えるようになっており、読譜がスムーズでした。特に後半の絡れるような装飾音の応酬は、昔はリズム的にどのように細かい連符の中に差し込んで良いのか分からず、曲後半の練習を断念するほどのものでしたが、今読むと普通に歌えるリズムで少し驚きました。曲全体は細かな部分にたくさん分かれているのですが、とても大きな括りで見れば2つの部分で出来ているように見えます。1小節目から176小節目と、177小節から最後(275小節)までです。

まず最初に最低音域が無音でソステヌート・ペダルによって保持され、倍音構成を示すように和音が鳴ります。その次の2小節目から音楽が本格的に開始します。最初の176小節は様々なテンポが入り乱れて、テンポごとに明確に打ち出された楽想が断片的に次々に並べられていきます。様々なテンポとは、Flexible, rubato(BPM=126)、Stable(BPM=116)、Saccadé(BPM=120)、Fluide(BPM=88)、Vif, mobile(BPM=112)、Vif(BPM=120)そして例外的にテンポ・ルバートの小節が1小節出てきます。セクションの終わりはSuspendu (senza tempo)となっていて、和音が長く伸びています。さて、注目したいことがいくつかあります。まず、88を除いてテンポ帯が非常に近いものが並んでいること。そしてSaccadé(ぎくしゃくした)とVif(活気のある)に関しては速さの指定が一緒です。この2つのテンポ表記は、それぞれの箇所の楽想の違いから来るものです。Saccadéでは長2度もしくは短3度の16分音符が点描的にスタッカートで演奏され、Vifではより複雑な和音が16分音符で演奏されつつ間に三連符の16分音符による単音の跳躍音型が混ざってくるという楽想になっています。ただし音楽の進行とともにどちらも展開し、より複雑な連符によるレガートが挟まってきて、違いが分かりにくくなっていきます。最も支配的なのはFlexible, rubato(柔軟に、自由に)の部分です(本来rubatoは「盗まれた」というような意味ですが、転じてテンポが盗まれた状態、つまり自由なテンポという楽語として用いられます)。基本的に単声で、幅広い音域を駆け巡るアルペジオで書かれています。音程関係も右手と左手で関わりが強く、たとえば最初左手がD-G#-C#という無調の有名な和音を弾き、その後長9度上のE-Bb-EbをE-Eb-Bbの順で弾きます。このように右手と左手が同じ和音や似たような構成の和音を様々な組み合わせで駆け抜けていき、音数も少しずつ増殖してはまたシンプルな和音に戻りというようなことを繰り返して、ピアノ全体に広がる響きのカーペットを織っていくのです。この部分が最初に途切れた箇所でStable(安定して)の楽想が現れます。長7度の不協和音程による擬似ユニゾンで跳躍する下行の動きを中心とした滑らかなフレーズを歌います。そして先ほどのSaccadé。このようにテンポごとに設定された楽想が次々に入れ替わりたち変わり交替していきます。一際異彩を放つ8分音符=88のFluide(流動的に)は、実は一番テンポが速いパッセージです。断続的な音階の動きを組み合わせたようなパッセージが多く、64分音符で一気に駆け抜けます。

176小節で音楽が一旦休止した後、177小節から(動画の約4:30あたり)は全く違った表情の音楽が始まります。四分音符によるコラール調で始まりますが、細かく装飾音が付けられていて、その装飾音の順番によって、高声だけでなく内声や低声に旋律線を移しながらゆったりと推移します。しかしコラールは次第に細かくなっていき、装飾音の数も増えてきたところで、5連符や7連符の旋律線を非常に複雑な装飾音が絡まっていくアラベスク模様の音楽へと発展していきます。どんどん音価が細かくなっていって、加速していくのですが、その先には和音のトレモロが待っています。和音のトレモロの合間に単声による疾走句がどんどん挟み込まれていき、前半部分との親和性を増していきます。そもそも和音素材自体が前半で用いられているものを中心に扱っているので、響きの系統は似ているのです。後半部分では同じ和音が何度も現れるという意味で、より聴取の方向性を具体的に定めているのですが、とてもバランス感覚がよく、繰り返しにはなっていません。このような耳の導き方があるのだと若い頃の自分は積極的にその書法を取り入れたのを思い出しました。

この作品の録音をYouTubeで探したところ、知り合いの作曲家、ディディエ・ロテラの演奏がありました。彼のことを作曲家としてしか知らなかったので、素晴らしいピアノの演奏に驚きました。彼の作品も美しいので、チャンネルからロテラの作品も聞いてみていただければ嬉しいです。

作曲活動、執筆活動のサポートをしていただけると励みになります。よろしくお願いいたします。