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俣野麻子評 エレノア・キャトン『ルミナリーズ』(安達まみ訳、岩波書店)

評者◆俣野麻子
天体が紡ぎ出す人間模様――金鉱に引き寄せられた人びとの運命はいかに

No.3585 ・ 2023年04月01日

■一八六六年一月二七日、ニュージーランド南島西海岸にある金鉱の町ホキティカを舞台に、本作の幕が上がる。「クラウン・ホテルの喫煙室に集う一二人の男は、たまたまそこに居あわせたにすぎぬ、といった印象を与えた」(三ページ)という最初の一文を読んで、一室に一二人の男がいるという共通項で映画『一二人の怒れる男』が頭に浮かんだが、読み進めていくうちに、この短絡的な連想もあながち見当違いではなかったと思えてくる。訳者解説にも、「この一二人の登場人物は、陪審員を思わせるとともに、できごとの核心から奇妙なまでに周縁化されているようにみえる」(七二五ページ)と記されている。
 「一二」という数字は本作で大きな意味を持つ。一二人の男には、それぞれに異なる星座が割り当てられているのだ。訳者解説によると、「登場人物の行動は出生占星図によってあらかじめ決定されている。小説のそれぞれの部分は、物語内の時間と場所にあたる、日時・緯度経度の実際のニュージーランドの空の天体の動きを映しだしている。各部の扉にある占星図に恒星と惑星の位置関係が載せられ、登場人物同士のかかわりは、恒星の星座に対応する「黄道一二宮」に惑星が入ることによって表象される」(七二五ページ)という徹底ぶりだ。
 恒星の一二人のほかには、惑星が割り当てられた人物が登場する。彼/彼女らは、できごとの核心にかかわる。なかでも、月(にして太陽)である(元)娼婦アンナ・ウェザレルと、太陽(にして月)である採掘者エメリー・ステインズは、星占いによると互いに魂と運命を分かちあう存在だという。
 ふたりはシドニーからニュージーランドへ向かう同じ蒸気船に乗っていたのだが、船がまもなくポート・チャーマーズに着こうという夜明け前(一八六五年四月二七日)に初めて出会う。風に乗って飛ぶ信天翁を一緒に眺めながら話すさまは、新天地でのそれぞれの幸運をその鳥に重ねているかのようで、物語の中でもっとも明るさを感じさせる場面だ。けれど、ここまで読んできた読者は、のちに(一八六六年一月一四日)アンナは意識不明で発見され、ステインズの消息が途絶えることをすでに知っている。そして、ふたりが船上で出会ったちょうど一年後(一八六六年四月二七日)、治安裁判所においてアンナとステインズの裁判が繰り広げられる。
 本作の舞台はゴールドラッシュに沸く一八六〇年代のニュージーランドで、作者は「いかなる意味でも事実に即した記録ではない」(七二一ページ)としつつも、金鉱で運を切り拓こうと海を渡って採鉱者たちが押し寄せた当時の様子をありありと想像させる。
 登場人物はさまざまな背景を持ち、その職業も金鉱成金、海運業者、牧師、銀行員、新聞発行人、ホテル支配人、薬剤師など多岐にわたる。人種については、白人だけでなく、英語を流暢に話せないマオリや中国人もいる。彼らは往々にして、目の前で起こることの全容を理解できない。
 そんな中、マオリのテ・ラウ・タウファレと彼の白人の友人クロスビー・ウェルズがどのように意思の疎通をはかったかについての記述が印象的だ。長くなるが引用する。
 「ホキティカ。意味は分かっているのだが、翻訳できない。英語とマオリ語というふたつの言語のあいだでよくあることだ。ある言語の言葉に、べつの言語で完全に相当する言葉を見つけだせない。プハと交換できる白人の薬草がなく、レウェナ・パラオアとまったく同じ白人のパンがないのを連想させる。味わいがいかに近くとも、それはつねに、なにかしら似かよったものでしかなく、なにかしら想像が入り込むか、失われるかしてしまう。クロスビー・ウェルズはこのことを理解していた。テ・ラウ・タウファレは彼に英語を使わずにコレロ・マオリを教えた。ふたりは指さしや顔まねで意思を通いあわせた。テ・ラウがクロスビー・ウェルズに理解できないことをいったときは、ウェルズは音が祈りのように自分の上を流れるに任せ、そうしているうちに意味がはっきりし、言葉の内側が見えたのである。」(九二ページ)
 本作ではところどころにマオリ語が出てくるが、カタカナ表記に日本語の意味が添えられていたりいなかったりする。読者もまた「音が祈りのように自分の上を流れるに任せ」るとしよう。
 本作は全七二〇ページに及ぶ長編で、全一二部のうちの第一部が三一三ページまでという構成になっている。慣れるまでは何度も人物表や地図を参照し、初めのうちは先が長く感じられたが、作者の巧みな筆致とプロットで加速度的に引き込まれていく。翻訳によるところも大きいだろう。私利私欲に目がくらむ人たちが描かれ、人間はこれほどまでに愚かで残酷になれるのかと思わずにはいられない。でも、本作が映し出す人間の側面はそれだけではない。読み終えた後はしばらく呆然としてしまったが、重厚な読書体験になることは間違いない。
 物語の冒頭で、男たちがクラウン・ホテルの喫煙室に集っていたとき、激しい雨が降りしきっていた。ホキティカは実際、雨の多い場所のようだが、その後何度も雨降りの描写が挟まれていたからだろうか、本作を読んでいる間、終始雨が降っているような感じだった。物語の最後にたどり着いたとき、読者がそのような感覚を持つことは作者の狙いだったのだと気づかされる。
(翻訳者/大学英語講師)

「図書新聞」No.3585 ・ 2023年04月01日(日)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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