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きくちゆみこ書評 キリーロバ・ナージャ『6カ国転校生 ナージャの発見』(集英社インターナショナル)

評者◆きくちゆみこ
そこにはいつも一人ひとりの人間がいる――6つの国、6つの教室から見えた「違い」とは
6カ国転校生 ナージャの発見
キリーロバ・ナージャ
集英社インターナショナル
No.3560 ・ 2022年09月24日

■ペンでノートを書いてはいけないのはなぜ? 給食を残してはいけないのは? 集合するたびに整列するのは? そもそも学校にはどうして行くんだろう――? 小学校の頃にこうした疑問を抱いた人は少なくないと思うが、それに答えるとなるとどうだろう。本書はそうした疑問に明快な答えを与えてくれる本――ではない。むしろ、それらの問いに「理由」はあれど、たったひとつの「正解」などなく、あるのは「違い」だけであるという事実を明らかにしてくれるのだ。
 著者のキリーロバ・ナージャは、世界中の広告賞を多数受賞した気鋭のクリエイティブ・ディレクター兼コピーライターで、現在は日本の広告代理店に勤めている。ロシア(当時はソ連)で生まれ、6歳でサンクトペテルブルクの小学校に入学するが、物理学者と数学者である両親の転勤で、その後は日本、イギリス、フランス、アメリカ、カナダ……と小中学校の9年間、6ヵ国の学校を一年ごとに転々とすることになる。それはつまり、ほぼ毎年新しい言語、新しい教育システムの環境に放り込まれるということでもあった。そんな「ナージャ」と一緒に、自分まで転校生になったかのように、それぞれの国の教室に飛び込む体験を味わえるのが本書の特徴だ。
 たとえばイギリスの学校に転入した当初、ナージャは授業で文章を書く際に「えんぴつ」を使うように指示されて戸惑ってしまう。ロシアでは当然のようにペンを使って文章を書いてきたために、「下書きならともかく本番をえんぴつで書くなんて納得がいかない、自分の意見を書いた感じがしない」からだ。教室での座席もまるで違っていた。ロシアでは男女それぞれのペアでひとつの机をシェアし、黒板を向いて座るが、イギリスでは数名の生徒と机をくっつけ、いくつかの島を作ってグループごとに座る。フランスでは円形に机を並べたなかに先生が入って授業をする。ランチタイムもさまざまで、ロシアでは朝と昼の2回給食が出るが、フランスでは家に帰って昼食をとる生徒もいた。このように各国の学校の違いがカラフルなイラストとともに項目別に説明され、ページをめくるのが楽しい。自分がそこにいたらどんなふうに感じるだろうと、想像力が掻き立てられるのだ。
 とはいえ、各国の相違を並べることが本書の目的ではない。その背景にはどのような「理由」があったのか、著者は自分なりの考察を加えていく。たとえば書くときにペンを使うのは「よく考える」ためである。ペンを使うと書き直しができないために、子どもたちは実際に文字を書き始める前に熟考することを覚えるからだ。一方えんぴつは消しゴムで消せるため、さらさらと書き進めることができる。失敗してもまたやり直せばいい。だから「よく書く」ことができるのだ。こうした理由が明らかにするのは、どちらの方が良いというひとつの正解ではなく、むしろ「書く道具が、書くことのプロセスを変える」という事実と、そこから導かれるいくつもの可能性だ。それは座席の配置でも同様で、「真剣に聞いてほしいのか、発言してほしいのかみんなで意見をまとめてほしいのか。正解はない。[…]児童の性格や教えたいことに合わせて座り方をシフトさせれば、いろんなやり方があることを子どもたちにも教えることになり、将来につながっていくかもしれない」という著者の言葉は、国や文化という枠を超え、真に子どもたちの成長や可能性を考慮した教育を考える上で貴重なアドバイスになるだろう。
 また『6ヵ国転校生 ナージャの発見』というタイトルにある「発見」は、大人になった著者の回顧的な視点により導き出されたものであることにも注目したい。当然のことながら、子どもと大人はまったく違う存在だ。子どもたちが冒頭のような疑問を持つのは、おそらく、彼らが自分のいる環境を「選べる」立場にはいないからではないか。子ども時代のナージャが、転入するたびにその学校の「いいところ」を見つけようとしたように、子どもは与えられた環境のなかで自分なりにサバイブする方法を見つけようとする。それは「環境は変えられないが、見方はぜんぜん変えられる」と気づいたナージャの言葉にもあらわれている。だからこそ、環境を作る側にいる大人たちが、教育システムにおける「当たり前」を見直し、あらゆる問いに一つひとつ丁寧に向き合うことが肝要かつ、喫緊の課題だと言えそうだ。
 そうしたこともあってか、ナージャが各国の先生からもらった「ステキなヒントたち」を紹介するページが心に残った。それぞれの国柄が出ているようにも思えるが、読み返すうちに、それらは国によらない、ひとりの個人として発せられた言葉であることに思い至る。特に、テストで滅多に満点をつけない理由について、「パーフェクトな瞬間」というものは人生でなかなか起きることのない、特別なものだからと語ったフランス人の先生の言葉がいい。人が自分の言葉で語るとき、そこには必ずその人の人格や人生観があらわれることを思い出させてくれるエピソードだ。教育について語るときには、そのシステムや方針ばかりに話題が集まりがちだが、先生も生徒たちも含め、現場にはいつも一人ひとりの人間がいることを忘れたくない。
(翻訳家、エッセイスト)

「図書新聞」No.3560 ・ 2022年09月24日(土)に掲載。
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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