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楽譜のお勉強【59】アルド・クレメンティ『ピアノと7つの楽器のための協奏曲』

アルド・クレメンティ(Aldo Clementi, 1925-2011)はイタリア、シチリア島のカターニアに生まれ、イタリア国内を中心に活躍した作曲家です。有名な古典派の作曲家にムツィオ・クレメンティがおり、西洋クラシック音楽界で「クレメンティ」と言うと、そちらを指すことが多いのですが、アルド・クレメンティも著名で優れた作曲家です。長いキャリアの中で着実にファンを増やし、色々な国で作品が演奏されるようになりました。日本でも過去に数回、特集コンサートが開催されています。アメリカやスイスの有名な現代音楽CDレーベルから作品集がいくつも出ており、比較的多くの作品を簡単に聞くことができます。音数が少なく、非常にシンプルな見た目の楽譜を書くことが多いことからか、イギリスの評論家ポール・グリフィスは彼の音楽を「アレクサンドリア(文化)風の単純性で、現代の音楽における混乱に対する彼なりの解決」と評しました。しかし逆に作曲家自身は単純な音楽と考えていなかったようで、自らの音楽を「極めて緻密な対位法で、声部の細部を聞き取ることのできない『恥ずべき』役割へと降格させた微生物の死骸のようなもの」と表現しています。「恥ずべき(shameful)」と語るあたりが、古典的に良いとされる対位法声部の役割に対する皮肉のように思えます。クレメンティは聴き方によって十分に複雑と感じることも、とてもシンプルと感じることもできる不思議な音楽を書きました。

先述の通り、クレメンティの楽譜の見た目はとてもシンプルで余白が目立つことが多いです。ただし、読譜が簡単だということではなくて、書かれた音符を作品ごとに決められたルールに基づいて慎重に読んで解釈をする必要があります。そのような興味深い読譜を求められる作品の中から、本日は『ピアノと7つの楽器のための協奏曲』(»Concerto per pianoforte e sette strumenti«, 1970)を読んでみたいと思います。

楽譜を開くとまず説明書きのページがあります。これを飛ばして譜面の始まりのページを見ると、数少ない音符がページ全体に散っていて、読み方がよくわかりません。譜面のフォーマットと説明書きを対応させて、読み方を確認していきます。まず、楽器編成が書いてあります。ピアノのほか、3つのヴィオラ(もしくはホルン、ファゴット、トランペット)と、ホルン、ファゴット、トランペット(もしくはヴィオラ3つ)による6重奏、そして電子ハルモニウム(ハルモニウムは小型のリード・オルガン)が必要です。譜面のページを改めて確認してみると、12段のスコアです。上から、ピアノ(右手3段、左手3段)、ホルン、トランペット、ファゴット、ヴィオラ1、ヴィオラ2、ヴィオラ3となっています。ハルモニウムが書いてありません。ピアノ以外の楽器の段に音部記号が書かれていません(ピアノは最初のページのみ書かれている)。色々と特殊な楽譜のようです。ハルモニウムはAb3からB4の半音階トーン・クラスターを曲の最初から最後までほとんど聞こえない音量で鳴らし続ける指示があります。手で弾く必要がないので、気の棒などの錘で押さえ続けることを推奨しています。ピアノ以外の楽器の音部記号は全てト音記号の実音記譜で解釈するように指示してあります。通常実音記譜のト音記号で演奏用楽譜を記譜しない楽器が多いため、パート譜とスコアの見た目は随分変わっていそうです。また、ピアノ以外の全ての楽器はpppのごくごく弱奏で演奏します。

スコアの書き方としては12段全てが2声で書かれています。音は打点しか書かれていないのですが、符尾(音符から伸びている棒)が上向き、もしくは下向きに伸びています。書かれている音が全音符であっても、便宜上符尾を付けています。読み方が極めて特殊で、上声もしくは下声の任意の声部を持続音とし、もう片方の声部をごく短い音価とします(ピアノは少しルールが違うので後述)。持続する声部は同声部内の次の音に到達するまで音を伸ばします。その伸ばしている間にもう片方の声部の音がある場合は、一瞬その音に移り、そこから再び元の伸ばしていた音に戻って伸ばし続けます。上声を持続させるか下声を持続させるかで音楽のあり方が12声部の組み合わせに波及しているので、演奏ごとに曲は姿を変えます。しかし曲全体の流れはリズムの設計によって失われることはなく、抽象的で静的な音のあり方もあって、同一の曲と認めるのは難しくないでしょう。

ピアノは一人、もしくは連弾で6段を担当するので、つまるところ12声を弾くことになります。ただし、打点が同時である音がほとんどなく、一人で弾く場合も演奏が可能です。一人で演奏する場合は曲の最初から最後までペダルを踏み続ける指示があります。連弾で演奏する場合は、ペダルは用いません。ピアノは4つ音域に分けられており、連弾で演奏する場合、右手パートと左手パートを各ピアニストが受け持つことになります。音域は低い方から、C#2-C3、Eb3-D4、F4-E5、G5-F#6となっています。ただし、演奏される音高は厳密には違っていて、特殊な調弦を求められています。低音域から4つのグループはそれぞれA、B、C、Dと名付けられており、Aグループ音域は四分音低く、Bグループ音域はコンサート・ピッチと四分音の間の低さ、Cグループ音域はコンサート・ピッチと四分音の間の高さ、Dグループは四分音高く調律されます。さらに、4グループのうち3つは、音域ごとに異なる方法でプリパレーション(弦の上にものを置いたり、間に物を挟んだりして音色を変える技法)されます。プリパレーションはピアノの響きを止めない程度の内容を施す注意が必要です。紙を挟んだり、ラップで巻いたりするくらいの感覚でしょうか。

他の楽器と違って、ピアノでは強弱もルールがあります。mf、p、pppを演奏者が振り分けるのですが、振り分け方は以下の通りです。右手3段のうち、上段は音域グループD、下段は音域グループCを演奏します。中段はCとDのどちらの音も現れます。中段ではさらに、上段音域グループの音は上声部、下段音域グループの音は下声部と決められています。つまり、各音高につき、上段上声、上段下声、中段上声(もしくは下段上声、下段下声、中段下声)という3つの同音の可能性があるのです。そのそれぞれに演奏者が決まった強度を割り当てるのです。例えばG5について上段上声はmf、上段下声はppp、中段上声はpといった具合です。ルールを覚えてそのまま弾くことはほとんど不可能なため、演奏家が各自書き込みをした自分のバージョンを前もって用意する必要があります。セリエリズムの考え方からの強い影響が伺えます。各音域も12音からなっていますし。ただ、音高の繰り返しは多く、音列技法ということでもなさそうです。左手パートにも同様のルールが適用されます。

最後にリズムの記譜ですが、テンポ・モデュレーションにグラデーションを施した手法が使われており、演奏には極めて緻密な指揮が求められます。小節をユニットとして、ターナリー(3分割)とバイナリー(2分割)によるリズムがセクションごとに前述のリズムから求められ、加速と減速が構成されます。例えば冒頭は2/1拍子なのですが、小節全体が3分割(三連符)なので、三拍子として指揮を振ります。これが8小節続くと、2/2拍子が現れます。新たな拍子で2分割された箇所では二拍子として指揮を振るのですが、このバイナリー拍子の拍は前述の小節を3分割した三連符の全音符一つ分より少し早いです。前出のターナリー・リズムの拍を後続のバイナリー・リズムの拍と同じになるようにゆっくりじわじわと加速しながら指揮します。2/2のバイナリー・リズムで9小節演奏すると、拍子は変わらずに2/2の小節全体が三連符になります。やはりこの三連符の二分音符1つ分に到達するようにゆっくりと加速するのです。さらにこの三連符が2/4拍子のバイナリーを導き、という具合でどんどんと音楽が密度を増していき、加速するのですが、2/8のターナリーに到達してからは同じルールを逆で辿って減速していきます。このプロセスの交代が音楽を織っていきます。極めて緩やかな音の疎密による優しい点描画のようです。

楽譜が驚くほど白いのですが、演奏には極度の緊張感を強いることは間違いありません。クレメンティ自身が表現した自らの音楽の特徴はやはり的確です。この『協奏曲』の楽譜上は古典的な意味での対位法的特徴をほとんど見出せませんが、驚くほど緻密に計画された対位法的楽曲です。繊細な特殊調弦の響きや滲む弱奏の楽器群、背後に佇むハルモニウムの空気、全てが溶け合って特別な時間を作っている音楽です。

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