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萩原由公子評 ディーマ・アルザヤット『マナートの娘たち』(小竹由美子訳、東京創元社)

評者◆萩原由公子
世代を越えてアラブ系アメリカ人の多面的な現実を描いたオムニバス――著者の多種多様な小説手法が存分に楽しめる
マナートの娘たち
ディーマ・アルザヤット 著、小竹由美子 訳
東京創元社
No.3597 ・ 2023年07月01日

■本書の著者ディーマ・アルザヤットはシリア、ダマスカス生まれ。七歳でアメリカに移住し、カリフォルニア州サンノゼで育ったアラブ系アメリカ人だ。本書(二〇二〇年刊行)はデビュー作であり、九つの短篇で構成されている。アラブ系移民というバックボーンや博士論文でアラブ系アメリカ人の人種化を研究したことが本書執筆の動機となったように思われる。
 本書に登場するのはアラブ系移民とその子孫だ。アメリカで差別や排除、抑圧、敵視、そして時には暴力に直面し、かけがえのないもの――故郷、家族、名前、言語、過去――を失い、生命まで奪われる中、自分はここに属していない、適合していないという痛切な思いを抱きながら生きている。アラブ系移民であることが社会的アイデンティティーの形成にどう影響するか、社会的アイデンティティーを得るためにどんな代償を払うか、そこまでして得た社会的アイデンティティーがいかに複雑で不確かなものか、本書で著者は問う。その疑問が最も多元的かつ克明に提起されているのが、原書の表題作『アリゲーター』だ。
 『アリゲーター』は、一九二九年にフロリダ州で実際に起こったシリア・レバノン系移民夫婦の陰惨な殺害事件(夫はリンチ死、妻は射殺)を基に、白人による先住民の虐殺や強制移住、黒人へのリンチの事実も物語に織り込み、前述の疑問に答えを出そうとする。一方で、犠牲になってきた側における人種差別意識や人種の自認、安穏な生活の代償として民族的アイデンティティーを捨てる選択も容赦なく突きつける。
 登場人物による語りに加えて、(実際のものと創作したものとを取り混ぜて)新聞や雑誌の記事、演劇やテレビ番組の台本、動画のスクリプト、Eメール、陳述書、手紙、SNS、国勢調査や人口調査等もコラージュされる。ストーリーを言葉だけで延々と語るよりも、それぞれの媒体が持つ力により雄弁性がぐんと増し、物語が極めて複雑で多面的になる。
 『アリゲーター』以外の短編でもアラブ系移民の現実、内的葛藤や渇きを印象的な手法で浮かび上がらせる。
 『カナンの地』は、三人称、二人称、一人称の視点で交互に語られる。主人公ファリドは同性愛が禁忌とされるイスラム社会においてゲイである。「悔い改める」ために結婚し、礼拝と祈願を日々熱心に行う。そんな複雑なファリドの世界を表現するため、内面を描くときは「お前」、それ以外は「ファリド」と、視点が使い分けられる。そして短編の大詰めで初めて一人称の視点「俺」が用いられる。視点の違いによって読み手と登場人物との距離が変わったり、読み手が登場人物にも語り手にもなったりするのが面白い。
 『浄め(グスル)』は、ザイナブが殺された弟の死体を水で浄める一部始終が、現在形を用いた触覚的かつ嗅覚的な描写によって生々しく伝えられる。弟への呼びかけは地の文と一体化され、行為の切れ目で詩が挿入される。詩はどれもフォントの種類が地の文と異なり(原書では斜体)、行の位置もばらばら、不自然に改行されたり、空白が置かれたりする。ザイナブの断続的な追憶とも解釈できるし、語り手または全く別の遠い存在からの呼びかけとも解釈できる。また、舞台で言うところの暗転の効果、つまり、読み手に一息つかせる効果も上げている。
 本書の表題作『マナートの娘たち』は、宙に身を投げる女たちのストーリーと、主人公が語る伯母(イスラムの伝統的価値観に縛られない)と祖母(価値観に忠実)のストーリー、主人公が自分自身を語るストーリーに分かれる。ストーリーが変わるたびに、そのストーリーがつづられたページ上の配置(中央寄り、上寄り、下寄り)も変わる。落下していく女たちとは、イスラムのコミュニティーのしがらみの中で生きる何世代もの女性の表象だろう。レイアウトが、女たちの落ちていく姿と循環的な歴史の流れを視覚的に浮かび上がらせる。
 上記以外の短篇も読み応えがある。短編はそれぞれ独立しているが、ひとつに合わさって世代を越えてアラブ系アメリカ人の多面的な現実を描き出しているとも読める。背景知識がある程度ないと分かりにくい箇所も確かにあるかもしれないが、著者の多種多様な小説手法が存分に楽しめる。重層的な物語を主体的に読み解く醍醐味が味わえる一冊だ。
(翻訳者)

「図書新聞」No.3597・ 2023年07月01日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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