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想像上創造飛降自殺

私はあらゆる思考に『海』のイメージが付き纏う。これは生まれ育った場所が島であり、毎日避けられない形で海の様子を見てきたからだ。

創作においても、あたかも水平線を眺め回すような態度では文字通り表面的な作品しか出来上がらない。頭の中の形成された『海』に対し、様々なアプローチをとるのが賢明だと判断した。

【沈潜】と【飛翔】と【全裸】
しばらくはこの3本柱で攻めてみたいと思う。

【沈潜】
これは暗く、血の味がするような、できるだけ人に見せたくないような類の創作。この『底』、あるいはまだ見ぬその『先』に辿り着くには――

【飛翔】
これは対称的に明るく、おちゃらけた、自由に発想を広げるタイプの創作。沈潜とは真逆で、気分は明るくなり、大抵が笑いを堪えながら書いている。そして【全裸】の私が自由に飛び回り、遥か眼下の水面目掛け――

【再び沈潜】
しかし自由に飛翔をすればするほど、次の沈潜は必然より深いモノとなる。期待をするのは水面に叩きつけられる『衝撃』と、暗い海の底にあるかもしれない『何か』に手が触れること。冷たく凍える暗黒の底には、まだ到達はできていないが。


何とか水面に戻れば『日常』が待っている。海面から頭だけを出し陸地を目視すると、私は自分が地を這うウジ虫だと思い出すのだ。

だがウジ虫とて、いずれは蠅となり【飛翔】する。日常からの離脱、機能としての羽を駆使し、闇雲に思考の空を飛び、やがて墜落。

想像を絶する巨大な鯨、厳然とあり続ける巨岩、理解の及ばない不可解な生き物、押し付ける静寂、圧力、窒息、死。

生身の人間がこれらの体験を網羅するのは不可能。社会生活を捨てない限り、命を惜しまない限り。
だから私は『想像』の力を信じる。
人は思い込みで集団ヒステリーすら起こせる才能を持った生き物だから。精神が肉体を支配しうるのだから。

利用しない手はない。

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