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楽譜のお勉強【16】エディソン・デニソフ『クラリネット五重奏曲』

エディソン・デニソフ(Edison Denisov, 1929-1996)は旧ソ連の作曲家です。進歩的な作風であったため、ソビエト連邦から反体制派の作曲家と見られたことで、西側に移り住み、ヨーロッパで活躍しました。あらゆるジャンルに多くの佳曲を残し、様々な楽器のためのソナタや協奏曲は今日でも演奏家の大事なレパートリーとして定着しています。

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デニソフの作品から今日は『クラリネットと弦楽四重奏のための五重奏曲』(1987)を読んでみます。クラリネットはBb管、弦楽器は通常の編成(2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)です。伝統的な3楽章構成で第1楽章Agitato(激しく)、第2楽章Molto tranquillo(とても静かに)、第3楽章Agitato(激しく)という表情記号がそれぞれ与えられています。第1楽章と第3楽章が同じ感情表現であることに注目します。

演奏時間は18分前後で、第1楽章が最も長く、第3楽章が著しく短い構成です。伝統的なソナタのジャンルでは珍しい時間構成ではありませんが、第3楽章の短さが極端なところが特徴的です。

楽譜をざっと見ると、過去の多くのクラリネット五重奏曲と同様にクラリネットがややソリスティックで主導的な役割を担ったりすることが多く、弦楽四重奏は一つの音響体として扱われ、クラリネットと弦楽四重奏内のいずれかの弦楽器と対等な組を成して新しい関係性を作ったりするような仕掛けは見受けられません。その意味ではかなり古典的な発想で書かれた作品かもしれません。

ただ、普通のソナタ・ジャンルとしての五重奏曲の作曲の仕方と明らかに異なっているところがあります。全3楽章がそれぞれ、ほとんど同じ作曲技法で作曲されているのです。クラリネットが主導で細かい動きの上行音型を演奏すると、遅れて弦楽四重奏が似たようなモチーフの上行音型で追いかけます。その際、弦楽四重奏もそれぞれ第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとカノンのように追いかけることもしばしばあります(コラールのように合奏で答えることもありますが)。先に上行したクラリネットはロングトーンで待っています。追いかけてくる弦楽器の最後のフレーズが終わるか終わらないかのタイミングで再びクラリネットが今度は下行します。そして弦楽器もこれを再び追いかけるのです。基本的にはこの構造が全楽章を通じて作品の全てです。

最も長い第1楽章ではこの技法から導き出される様々な表現方法がじっくり丁寧に作曲されることで、充実した展開を聴かせます。上行音型、下行音型ともに様々な装飾を施され、音型が徐々に複雑かします。最初は長めの音にトリルが着くくらいなのですが、だんだんトリルの渦になっていきます。そしてトリルは形を留めなくなり、激しく上下動する点描の音列作法的な響きに変貌します。この音型に向けてクラリネットのフレーズは次第に詰まっていきます。短くなるにつれて応答する弦楽器との時間的な隔たりも短くなり、112小節ではフライング的に弦楽四重奏主導に入れ替わります。その直後、調整するかのような全休止が入り、全休止のすぐ後にはクラリネットと四重奏が同時に一つの構造を演奏することになります。それまでの線の繋がりがほぐれて激しい上下動をする点描になったタイミングで同時の全合奏になるので、とても効果的でかっこいいです。短い休止を挟んで2回演奏されたあと、クラリネットが冒頭の主題に戻るのでソナタで言う再現部のような役割を見出せますが、冒頭でクラリネットは弦楽器を導く役割であったのに対して、再現部では弦楽器が先行し、クラリネットはエコーのように追いかけるのです。次第に旋律線は密度を薄め、細かい装飾を排した素朴な旋律へと収まっていきます。167小節からの最後のコーダでは再び細かな装飾を含む長い下行線をカノンのように弦楽器が追いかけながら収束していきますが、クラリネットだけは上行する素振りを見せ、主張をして第1楽章が終わります。

(第1楽章)

第2楽章は、第1楽章で見られた要素の中から、最後の方に現れたゆっくりの線で追いかけ合う構造が作られます。ただし、第1楽章で重要な要素であった上行と下行の渦はカットされ、上に昇るわけでも下に降りるわけでもない、中音域をうろつく線の堆積になります。クラリネットと全ての弦楽器が全く同じメロディーを一拍遅れでカノンを演奏します。中心音の周りをうろうろしているだけなので、同じ技術で作曲しているとは思えないほど第1楽章とは表情が変わります。冒頭で要素を紹介したらすぐに全休止があり、クラリネットを除く全員での短い全合奏が同時スタートで演奏されます。この短い楽句はさらに全休止を挟んで2回演奏されるので、ちょうど第1楽章の再現部前に現れた2回の全合奏と対応しているように見えます。これは楽章の初めの方で鳴りますので、ちょうど第1楽章を逆再生したような形式とも言えます。その後、極力装飾を排した形でゆっくりとカノンが展開します。曲の最後では浄化のように弦楽器群の旋律はハーモニクスで奏され、それと対比するかのようにクラリネットは重音で濁ったメロディーを歌って終わります。ここでもクラリネットと弦楽器群の意識的な対比構造が見て取れます。

(第2楽章)

最後の楽章は第1楽章の音列作法的な上下動の激しい音型から始まります。クラリネットを弦楽四重奏が追いかける構造は生きていますが、上行音型、下行音型は認識しづらい状態になります。ただ、ここでは第2楽章のように意図的に停滞を表現しておらず、上行、下行の大枠は生きています。弦楽四重奏はピツィカートでパチパチ弾ける音質が線の輪郭をさらに抽象化しています。それから細かな装飾やトレモロやトリルを用いた細かな線形を重ねる箇所が続くのですが、こちらはアルコ(弓奏)で、なだらかな線の輪郭を無理なく味わうことができます。このピツィカートの抽象的部分とアルコの線によるカノンは1セットで繰り返されるため、対比の要素が強い素材を繰り返すことで音楽に形を与えるロンドに似ています。

(第3楽章)

じっくり素材の展開を聴かせる第1楽章、ゆっくりとした第2楽章、快活なロンドのような第3楽章という構成は明らかに古典的なソナタの音楽を意識しています。全体を構成する要素を全て第1楽章で示した点が特徴的で、作曲家の優れた技術を感じさせます。執拗に一つの作曲語法にこだわった作曲スタイルが典型的なクラシカル作品とこの作品を違ったものにしているようです。本質的に同じ作曲技法で十分に違った表情の3楽章を作曲しきった手腕も見事です。

読みながら、いくつか他の作曲家の作品が頭を過りました。複雑なセリエルの響きを示した上下動の激しい音形を複雑なリズムで重ねる抽象度の高い表現は初期のブーレーズの影がちらつき、リズムユニットを複数の小節を組み合わせた単位で移し鏡のように新しいリズムを導き出す書法はフェルドマンの後期の作品のリズム操作と似ています(デニソフは拍の分割を積極的に行うので全く音楽の鳴り方は違うのですが)。生命力に溢れた線の堆積が層を成し、音楽の全体の自発的な構造を作り出す点はユン・イサンの音楽を思い出しました。これらは私の頭を過っただけで、彼らの音楽から直接の影響があったように聞こえる音楽ではありませんが、西側に生活を移したデニソフは様々な新しい作曲の語法にとても関心を示していたのだろうなと想像して嬉しくなりました。自由に創作活動をして良い環境に生まれたことは本当にありがたい幸運です。

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