オペラ歌手である自分が言葉で発信する意味

はじめまして。ウィーン・フォルクスオーパー専属歌手の平野 和(ヤスシ)です。

私が今回、noteを通じて自らの言葉で発信しようと思った要因は主に2つあります。

①コロナ禍の影響で、舞台上からお客様に歌を通して表現する事が不可能な状況にあるから

②オペラの役作りをする際、他の同僚に比べて演出家や指揮者とディスカッションをする能力が決定的に欠けている事実を再確認したから

未曾有のコロナ禍において世界規模で、この一年間に上演予定だったオペラやコンサートなどの催し物が軒並み中止となりました。私の日本においての活動だけでも昨夏からの半年の間に、2本のオペラと10本以上のコンサートへの出演が水の泡と消えました。また現在オーストリアはロックダウンの最中で、所属劇場での公演再開の目処が立っていません。舞台上での表現の場を失ってしまい、これからどのような形で自分という存在を世間に発信してゆけば良いのか、大いに考えさせられました。周りを見渡せば、仕事を失った同僚の歌手や音楽家たちがこぞって、手を替え品を替え、様々なツールを使ってパフォーマンスや自らの言葉を発信している。彼らの行動力の早さ、創造性の豊かさに驚かされ、尊敬の念を抱くと同時に、イマイチ行動に移すことに躊躇する弱い自分に戸惑っておりました。行動に移せなかった要因としては、活動できない状況においても劇場専属歌手として一定の収入が約束され、生活自体に困っていなかったことが大きいと思います。

そんな折、世界的な渡航制限により多くの顧客を失い、甚大なる損失を被っていた旅行業者の知人より、その会社が新たに配信を開始したオンライン旅番組において、ナビゲーターとしての出演依頼を受けました。なかなか行動に踏み切れなかった自分の背中を、このような機会が後押ししてくれた気がして、出演を快諾しました。メールなどの連絡事項を除いて、ほぼほぼ文章を書く機会のない自分にとって、今までの自らの歩みや所属する劇場のこと、ここウィーンでの生活について言葉に転換する作業は、慣れない分苦悩も伴いましたが、新鮮な感覚でもありました。その番組のために調べたこと、また記録したことを何らかの形で発表したいと思い、noteに投稿してゆこうと考えた次第です。

私がオーストリアに渡って早いもので20年が経過し、現在の所属劇場での仕事も13シーズン目となりました。一見順風満帆に見える歩みですが、仕事においても生活においても、まだまだこちらの様式に慣れていないと感じるのが正直なところです。その一番の要因は、自分のコミュニケーション能力の低さに由来しているのは間違いありません。ある程度ドイツ語を話すことは出来ますが、自分の悪いクセで、理解していないことでも分かっている振りをしてしまうことが多々有ります。舞台作りの場面においてもその兆候は大いに見られます。昨年の秋、所属するフォルクスオーパーで新制作版の「魔笛」の企画に参加する機会がありました。ゼロから舞台を作り上げる新制作の場合、歌手と演出家、また指揮者がディスカッションを重ね、それぞれの役作りを深めてゆきます。自分とダブルキャストの同僚が、台詞のひとつひとつに込められた感情の変化、演じる人物のバックグラウンドなど細部に渡って演出家や指揮者と対話する様子を見て、衝撃を受けました。いかに自分が何も考えずに舞台に上がっているか、また他人のアイデア本位で動いているかを痛感しました。もちろん自分が外国人であり、ドイツ語を母国語としないハンディはありますが、恐らく私の受け身の姿勢は、日本語が話せる状況においてもあまり変わらないのではないかと思います。この経験から、自分の考えや思い、楽曲に対する解釈を説明できないということは、理解できていないことと同じであると考えるに至りました。今自分に必要とされているのは、自らの言葉で表現する訓練をすること。noteへの記事の投稿はそのトレーニングの場になります。

これから少しずつ、これまでの自分の歩み、オーストリアでの生活において感じること、フォルクスオーパーで関わってきた作品について、自分が扱う楽曲の解釈や紹介など、細々とこの場にアップしてゆきたいと思います。あくまでこれは自分に対するトレーニングの場と捉えておりますが、私の言葉が、読んでくださる皆様にとっても有益な情報となってくれれば幸いです。


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