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韓歴二十歳 第2章(1)

スンデの章/真っ赤なウドンと言い訳の多いスンデ◆デリケートな胃腸の僕にとって韓国料理は難敵だらけ。食べるほどに不幸が襲う。
コリアン・フード・コラムニストの八田靖史(はったやすし)が25歳のときに書いた23歳だった20年前(1999~2000年)の韓国留学記。
※情報は当時のもの
第1章(7)から続く
第1章(1)から読む

 ◆

2、真っ赤なウドンと言い訳の多いスンデ

 留学中、僕のあだ名は「ウンコチェンイ」だった。「チェンイ」とは人の性質や習慣、行動などを表す単語にくっついて、その人を少し見下げていう言葉である。

 少し例をあげると、嘘を表す「コジンマル」という単語について「コジンマルチェンイ(うそつき」。恐れを表す「コプ」について「コプチェンイ(臆病者)」。固執を表す「コジプ」について「コジプチェンイ(意地っ張り)」などがある。

 ウンコチェンイは僕の友人が作った日韓合成語で、しょっちゅうおなかをこわしてウンコ、ウンコと騒いでいる僕を指して言ったものだ。僕の内臓関係諸器官は極めてデリケートにできており、ちょっとしたダメージですぐストライキに突入し、消化吸収能力が失われてしまう。

 前日飲み過ぎてもダメだし、ちょっと食べ合わせが悪くてもダメ、冷房の効いた書店なんかいちばんダメで、乗り物にもかなり恐怖を感じる。朝学校へ行くときの電車というのがまた最悪で、満員電車の中、おなかがぐるぐるいい始めたときの悲しみ苦しみは筆舌に尽くしがたい。

 周りにいる人たちのおなかにテレポーテーションでおすそ分けできないか考えてみたり、

「神様、ボクが悪かったです!」

 と前非を悔いてみたり、ほっぺたの裏側を噛んでこの絶えがたい痛みを他の場所へ移動できないものか試してみたり、ともかくありとあらゆる無駄なあがきを繰り返す。

 そんな内臓を抱えている僕にとって、韓国料理というのは相当に刺激が強い。唐辛子が大量に入っている上、ニンニク、ショウガ、コショウなど刺激物のオンパレードだ。キムチが食卓から消えることはないし、スープはどれも真っ赤、付け合せに生の青唐辛子などが登場したりもする。

 そんな料理を日々食べる生活に突入していったのだから、ガラスの胃腸はあっという間に拒否反応を起こし、布団をかぶってふて寝してしまった。着いた当初は珍しさでなんでもよく食べたが、2週間もするとこれはどうも自分できちんとコントロールしないと大変なことになるな、ということがわかってきた。

 黄さんのアドバイスは食事面に関しても完璧だった。

「あれ、黄さんキムチは食べないんですか?」
「僕はできるだけ刺激物を避けるようにしている」
「せっかく韓国にいるのにですか?」

 韓国に来たら毎食キムチと信じて疑わなかった僕は、食堂でキムチにまったく手をつけない黄さんが不思議だった。

「最初は珍しいから食べるけどね。そのうちだんだん食べすぎるとあかんことがわかってくる。やっぱり子どもの頃から食べ続けているこっちの人とは違うからね。刺激物をたくさん取り過ぎると翌朝必ず後悔するよ」

 そういうものかなあ、と僕はぼんやり聞いていたが、ちょっとキツめの激辛料理に挑戦したあるとき。翌朝の後悔というのが黄さんの言葉通りしっかりとやってきた。内臓だけではなかった。入口で辛い韓国料理は、出口でも辛いのである。

第2章(2)に続く

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