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韓歴二十歳 第8章(1)

パッピンスの章/夏の東海岸男女6人パッピンス物語◆夏休みは年代の近い仲間で海水浴に。若さがゆえの失態も風物詩なのだろうか。
コリアン・フード・コラムニストの八田靖史(はったやすし)が25歳のときに書いた23歳だった20年前(1999~2000年)の韓国留学記。
※情報は当時のもの
第7章おまけコラムから続く
第1章(1)から読む

 ◆

8、夏の東海岸男女6人パッピンス物語

 太陽が溶け落ちる8月の午後。僕、てっちゃん、ユンソギ、トングリ、ウミ、ホシの6人はパッピンスを囲んでいた。クーラーの効いた店内だが、心の奥底がまだ暑い。

 パッピンスとは韓国式の氷アズキ。

 パッがアズキ、ピンスは漢字で「氷水」と書いてカキ氷の総称。日本の氷アズキとはやや異なって、上に載っている具がケタ違いに豪華だ。アズキのほか、バナナ、イチゴ、キウイ、ミカンなどのフルーツに加え、ソフトクリーム、ナタデココ、小さな餅まで加わる。

 僕らがよく行った新村の専門店「アイスベリー」は、人数に応じて2人前、3人前、4人前と、ひとつの器に盛りつけた巨大パッピンスがウリだった。5~6人前相当のキングオブピンスを頼むと、何かの冗談みたいな超特盛りが出てきた。これを全員で囲み、みんなでつついて食べるのである。

 カキ氷というよりは、ちょっとした氷山。

 出てきた瞬間は圧倒されて声も出なかったが、いざ食べようとスプーンを向けると、そこからさらなる驚きがあった。隣に座っていたウミが僕の右腕をガシッとつかむと、

「いきなり食べたら最後に味が薄くなるでしょ」

とスプーンを取り上げる。

 問答無用。自分のスプーンと合わせて両手に1本ずつ持ち、巨大パッピンスを豪快に突き崩し始めた。見れば向かいでも、ホシが同じく二刀流でザクザク。宮殿のごとく美しかったパッピンスは、みるみるうちに紫色のとろろ汁へと変貌を遂げた。

「さ、どうぞ」

 笑顔でウミがスプーンを返してくれた。

 食べてみるとこれが不思議と美味しい。アズキ、フルーツ、ソフトクリームの甘味が渾然一体となり、溶けかけでシャリシャリのカキ氷ともよく馴染んでいる。ときおり顔を出すナタデココと、ひと口大よりもさらに小さな餅の食感がいいアクセントに。なるほどさすがはビビンバの国だと感心したのであった。

「海に行こうよ」

 そんな計画のもと、招集されたメンバーは日本語同好会でも若手に位置する面々だった。僕、てっちゃん、ユンソギが同い年で最年長。トングリがひとつ下。ウミとホシが僕らよりも3歳下で、このふたりは女性である。ちなみに僕は8月生まれなので、このとき24歳になっていた。

 旅行の計画を言い出したのは、前章にもリュウジとして登場したMTゲームの達人ことユンソギである。あのときの集中砲火もそうだったが、彼の年齢だと同好会ではどうしてもイジられ役、あるいは下っ端扱いになった。わざわざ同い年、年下ばかりを集めたのは、まあ納得のできることではある。

 普段は成績優秀な大学生であり、留学経験もないのに会ったときから日本語がペラペラだった。どこで覚えたのか妙にクサいセリフが多く、芝居がかった言い回しが難点とも言えたが、深く付き合ってみると韓国語でも同じだったので、要は彼のキャラクターだった。

「オレはいつか絶対日本に留学するんだ」

と熱く語っていたが、僕から見ると、どこに留学の必要があるのかというレベルだった。本人もそう思い直したのだろうか。2001年冬に突然、PCバンで働いて溜めた資金でカナダ留学へと出かけるのだが、それはもう少し後の先である。

 現時点でユンソギにとっては大学生としての夏を謳歌すること。そして日本語同好会のどの女の子と恋愛するかに頭を悩ませていた。なにやら顔を近付けてヒソヒソ話しかけてきたかと思うと、

「昨日はあの子と夜中に5時間も電話をしたんだ」

と嬉しそうに語っていた。実際のところ、同好会内で成立したカップルは少なからずあり、そのうちの数組は結婚にも至った。

 留学当初、

「日本に彼女がいます」

とうっかり正直に宣言してしまった僕は、そういった流れにまったく乗れず、これは大きな失敗をしたのかもしれない、と密かに後悔したのだった。

第8章(2)に続く

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