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佐藤みゆき評 クリスチアナ・ブランド『濃霧は危険』(宮脇裕子訳、 山口雅也 監修・企画・原案、国書刊行会)

評者◆佐藤みゆき
「可愛い子には冒険をさせよ」なのだ――著者が読者に挑んでくる知的な戦いは捻りが効いていて、作品が書かれた一九四九年当時の英国社会の様子も垣間見ることができる
濃霧は危険
クリスチアナ・ブランド著、宮脇裕子訳
国書刊行会
No.3595 ・ 2023年06月17日

■本書は、一九四〇年代から五〇年代を中心に活躍し、エラリー・クイーンやアガサ・クリスティーと並び称される傑作を残した英国人女流ミステリ作家クリスチアナ・ブランドが、少年少女向けに書いた冒険ミステリ小説である。
 まだ階級社会の色合いが残る第二次世界大戦後の英国。イングランド王国デヴォンシャー州の大地主の跡取り息子である十五歳のビルは、過保護な母のもと、思春期に入ってもばあやに面倒を見てもらう日々を送る乳母日傘の自分に忸怩たる思いを抱きつつあった。そんなビルが、会ったこともない十四歳の女の子と過ごすために両親の友人宅に二週間滞在するよう命じられ、両親の留守中にお抱え運転手が運転するロールスロイスで一人送り届けられることになる。しかしその日地域をすっぽりと覆った「濃霧」が災いしたのか、目的地に着く前に見知らぬ荒れ地で車から放り出され、さらには人違いから犯罪に巻き込まれる。ビルは荒地をさまよう途中で同じ年頃のパッチと出逢う。ふたりは互いの素性を知らないまま、ビルが受け取った暗号文を一緒に解読しながら、正体の知れない人物たちを追い、逆に彼らに追われることになる。ふたりの冒険が始まった。
 作品には読み手を魅了する要素が沢山詰まっている。イングランドのダートムアから、悪者たちの待ち合わせ場所であるウェールズの海岸まで、ビルとパッチ、そしてパッチの飼い猫サンタ(のちに大活躍することになる)は次々と多様な乗り物で移動していく。荒地をポニーで越え、汽車に乗り、荷馬車に隠れ、バスに乗り、海峡をフェリーで渡り、川をコラクルと呼ばれる小舟で下る。しかも複数の怪しい人物が自分たちの行く手を阻もうと追ってくる。頼れる大人は一人もいない。うまく切り抜けられるかはすべて自分たちの才覚次第。スピーディでスリリングな展開はまさに冒険だ。歯切れの良い文章からは主人公たちの切羽詰まりながらも溌溂とした様子が伝わってくる。
 悪者たちの合言葉はシェイクスピアから引用され、暗号文にはウェールズの地名や英語の語呂合わせなどが使われている。読者は謎解きのテクニックを学ぶ喜びが充分味わえる。主人公と謎解きを競うこともできる。さらに作品が書かれた一九四九年当時の英国社会の様子も作品全般を通じて垣間見ることができる。シェイクスピア作品が英国社会に根付いていたこと、イングランド王国とウェールズ王国の言語の違い、階級社会や階級意識、交通手段の発達の程度、女性観、大戦の爪痕などが伺える。 
 物語の世界に読み手を一気に引き込む冒頭の「霧」や「刑務所」の不穏な描写。複雑な役どころを担う登場人物。効果的に散りばめられた仕掛けや伏線。そして結末に明かされる意外な事実。著者が読者に挑んでくる知的な戦いは捻りが効いている。
 主人公ビルは二日間にも満たない短い冒険の過程で人間として一回り大きく成長する。最初は目の前の現実に機敏に対応できないが、次第に迅速に行動ができるようになる。内面的にもより広い視野で自分を客観視し始め、大切に育てられてきたことに感謝する。冒険を通じて自分には問題解決に役立つ知識や知恵が備わっていることを確認しながら、自信をつけていく。そしてパッチとの交流で友情の尊さを知り、自分の偏見を正す新たな認識を得る。そう、「可愛い子には冒険をさせよ」なのだ。
 作品にはイングランドやウェールズの子どもたちののびやかで逞しい姿が描かれている。大戦の影響がまだ濃く残る中、ブランドには次の世代を担うことになる少年少女たち、特に少女たちにエールを贈りたいという思いが執筆動機としてあったのではないだろうか。大戦に男性が駆り出されたことで、英国社会では女性たちはこれまで経験したことのない仕事を男性に代わってこなすことになり、彼女たちの社会進出が進んだ。一九四九年に英国で出版されたこの作品には、そういった流れをさらに加速させ、ジェンダーギャップをなくしたいという著者の願いが込められているのではないか。裕福な家庭に生まれながら十七歳の時に父親が破産し、自分で生活費を稼ぐために、職を転々とし、ひもじい思いをした著者の個人的体験も影響しているに違いない。献辞にはこうある。
  ミス・テレサ・アーディゾーニ、ミス・ジェイン・フェアリー
  およびわたしの知っているすべての魅力的な少女たちへ
 本書を読み終えた時、あなたは何を考えるだろう。
(英語教師、翻訳者、ライター)

「図書新聞」No.3595 ・ 2023年06月17日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。


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