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楽譜のお勉強【22】ベルント・フランケ『ブルーグリーン』

以前ロカテッリの『コンチェルト・グロッソ』(合奏協奏曲と訳されることが多いです)について書きました(楽譜のお勉強【11】)。複数の独奏楽器群と合奏体によって演奏される協奏曲の一種で、独奏楽器群は個々で主張するというよりも、一つの有機体として機能するものです。現代にも合奏協奏曲と題される曲は時折作曲されている旨も書きました。今回読んでいくベルント・フランケの『ブルーグリーン』は、サックス四重奏(ソプラノ、アルト、テナー、バリトンの4種サックスによる四重奏)と管弦楽のための作品で一種の合奏協奏曲と言えます。バロックの合奏協奏曲と後期古典派以降の複数の独奏楽器群を伴う協奏曲にはもちろん違いがあります。バロック音楽でのリピエーノ(合奏)はコンチェルティーノとの協奏よりも響きの補強の要素が強い曲が非常にしばしば見られますが、後期古典派以降では独奏楽器による協奏曲の思考的影響が強く、協奏の要素が強くなります。オーケストラ内の独奏楽器群に含まれる同族楽器たちが独奏楽器の声部をなぞる書法は減り、独奏楽器群と管弦楽のトゥッティ(合奏)では主声部と伴奏(乱暴な言い方ですが)のような関係を作る書法が多くなってくるのです。現代の作曲家は、ロマン派の作曲家に比べ古楽に対する関心が強い人が多い印象があります。現代に書かれる独奏楽器群と管弦楽のための作品は、1)古楽の合奏協奏曲の在り方を捉え直したもの、2)古典は以降の独奏協奏曲を拡大解釈したもの、3)独奏楽器と合奏という関係性を全く違ったアプローチで考えたもの、それらの組み合わせのスペクトルのどこかにあるという感じです。純粋に1)か2)に当て嵌まる曲は少なめで、とくに1)に当て嵌まるものは逆に実験的で珍しいと思います(バロック音楽の書法を完全に模倣して新しい作品を書く作曲家たちを除く)。3)は2)の延長上にあるアプローチのものもありますが、完全に実験的な作品にも見られます。フランケのアプローチはどのようなものでしょうか。

ベルント・フランケ(Bernd Franke, b.1959)はライプツィヒで学んだドイツの作曲家です。ライプツィヒ・メンデルスゾーン音楽大学等で教鞭を執った後、現在はライプツィヒ大学の教授を務めています。日本では頻繁に演奏される作曲家ではありませんが、2021年5月14日に能の謡のための新作が能声楽家の青木涼子さんの演奏会で初演される予定です。新規感染者を急速に抑えこむことに何とか成功して緊急事態宣言が無事に開けていることを願っています。

サックス四重奏とオーケストラのための『ブルーグリーン』(»BlueGreen«, 2004)はキール・フィルハーモニー管弦楽団の委嘱で作曲され、ラッシャー・サックス四重奏団と委嘱主である管弦楽団によって初演されました。曲はラッシャー・サックス四重奏団に捧げられています。

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楽譜を開くと楽曲解説が面白い形で書かれています。架空のインタビュアーによるインタビューに作曲家が答えるという形で長文インタビューが載っています。抄訳してみました。

・どのようにこの奇妙なタイトルを思いついたのですか?なぜファッショナブルに英語なのですか?
「一部の作曲家にとって、タイトルは重要で道標ですが、ある作曲家にとってはタイトルは気になるものではなく、単に必要なものです。私にとっては、道標の変種が見つかる可能性が高くなるものです。私のタイトルの多くは、英国びいき(な文化)の影響を受けています。原因はさまざまです。最初の音楽体験時のポップミュージックとジャズの重大な形成的影響(父が50年代にビッグバンドを率いて、グレンミラーの音楽を演奏していたなど)、また時折必要になる自身の言語と文化との距離の取り方を外国のパッケージの助けを借りて試みたり、そしてもちろん非常にプライベートで個人的な気まぐれもあります。
青と緑、これらは単に私のお気に入りの色です。それらは連想的な気分の中で何らかの決断を促し、スケッチでの予備的な構成作業で2つのコントラストを示す要素につながりました。
パルス/エネルギー/噴火するような構造、それに対して線/装飾/楽器による歌…私自身の音楽の世界で私にとって2つの重要なことです。」

・あなたはサックスが好きですか?サックス・カルテットとオーケストラのための作曲をどのように思いつきますか?
「もちろん私はこの楽器が好きで、クラシックでもジャズでもありです。外的な理由はとしては有名なラッシャー・サックス四重奏団のブルース・ヴァインベルガーからの新しい協奏曲のリクエストがあり、現実的にはキールの音楽監督ゲオルク・フリッチュから具体的な注文が来たので書きました。
すでに述べたように、私の父はジャズ・ミュージシャンであり、1950年代にヴュルツブルクでトロンボーンを学びました。彼のジャズバンドに加えて、長年にわたっていくつかの吹奏楽団を指揮していましたが、私の祖父は古典的なヴァイオリニストかつヴィオリストであり、クラリネットも演奏もしていました。
子供の頃、最初のレコード体験を今でもはっきりと覚えています。最初の音楽体験をしたとき、最初の楽器を試してみました(ちなみに、ハーモニカでした。)エグモント序曲を聞いて、グレン・ミラーの「In the mood」を数え切れないほど聴きました。ベートーベンと交互に聞いたのです(その時私は多分6歳か7歳でした)。
数十年後の2002年11月に、12本のサックスのための作品、ラッシャー・サックスオーケストラのための『ラッシャー・ファンファーレ』が書かれました。」

・先ほどパルスとラインについてお話を伺いましたが、どのように素材が扱われたのか、リスナーはどう聞けばよいですか?
「私は先ほど他の2つの重要な要素を伝え忘れました。ホモフォニー/ヘテロフォニーと旋法性です。
数年間、私はアジア諸国(インドネシアとインドも含む)を集中的に旅行してきました。これらの旅行の非常に多面的な印象を通して、私は自分の音楽性(だけではありませんが)の過去を非常に深く顧みました。自分のヨーロッパの伝統、現在まで続く19世紀のシンフォニーオーケストラ支配、素材や音そして調律システムの取り扱い、音楽家それ自体の理解、私たち自身の旋法の伝統と忘れられた即興の遺産といった事柄についてです。
私にとって、これらすべてが必然的に音楽的理解の2つの基礎につながりました。それは、パルスと線、リズムのエネルギーと楽器による歌です。」

・特定の音楽の形式を使用しましたか?
「『ブルーグリーン』は7つの部分に分かれており、プロローグとエピローグを伴う5つの楽章から成ります。
プロローグとエピローグは独奏チェロとハープで演奏されます。これら2つの断続的で繊細な楽器は、オーケストラ内ではなく、聴衆の後ろまたは隣に配置されます。作品、オーケストラ、観客に対する反抗要素ですが、同時に曲の最初と最後を橋のように繋いでいます。
チェロ独奏はまた、刺激し、エネルギッシュな衝動(文字通りの、そして音響的な意味で)を与え、物事に「役割」を与えます。
第1、3、5楽章は、テンポ感、パルス、リズムのエネルギーに属します。
中間の第2と第4楽章はかなり静かで、内向的で、歌のようで、線形で、ヘテロフォニックです。
独奏チェロとハープとオーケストラが演奏する間にもその内部でコミュニケーションを取っています。これは、すでに冒頭で用いられた素材が、後で第2楽章に再び登場し、変奏されるているのです。」

・サックス・カルテットをどのように扱いましたか?サックス・パートは非常に名技的ですか?
「サックス・パートは確かに簡単ではありませんが、私は世界で最高のカルテットの一つである団に作曲していることを知っていました!
独奏楽器群は分割されることもあれば、単一の強力な声部のように同音で一致して演奏されることもあります(オーケストラから「身を守る」ためとも言えますか?)。第2楽章の初めにソプラノとテナーサックスのデュエットがあり、第4楽章にはアルトサックスとバリトンサックスの「遊戯」があります。
時々、個々のソロ・サックス間やカルテットとオーケストラの間にもエネルギーフィールドが発生し、「新鮮な空気の息吹」、挑発、情報交換が起こります。」

・今一番よく聴く音楽は何ですか?
「最近は、レバノンのミュージシャンで作曲家のMohamoud TurkmaniによるCDを(ほとんど)中断なく再生しています(『zakira』)。 ヨーロッパとアラブの音楽の非常に興味深い出会い!」

・あなたの次のプロジェクトは何ですか?
「(省略)」


最後の2004年時の宣伝は訳しませんでした。ここまで細かく楽曲解説を出版譜に載せる作曲家は多くありません。作曲家の意向を大事に考える音楽家にとっては取り組みやすそうです。詳細を読まずにパラパラと楽譜をめくった時に目に付く特徴の多くは、上述の解説インタビューで紹介されています。例えば特徴的なチェロ独奏とハープ独奏による二重奏から曲が始まり、曲の閉じ方も同様である構成ですが、サックス四重奏が独奏者として迎えられる協奏曲で他の重要なソロを空間配置も工夫して立てるというのは個性的です。舞台上の独奏者(群)と管弦楽の関係性という協奏曲の形態に新たな視点を加えるものとも言えます。

管弦楽は通常の2管編成(2.2.2.2.-4.3.3.1.-Hp, Solo-Vc-Timp, 3 Perc-Solo SaxQ-12.10.8.6.4)で、総譜はCスコア(移調楽器の移調記譜を伴わないスコア形態)で、作曲者の手書きのままで出版されています。フランケの手書き楽譜は小節線以外がフリーハンドで、かなり読みにくいと言わざるを得ません。音符は明瞭に書かれていますが、とにかく小さいですし、符拘を太く塗ってくれているわけでもありません。解読に根気が要りそうだと感じましたが、読み始めてみると、思考の手順が明瞭で、難しい音楽ではなかったので、思ったよりもスムーズに読むことが出来ました。手書きで音数の多いスコアは、実際の音楽以上に作品の正体を隠して複雑に見せてしまうこともよくあるので、注意が必要と感じています。

全部をしっかり読んで言葉にすると長くなるので、第1楽章を中心に書いてみたいと思います。独奏チェロとハープのイントロから地続きで、チェロが続けている不均等なパルスをサックス四重奏が引き受けて、より固い響きで呼応するところから始まります。四重奏の各奏者はそれぞれのタイミングでスラップ音による複合パルス帯を構成します。個々に短い休止(1から2秒で任意の長さ)が割り当てられていて、複雑なアンサンブルがなく、複雑なリズム構造が現れるのが効果的です。独奏チェロはビートを消失させていき、徐々にパルス帯とは無関係な持続音や線を描くようになりますが、四重奏はパルスを刻み続け、そこにまず弦楽器群が加わります。ピツィカートによるパルス、疾走するパッセージ、上行グリッサンドの反復等、短い特徴的な要素を全員でバラバラのタイミングで演奏します。交替で管楽器群がサックス四重奏を模倣する音群を演奏します。四重奏はパルスが成長して音に動きが出てきます。さらに細かい音のパッセージを演奏します。管楽器群の模倣はかなり厳密で、しかも四重奏とほぼ同時のタイミングで始まることもあって、冒頭に述べた合奏協奏曲の特徴にかなり正確に当て嵌まっていると言えます。サックス四重奏が全合奏で短い音型を奏するタイミングで再び独奏チェロとハープが演奏を開始しますが(ハープは数音のみ)、独奏チェロに呼応するように舞台上のオーケストラのチェロの第1奏者が遅れて模倣します。厳密なカノンで、強弱の変更もなくどちらも強奏なのですが、地理的な距離のために聴衆にはエコーとして聞こえるはずです。特殊な配置を活かす配慮がしっかり計画されています。ちなみにイントロ部分も独奏チェロに呼応して舞台チェロ(合奏)が後半で演奏するのですが、楽曲全体でこのような「契機」となるような役割を持った楽器が演奏すべきマテリアルを提示し、管弦楽全体で伏線を回収していくような書法が取られています。

離れた場所のチェロ二重奏が続く中、ほとんど吹奏楽よ呼んで差し支えないような管楽器群のコラールが奏されます。時折弦楽器群もピツィカートで色づけをしていますが、構造上のアクセントほどの役割です。スコア9ページ目からは突然リズム・マシーンのような16ビートをデコボコに管楽器群と打楽器群が走っていく音楽が始まります。そのリズム体に乗ってサックス四重奏が再び演奏に参加、ここでは下行音形の反復を繰り返します。入るタイミングは合わせていたり、自由にずらされていたりして、なかなかトリッキーなアンサンブルになっています。ここでは主体となるオーケストラの音楽にヴィルトゥオーゾな疾走楽節で応対する独奏者たちという図式がはっきりと聴き取れるので、後期古典派以降のソロ協奏曲の要素が強いです。ところがしばらくこの形態が続くと、フルート、オーボエ、クラリネットがサックスたちに加わって正確な模倣を始めます。突然独奏楽器群のパワーが上がったような効果があって、合奏協奏曲とソロ協奏曲の面白みが混ざりあっているような状態が生まれます。

音の選定の仕方にこれまで言及していませんが、これは私の癖で、自分が聞いているものが何なのかを考えるときに、しばしば音の並び以外から特徴を見抜こうとしてしまうからです。実際に『ブルーグリーン』は、様々な協奏曲の形態への洞察が柔軟にクロスオーバーしていく構造を持っていて、また場外の発音点(チェロとハープ)など、協奏曲に備わっていたら対比を強調して面白そうな仕掛けもあって、実にワクワクしながら聞きました。音の選び方については、フランケ自身が語ったように旋法的で時にジャズのイディオムも含むものです。今日の新しい音楽にしばしば見られる複雑な音高操作はあまりなく、作曲者の耳のアプローチを私たちの耳も自然に追体験するでしょう。

私個人のお仕事の話になりますが、2020年から2021年にかけて私はピアノと管弦楽のための協奏的な作品『ヒュポムネーマタ』(「覚書」とか「注釈」ほどの意)を作曲しました。これは私にとって初めての協奏曲です(若い頃の未発表作品を除く)。現在の先進国でのオーケストラ団員はほとんどが十分に修練を積んだヴィルトゥオーゾですし、オーケストラの音楽に独奏者が必要な理由を考える必要がありました。一人の音楽家が大人数の音楽家よりも目立って、最も大きな責任を負っていることが正当化される理由のある音楽。もちろんスター演奏家の音楽性や名技性を味わうこと自体が善き理由とも思っていますが、それだけでは複雑で大きな媒体であるオーケストラ・パートを作曲しきる動機付けが私には難しいのです。初演は2021年8月にサントリー・ホールで椎野伸一さんのピアノ、新日本フィルハーモニー管弦楽団によって行われる予定です。個人的には、独奏楽器がいることの意味が重く、問いも含んだ作品を書いたと思っていますので、初演を楽しみに待ちたいと思います。協奏曲というジャンルに想いが強くなっている今、いろいろな協奏曲を読もうと思ってフランケの『ブルーグリーン』を聞いたのでした。

*文中で触れた「楽譜のお勉強【11】」はこちら


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