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作曲家としてデビューした話

中学校、高校の頃、漫画と音楽が大好きでした。もちろん現在も両方好きですが、音楽を仕事にするようになったので、心の距離感は音楽と漫画で大分変わりました。今の私は音楽に対しては計り知れない執念のような拘りがありますが、漫画とは気楽に付き合っています。高校の頃は文化部の兼部が可能であったため、合唱部と漫画研究部に所属していました。プライベートでは作曲のレッスン(主に和声学とかですが)を受け始めていましたが、実は漫画も並行して描いていて、漫画雑誌に投稿したこともありました。それと同時に、高校で合唱に出会った私は、自らが慣れ親しんだピアノという楽器を中心とした作曲から、合唱作曲への関心も高めたのです。似たような比重で好んでいた2つのジャンルですが、漫画から離れることを決め、音楽の道に邁進するきっかけとなった頃のエピソードをお話します。

合唱部が利用していた高校の音楽室にはたくさんの合唱作品の楽譜が置いてありました。休憩時間にそれらを読みながら下手なピアノで音を確認して、いろいろな合唱音楽の魅力を感じていました。その中に神奈川県合唱曲作曲コンクール入選曲集という楽譜が何冊かありました。どうやら毎年公募が出ているコンクールのようで、年度ごとの曲集が神奈川県から発行されていたのでした。高校2年生の時(1994年)、漫画を投稿することを決めた私は同じように作曲コンクールへの出品も決意します。そこで作曲した作品が『紙の厚さに 作品24』です。混声四部合唱(声部内分割含む)とピアノのための曲です。通っていた高校の国語教師が歌人の亞川マス子先生であった影響で短歌を面白いと感じており、先生の歌集『レタスの苗』から選んだいくつかの短歌を歌詞として使用させていただきました。またその頃は、実は初めて漫画の投稿をしてしっかり落選した時期でしたが、そこは若さというか、怖いものがまだ少なく、始めての作曲コンクール参加でも「これは通るんじゃないか」と気楽に構えていたのです。そしてそのビギナーズ・ラックが何故か実を結ぶことになるのです。

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(亞川マス子著『デュカスの馬』と『レタスの苗』砂小屋書房)

ある日、神奈川県の職員から電話連絡を受けました。それが第18回合唱曲作曲コンクールの第2位に入賞したとの連絡でした。電話のそばで聞いていた母親と飛び上がって喜んだのを思い出します。このコンクールの最上位入賞曲は神奈川県合唱フェスティバルという演奏会で初演されることが決まっており、第18回は第1位の受賞がなかったため、同率2位だった作曲家・笙奏者の真鍋尚之さんの作品『みどり色の蛇』と私の作品が両方1995年二月のコンサートで演奏されることになりました。神奈川県の地方新聞や教育委員会からインタビューを受けたり、初演してくださった合唱団リベルテのリハーサルに参加しながら充実して過ごし、ふわふわと現実味なく当日を迎えました。初演に先立ち、フェスティバルでは神奈川県の実力派アマチュア合唱団が様々な曲を演奏して、演奏会としてとても楽しく聴きました。そして表彰式があり、審査員のお一人であった中田喜直先生から講評をいただきました(他の審査員は間宮芳生先生、林光先生、関谷晋先生でした)。中田先生は発行された曲集にも講評を書いていらっしゃったので、私の曲に関する講評部分を少しご紹介します。

「今年の最高位の作品「紙の厚さに」の作曲者はまだ16歳で、これはとてもすごい才能だと思います。この若さでこれだけの曲を書く力は稀有のものですが、その若さの大胆さが少し危ない感じで、紙の上だけの作曲ではないか、と思われる箇所がいくつかあって、それが第1位にできない理由でした。」

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(神奈川県合唱フェスティバル・プログラム)

プロの作曲家から「稀有の力」と評されたことが嬉しく、私が漫画の道は捨てるきっかけになりました。この受賞がきっかけで私はどんどん作曲に没頭していきます。しかし、講評の後半部分に書かれている「危ない筆」という意味の箇所に審査員の先生方が見破った重い真実が隠れており、この後書けども書けども発表の機会がほとんど得られないまま10年ほどを過ごすことになることは、この時点の私はまだ気付いておりません。今になると作曲を続けてきて良かったと思う瞬間はいくらもありますが、この受賞の後しばらくの転落っぷりは思い出すとぞっとします。この人生はもう一回は出来ないなという感じがします。まあ転落しても這い上がれば良いのですが。苦しい時期にも数人の理解者がいたことで、作曲を続けて来られました。20代前半、マリンバ奏者の高田直子さんや合唱指揮者の國廣朝美さんに精神的に支えられて何とか乗り越えた想い出は今でも生々しいです。いずれ記事で書くかもしれません。

ともあれ、16歳で作曲家として公的な演奏会でデビューした事実は、自分の生き方を決定した大切な出来事です。初演自体は本当に素晴らしい演奏でした。しかし、当時芸大大学院で勉強されていた真鍋さんの作品があまりにも見事で圧倒されてしまって、「なんか負けた」と思ったりもしていました。実はその後曲集に収録された真鍋さんの曲を折に触れて練習して、今でも結構歌えるのです。人生の飴と鞭に翻弄されながらこれからも作曲を続けていくのだと思います。

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(合唱フェスティバル・プログラム、第18回神奈川県合唱曲作曲コンクール入選曲集、合唱フェスティバル・チラシ)

普段は自作について記事に書く時には、楽譜を少しご紹介するのですが、さすがにこの曲は若すぎて恥ずかしい思いもあるので、記事内に譜例を掲載することはしません。興味のある方は個人的にお問い合わせください(https://yasutakiinamori.com)。現在は無くなってしまったこのコンクールに、現在活躍されている多くの作曲家が受賞してきた歴史を曲集の巻末で見ることができます。演奏会で頻繁に聴く機会のある作曲家たちの末席に私の名前があることが光栄です。しかし記録されている受賞作品たちを私は聴いたことがありませんし、演奏会のプログラムに載っているのを見たこともありません。尊敬するあの作曲家たちが若い頃に書いた合唱曲がどんな曲なのか、いつか聴いてみたいものです。(だけどそんな機会があったら皆さん、面映いだろうな。僕もこの曲を再演するのはなかなか勇気がいる...。)

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