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檀原実奈評 アマンダ・ブロック『父から娘への7つのおとぎ話』(吉澤康子訳、東京創元社)

評者◆檀原実奈
物語という柱の間をさまよい、不器用に生きる私たち――殺人事件が嫌でミステリー小説を敬遠する人にもおすすめしたい
父から娘への7つのおとぎ話
アマンダ・ブロック 著、吉澤康子 訳
東京創元社
No.3585 ・ 2023年04月01日

■愛らしく優美なデザインの鳥かごやアンティーク家具が表紙に描かれている。書店の平積みで遭遇すれば、思わず手に取ってしまいそうだ。顔を近づけてよく見ると――飾り棚の中身は、ガラス瓶に入ったキノコ? 鳥かごの前で小瓶が倒れ液体がこぼれている。隣には包帯が巻かれた斧? 気になる!
 そんな思わせぶりな表紙をひらき、明るいピーチカラーの見返しをめくると、不思議なおとぎ話を手がかりに行方不明の父親を探すレベッカのストーリーが始まる。ミステリーとおとぎ話の融合だ。殺人事件が嫌でミステリー小説を敬遠する人にもおすすめしたい。
 逆に、「おとぎ話を読んでいたのはもう遠い昔であって、願いをかなえるとか水の精とかいうこんな子どもっぽいお話をななめ読みするだけでも、なんだか気恥ずかし」い、という人にはお待ちいただきたい。作者はそれを見越したように同じ言葉をレベッカに言わせている(四九頁)。一般におとぎ話から連想される気軽なだけの読み物でもない。
 ストーリーはイギリスの地方都市エクセターを舞台に始まる。非正規社員として働く建築事務所に、ニュースサイトの記者エリスが訪ねてきて、幼い頃に家を出た父親について質問をする。この件を持ち出すと家族は怪訝な顔をするので、レベッカは父の存在をすっかりなかったことにしてきたのだ。エリスの来訪によってパンドラの箱がひらいてしまった。
 動揺しながら実家へ車を走らせ、まずは母ロザリンに対して、次には親せきが集まる祖母の誕生日パーティで禁断の質問をついに投げかける。重苦しい空気に包まれたあと、祖母リリアンに言われてクローゼットの奥から、緑の表紙に金字が輝く古い本を取り出す。ここに収められた七つのおとぎ話を読み進めながら、父親を探していく。その折々に登場する、エルダーフラワー・フィズやファラフェル・サンドといった洒落たドリンクやフード、そしてダートムーアやアッシュフォード、エディンバラなどイギリスの魅力あふれる地域の風景を調べながら読めば、観光気分も味わえる。
 意識の流れのように続く独白、緻密な情景心理描写に加え、鮮やかな映像が浮かぶ的確な比喩が随所で彩りを添える。例えば、「ふと受け取ってしまったら熱くて火傷するかもしれない質問を、あの記者がひょいと投げてよこしたことを思い返しながら」(二六頁)。「暗闇のなかで明るい鉱石を探すように自分の記憶をたどりはじめ」(二〇五頁)。どこかおとぎ話らしさもある。
 全編の経過時間は二週間あまりだが、そこにはレベッカ自身の記憶と、しだいに明かされる父親の経歴も含まれ重層的だ。父レオの生家を訪ねたり、ロンドンに滞在したりして糸口を探るうちに、協力してくれる記者エリスへの恋も芽生える。
 時には軽快に、時には神妙にストーリーは進むが、たびたび読者の予想をくつがえし、紆余曲折がつづく。それぞれの立場で誰かを思いやる行動が誰かを悲しませる。かつて父が切ない状況を幼い娘にわからせようと書いた『七つのおとぎ話』の七編は、どれも荒唐無稽な夢のようで、簡単には真意を明かさず頑然と立ちはだかる。これに対し、レベッカと周辺世界のなんと頼りなく不器用なことか。言わねばよい言葉を吐き、言うべき言葉を淀ませ、悔やみながら翌朝にやり直す。恋のゆくえ、母娘の確執、父との再会、父の闘病、どれも然りだ。そのコントラストに目がくらみ、ふと気付けば、レベッカのストーリーを自分の現実世界に重ねてしまっている。古今東西に数多存在する物語の確固たる柱を、見上げたりそこに近づいたりしながら、現実世界の人々は悲しいほどおぼつかない足取りで進んでいるのだ。その姿が徐々にいとおしく感じられてくる。
 著者アマンダ・ブロックの紹介は訳者あとがきに詳述されるが、文芸創作課程の修士号を取得し、書店員や編集業も経験している。そのためか、作中作のおとぎ話に加えて、あらゆる物語の要素が全編に仕込まれて文学ファンを喜ばせる。例えば、レベッカの母は図書館勤務で飼い猫の名はブロンテ、お気に入りのカップに描かれるのは『傲慢と偏見』。『オデュッセイア』のセイレーンも出てくれば、アーサー王、テンペスト、嵐が丘、バスカヴィル……と枚挙に暇がない。レベッカには「果たしてレオは誠実な語り手なのだろうか?」と、書評家のような独白もさせている。本書が初の長編作品というが、四百頁のボリュームに見合う充実ぶりである。
 読み終えて表紙の絵をながめると合点がゆき、思わずニヤリとしてしまう。なかなか上手く行かなくて格好悪くても構わない。懐かしい記憶の世界と違ってもがっかりしなくていい。誰かの伝聞ではない本人の話を聴いてみよう。ゴールの果てにはそんな寓意も読み取れる希望のストーリーだ。
(翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3585 ・ 2023年04月01日(日)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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