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田籠由美評 堀本裕樹『富士山で俳句教室』(角川文庫)

感動の俳句入門書――名句を鮮やかに読み解く

田籠由美
富士山で俳句教室
堀本裕樹
角川文庫

評者◆
感動の俳句入門書――名句を鮮やかに読み解く

■書店には様々な俳句入門書が並び、テレビでは辛口の俳句指導者が芸能人の句を一刀両断する番組が人気だ。インターネットでも句会が盛んに催されている。俳句は二十一世紀も多くの人の心を掴んでいるようだ。五・七・五の十七音というコンパクトな詩形ゆえに、子どもから高齢者まで親しみやすい。しかも、日々の暮らしから旅、愛、人生まで表現できる。この日本人が世界に誇る文芸は、短さゆえに忙しい現代人も通勤通学の電車の中でも携帯にメモできるし、季語をひとつ入れるルールは豊かな日本の四季を再発見する喜びにもつながるだろう。
 俳句に関心のある人にとって、本書は最高の入門書のようだ。著者は、富士山を詠んだ俳句を近代から現代まで百句精選し、歳時記のように五つの季節(春・夏・秋・冬・新年)に分けた。そして、各句で使用されている擬人法、遠近法、比喩、掛詞、リフレインといった技法を丁寧に解説し、さらに俳人が伝えたいその句のエッセンスを初心者にもわかりやすく読み解く。俳句を読むと、「何となくいいけど、意味の取り方はこれであっているかな?」と感じることがあるかもしれない。本書では、ちょっと難しげに見える俳句を前にしたときのそんな不安を払拭してくれる。著者は、押し付けがましさの一切ない優しいトーンで、読者を名句の深い鑑賞へと導くのである。
「富士山――信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録されているだけあって、江戸時代から現代まで多くの俳人が富士山からインスピレーションを得て、名句を残してきた。俳人たちが四季を通して見る富士は、あるときは優美、あるときは勇壮、またあるときは寂寥と、さまざまな表情を見せる。読者は丁寧な解説に助けられて名人たちの富士山への色々な思いを読み取り、俳句の素晴らしさをいっそう再認識することだろう。
 例えば春の句として、原石鼎(はらせきてい)(一八八六―一九五一)の「富士高くおたまじゃくしに足生えぬ」。壮大な富士山と足が生えたばかりの小さく愛らしいおたまじゃくしの対比には、くすりと笑えるユーモアがある。だが、それだけではない。著者は、天空に向って聳える富士山と水中で地に向けて生えてゆくおたまじゃくしの足に、この惑星における天と地がさりげなく描かれているとして生々流転やこの世の摩訶不思議を感じ、石鼎のスケールの大きな世界観に思いを馳せる。
 また夏の句として、杉良介(一九三六―)の「夏富士の裾(すそ)に勾玉(まがたま)ほどの湖(うみ)」。著者はこの句の中に、富士五湖の形を勾玉ととらえる作者の鳥瞰的な視点を感じ取り、富士山を囲む宝石の首飾りの美しい輝きに息を飲む。
 そして冬の句として、和田東潮(とうちょう)(一六五八―一七〇六)の「狼(おおかみ)も泪(なみだ)寒きか不二颪(おろし)」。作者は江戸時代前期の俳人で、当時はまだニホンオオカミが野山を駆け回っていたという。東潮は、冬の寒さに凍える狼の身の上に思いを馳せたと解説がされている。今は絶滅してしまったニホンオオカミへの俳人の優しい眼差しに共感し、著者は狼が絶滅せずにどこかに生きていてくれと思わず願うのであった。
 そして新年の句として、山口青邨(せいそん)(一八九二―一九八八)の「初富士のかなしきまでに遠きかな」。この句の背景には、青邨が昭和二十年の東京大空襲で一面焼け野原になった地平線の彼方に富士を見た経験があるという。著者の説明と共にこの句を読むと、人間による文明の儚さ、そしてそれとは対照的な自然の持つ揺るぎなさが胸を打つだろう。
 このように、著者は一句一句と真剣に向き合い、鮮やかに各句の真髄をつく。多くの読者が次は季語の解説や例句を集めた歳時記を読み、俳句についての理解を深めたいと思うことだろう。俳句鑑賞を通じて、瑞々しい感性の俳人たちと時間や空間を越えてつながれたら素敵だ。そして、自分でも一句ひねりたくなるかもしれない。
 (翻訳者/編集者/ライター)

「図書新聞」No.3650・ 2024年8月3日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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