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品川暁子評 ダヴィド・ラーゲルクランツ『闇の牢獄』(吉井智津訳 KADOKAWA)

評者◆品川暁子
若い女性パトロール警官と上流階級出身の心理学者が事件の謎を追う――北欧ミステリーの新シリーズ
闇の牢獄
ダヴィド・ラーゲルクランツ著、吉井智津訳
KADOKAWA
No.3601 ・ 2023年07月29日

■『闇の牢獄』は、ストックホルムで起きた殺人事件を警察官と心理学者が協力して解決する北欧ミステリーだ。
 被害者はジャマル・カビール。タリバン政権下のアフガニスタンからの難民で、人気のあるサッカーの審判員だった。試合後、スタジアムの近くで殴り殺されていたのを発見された。
 容疑者はイタリア人のジュゼッペ・コスタ。息子が試合に出ていて、審判がペナルティを取らなかったとわめいていたのが目撃されていた。アルコール依存症で、そのときも酩酊状態だった。コスタにはカビールを殺す動機があり、事件は単純な暴力沙汰のように思われた。
 だが、コスタは容疑を認めない。自白を引き出したい警察は、尋問テクニックの専門家として知られるスタンフォード大学教授ハンス・レッケのもとを訪れる。ミカエラ・バルガスは地元の女性パトロール警官だったが、容疑者の周辺事情に通じているという理由で同行することになった。
 しかし、結果は散々だった。レッケは、警察がコスタをサイコパスに仕立てたがっており、視野狭窄に陥っていることをすぐに見抜いたのだ。唯一異なる見方をしているのがミカエラだったと言い、コスタは犯人ではないと断言する。そして、カビールがスタジアムで何かを目にして怯えていたこと、カビールの死体の古い傷痕について言及した。遺体からは事件に起因しない骨折や手首の傷痕が見つかっていたが、タリバン政権による拷問の痕だと考えられていた。警察はその後、協調性がないという理由でミカエラを担当から外した。
 数か月後、駅のホームにいたミカエラは、列車に飛び込もうとする男を目にする。ミカエラは身を挺して男を救ったが、それは別人のように精彩を欠いたハンス・レッケだった。
 レッケに家まで連れて行ってほしいと頼まれ、ミカエラが家に行くと、抗精神病薬や抗うつ薬など、あらゆる種類の薬物が棚に並んでいるのを目にする。レッケは精神疾患に苦しんでいたのだ。
 ミカエラは、回復したレッケにジャマル・カビールの死体の傷痕についてたずねた。すると、カビールは「暗闇の刑務所」で拷問を受けた可能性があると言う。アメリカでは、二〇〇一年の同時多発テロ事件以降、テロの容疑者に対して「尋問強化」という呼び方で拷問が行われていた。民主主義を掲げるアメリカでは、囚人を拷問することは公にできない。古い傷痕はタリバンではなく、CIAによるものだとレッケは断定する。それが事実だとすると、スウェーデン政府は、テロリスト容疑のあった人物を入国させ、拷問にかけるためにCIAに引き渡した疑いがあった。
 ミカエラは独自に調査を進めると、カビールが自国で楽器を破壊していたことを知る。タリバンは、ソ連占領時代にロシアの教育を受けた音楽家への弾圧を行っていた。だが、ジャマル・カビールはアフガニスタンのサッカー少年たちの味方だったし、そんな人物が楽器を壊すようなことをするだろうか。
 難民としてチリからスウェーデンに渡ったミカエラと、海運王の父と音楽家の母のもとで育ったレッケは、まったく対照的なコンビだ。レッケは、心理学者になる前は将来有望なピアニストだった。高級住宅街に住み、名誉も財産もあり、美しい妻と娘もいる。だが、薬物依存になり、うつ状態のときには自信をなくし、自殺さえ図ろうとする。
 一方、ミカエラは郊外の貧しい地域に住む若い女性警察官だ。父親は独裁政権下のチリで拷問を受け、その後自殺した。二人の兄は素行が悪く、麻薬売買にかかわっている可能性がある。厳しい環境のなかでミカエラはつねに戦ってきた。タフで、打たれ強い女性だ。
 陰と陽のような二人だが、事件解決に向けて、お互いの強みを発揮する。
 レッケは、音楽界で名が知られており、楽器を壊された音楽家への聞き込みも容易だった。また、外務省政務次官の兄マグヌスを通じて、政界の重要人物と会うこともできる。そして、シャーロック・ホームズのような鋭い観察眼で、見た目や特徴からその人が何をしていたかを言い当てた。
 それに対し、ミカエラは移民や難民が住む貧しい地域に精通しており、普通の警官は入手しにくい情報もつかむことができた。実際、容疑者とされるコスタと話したときは、事件解決の決め手となる重要な証言を引き出す。
 調査が進むにつれ、殺人事件はCIAが関与していないところで起こったことが明らかになってくる。犯人が明らかになれば、CIAの外交機密が暴露してしまう。CIAは事件の解決を阻止しようとするが、その妨害工作を免れたのも、いつも背後を気にしながら生きてきたミカエラの危機管理能力のおかげだった。
 著者のダヴィド・ラーゲルクランツは、急逝したスティーグ・ラーソンの『ミレニアム』シリーズを引き継いだことで有名になった。『闇の牢獄』は待望の新シリーズ〈レッケ&ミカエラ〉の一作目となり、最終的には三部作になる予定だ。本作では二人の関係はまだそれほど進んでおらず、どのように変化するかは未知数だ。今後の展開が楽しみである。
(英語講師/ライター/オンライン英会話A&A ENGLISH経営)

「図書新聞」No.3601・ 2023年07月29日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。


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