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カーゲルと私

2ヶ月前にドイツから引越しで送った荷物が無事に日本に届きました。全部はまだ開封できていませんが、山積みの段ボールが部屋を圧迫するので、場所を作るために半分以上は急いで整理しました。まずは服等の生活必需品を開け、残りの荷物はほとんどが楽譜なのですが(CDはかなり処分しました)、後はゆっくり時間を見つけながら開けていきます。

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段ボール箱を開け始めてすぐにアルゼンチンで生まれドイツで活躍した作曲家、マウリシオ・カーゲル(Mauricio Kagel, 1931-2008)の楽譜がたくさん出てきました。私が所有する楽譜の中では、カーゲルの作品が最も数が多いです。現在は86冊のカーゲルの楽譜が所蔵されています。彼の音楽はユーモラスで、演劇的要素もあったり、楽器に無理をさせることなく大変面白い効果を生み出したりしていて、とても関心を寄せています。引越し荷物を紐解いてすぐにカーゲルの箱に当たったことが嬉しく、私がカーゲルの音楽の演奏に関わった動画を2つほど、ご紹介しようと思いました。

私は人前で楽器を演奏したり歌ったりすることはもうほとんどありません。しかし、ドイツ滞在中、何度かパフォーマンス的な作品をコンサートで演奏したことがあります。カーゲルの作品を演奏したコンサートはどちらも、打楽器奏者の渡邉理恵さんが関わっていた企画で、渡邉さんと親しくしていた関係で声をかけていただきました。

私が渡邉さんと最初に演奏したカーゲルの作品は『騒音の芸術』(L'art bruit)です。1996年に書かれた作品です。この作品は一人の打楽器奏者と一人のアシスタントのために書かれていて、私はアシスタントをしました。ステージ上を動き回り、演劇めいたアクションをしながら演奏するソリストのためにアシスタントはどんどん楽器を用意します。楽器や撥をパーカッショニストに受け渡し、演奏家が手で持てない楽器は抱えて一緒に舞台を練り歩きます。私はどうも骨格が歪んでいて、まっすぐ歩けていないようで、まっすぐ歩いたり、後ろ向きに円を描きながら歩くときは全然うまく出来ず、何度も何度も歩く練習に付き合ってもらい、何とか歩き方を身につけました。しかし、歩くことに集中しすぎると、楽器の持ち方や受け取り方、渡し方がおろそかになります。何気ないアシストを何事もないようにこなす黒子は本当にすごいと思いました。この『騒音の芸術』での共演は、渡邉さんと私を更なる恊働へ導き、2017年から2019年には『箱/境界』(Schachtel/Grenze)というインストゥルメンタル・ミュージック・シアターを二人で作曲し、発表することになりました。この作品についてはいずれまた。

もう1つのカーゲル作品のパフォーマンスは、5人の歩く人たちのために作曲された『パ・ド・サン(5人のステップ)』(Pas de cinq)です。1965年の作曲で、カーゲルの初期作品の一つと言えます。5人はそれぞれステッキ(傘等の場合も有り)を持ち、すなわち3本足状態になり、右足、左足、ステッキによるステップが個別のテンポで床の上を歩きます。床には歩くべき道が用意されており、星形の道が描かれています。道を描く素材は枯葉や砂利、新聞紙等、異なる音を出すマテリアルが用いられます。各奏者は星形のどの地点からどの地点に向かって歩くかをセクションごとに示されていて、他の奏者と道すがら出会ったりして音楽にドラマを与えます。通常は絶対にそのような歩き方をしない具合の歩き方をマスターしなければならず、練習にはたくさんの時間がかかりましたが、やりがいのあるパフォーマンスでした。メンバーにも恵まれました。

どちらの作品も丁寧に楽譜が書かれており、書かれた通りに演奏すれば無理のない上演が出来ます。このようなパフォーマンス作品の上演はやはり暗譜が望ましいように思います。覚えるのは大変でしたが、演者自身が全体の構成をステージ内から見晴らすことのできるメリットは大きく、集中力の高い上演になったのではないかと思っています。以前、『パ・ド・サン』を音大生の演奏で聴いた(観た?)ことがあります。その時は暗譜ではなく、演出の一部に楽譜を潜り込ませていました。それぞれがスマホ、新聞、文庫等をステッキを持っていない方の手に持ち、そのツールに自分のパート譜が仕込んであるのです。覚えるのが大変なパートを何とか演奏するための創造的な解決策とも取れますが、演者同士が道すがらに出会うことから生まれる演劇的なテンションの高まりは空しく流れて行きました。個人的な感想を言うなら、覚えるほどに練習する時間を組むことが難しいなら、敢えてこういった曲をプログラムに入れる必要がないのでは、とすら思ったものです。演奏を暗譜でした方が良いのかどうかの議論はありますが、こういった曲のケースは全然話が別で、演劇のステージで役者が台本を読むなど、なかなかシアターになりにくいシチュエーションであることは容易に想像できるはずです。曲の開始から終曲まで歩きスマホを続ける演者に「ちょっと、歩きスマホ止めて!」と突っ込みたくなった想い出です。

ともあれ、『騒音の芸術』や『パ・ド・サン』を暗譜で演奏した経験は、作曲家としての私の筆に影響があったはずです。演奏家がその演奏を人前で披露できるようになるまでの練習の苦労は計り知れません。独創的な音楽を作りたいと思っていますが、私の描く設計図(楽譜)が演奏家にとって現実的に辿り着ける道筋でありますようにと思って今日も作曲しています。

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