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夢の中にいました🐟

【今日は仕事やすみましたぜ】



文字を並べると
私はいろんなものを認識できます
風邪をひいてたみたいです
たまには本音に近づきましょう

最近私には
たくさんの嫌な出来事がありました
『なんで生きてんだっけ』と度々思いました

なぜなら人間が勝手だからです
私が慎重に 慎重に
歩いていると
汚れた自動車で
全てを踏み潰していく

私は対抗として
理論を構築します

『勝手なノウハウの構築』

これが私のイチバンの趣味といえるでしょう
それにより安心を得て 安眠に続きます

この一連をやらないと
謎の焦燥感に支配され

多分死にます

なーんて大袈裟でし
えへへ ○すぞ

まあ言葉を選ばなかった場合

『お前いっぺん○ねよ』

って人間が多いのでし
まあ現実でそんな言葉吐けないので
ここで せめて

私は割と聡明ですが 愚かです
その私を悠々と超える愚かさなのでし

私は人間に期待をしたいのです
私が【勝手に】期待する
そんな大人がいないものかと
いつも探しています



まず、『盲信をしていない』が最低条件です。
言い換えると、『きちんと現実をシビアなものとして認識・了承をしている』人です。

私もその気になりゃあどこまでもメルヘンでスピリチュアルな事を言えます。やりませんが。
しかし、私が読書を通して尊敬した人間は、どこか仏教的な考えを持っていますね、不思議と。

で、『変なスピリチュアルさ』と『仏教的世界観』の区別が今の私にはないので、語れませんでし。

そんで、『現実はシビアだ』と認識し、正論ばかり吐く人間……これはまぁ、間違ってはいないけど嫌いですね。

正論とスピリチュアルの丁度真ん中に位置するもの……私はこれを『情緒』と仮定しています。
どちらにも傾くことなく、情緒の領域に自分を留め続ける。これが理想の『大人像』です。

あんまり詳細に語ろうとすると『物自体が〜』やら『全てには観念が〜』とか退屈になりそうなのでやりません。なので一言でまとめると『株価を気にしつつ、空の青さを見られるかい❓』ってカンジですかね。

何年か前、えっと、私の住んでる所の近くに観光地があるんですね。で、道ゆくクソガキの集団が『あの観光地なんっにもなかったよ〜w』などと言い放っておりまして。

勿論そんなことはなく、綺麗な海、味のある商店街、石垣の隙間にトカゲがいたり、爽やかな眺め、こじんまりした景色……他にもたくさん。

だからクソガキに聞きたいのです。
『じゃあお前、一体何がありゃあ「なにかある」に判別されるんだ』って。
まあ何でも腐してイキりたいのは理解しますけど。せめていい大人なら、同じ事 き っ と 言わないでしょうし。

本音ついでにもうひとつ。
なんかさ、『小さな男の子、女の子、動物たちがにこにこしながら変なピンク色っぽいホワホワしたメルヘンな世界観で仲良くしてる風な絵』ってあるじゃん❓
伝わるかなぁ。

私はどうしてもアレ系が受け入れられないのです。
『どうやって現実を認識したらあのような絵が描けるのか』と、絶望的な疑問があるのです。

仮に『願望のあらわれ』だとしても、みんなでおてて繋いで仲良しこよしなんて……ありえるか?

それとも私が読み取れない、深い意味があるのだろうか。
それともいつか、あのような日が来るのだろうか。

ここまで読んだらわかるだろ❓

私がそこらのクソガキと何も変わりゃしねぇって。
あっはっは。

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