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韓歴二十歳 第5章(1)
トンカスの章/落胆のトンカスに奮起した寄宿舎カツ丼の歓喜◆日本食が食べたいけど金はない。ならば作ろうと思い立つ貧なる我ら。
コリアン・フード・コラムニストの八田靖史(はったやすし)が25歳のときに書いた23歳だった20年前(1999~2000年)の韓国留学記。
※情報は当時のもの
<第4章おまけコラムから続く>
<第1章(1)から読む>
◆
5、落胆のトンカスに奮起した寄宿舎カツ丼の歓喜
海外生活において日本食との関係はときに悩ましくも切実な問題だ。短期の旅行ならまだしも、腰を据えて住むとなると時には日本の味が恋しくなる。
ソウルの場合しかるべき店に行けば、多少値段は張るものの、きちんと美味しい日本料理を食べられる。僕のいた新村にも名の通った日本料理店があり、そこに行けば親子丼からラーメン、どてやき、納豆まで揃っていて、日本から来た留学生にとってはある種の駆け込み寺のような存在であった。
僕が観察した限り、日本から来た留学生は大きく3パターンに分けられた。
日本食に固執するタイプと、日本食を食べないことに固執するタイプ、そしてその中間に位置する「ふーん」という人たち。日本料理店があると聞いた瞬間から助かったと飛び出していく人がいれば、
「韓国にいる間は韓国料理しか食わん!」
という極端な姿勢を見せる人もいる。その中間というのは、食べたければ食べるし、なければそれでも問題ないという人たちだが、まあたいていはこの派閥に属す。
僕はどちらかというと固執するタイプだったようで、特に最初の頃はいつも日本の味に飢えていた。別に韓国料理が嫌だというわけではないが、毎日毎日そればかりだとやっぱりしんどい。日本料理を食べたいなあと、しみじみ思っていた。
僕が韓国で暮らし始める少し前までは、日本から吉野家が進出して頑張っていたのだが、残念なことにちょうど全面撤退してしまっていた。
新村の大学前通りには閉店した店舗がそのまま残り、下りたシャッターを見つめながらてっちゃんとふたり、
「あーあ、牛丼食べてぇなぁ」
とぼやきつつ、屋台のプンオパン(タイ焼)をかじって日本食への飢えをしのいでいた。
新村にトンカツ2枚を2900ウォンで食べられる店があると聞いて、大喜びで駆け付けたのもこの頃である。しかも、その店では「王(ワン)トンカツ」を名乗っており、サイズはワラジほどに大きいという。
「このご時世にワラジサイズで2枚とは豪気な!」
「ワラジだけに右足と左足が揃っているということだな!」
「なるほど、店主はよくわかっている!」
そんなバカ話で盛り上がりながら突撃したのだが、まあ世の中、安いものには理由がある。出てきたトンカツは見るからにぺらっぺらで、ジューシーさのかけらもなく、ただひたすら衣ばかりのカツだった。ソースも日本で食べていたものとはかけ離れ、なぜかシナモンの香りがする甘ったるいものであった。
浮かれ気分だった僕らは急転直下で無言になり、その後はまるで盛り上がることなく、食感だけはよい王トンカツを砂を噛むような思いでザクザクと噛みしめた。韓国語には「つ」の発音がないので、トンカツのことは「トンカス」と呼ぶが、トンカツとトンカスでは大きく違うのだとこのとき学んだ。
もちろんこれもしかるべき金額を出せば、脂したたる日本式のトンカツを食べられたのだが、トンカス以上にぺらっぺらの財布しか持たない僕にとっては、そのしかるべき金額というのがそもそも無理な話であった。
結果、自らのトンカツ欲と資金面での折り合いを考えると、延世大学の学食に行くというのが、満たされずとも費用対効果で落ち込まない、もっとも無難な方法であった。
とはいえ、この学食というのが、意外に奥が深い。
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