青山泰の裁判リポート 第2回 母親を暴行死させた36歳の息子は、10歳から家事と育児に追われる“ヤングケアラー”だった。

≪実の息子から50回以上も暴行を受けた母親は、意識不明のまま5か月後に死亡した≫
検察官による冒頭陳述で、傷害致死事件の概要が読み上げられた。

2022年7月、佐久間康彦被告(仮名・犯行当時36歳)は、自宅で実母(55歳)の顔や身体を一週間にわたり、計50回以上、殴ったり蹴ったりした。被告人が「母親にしつけのつもりで暴行したが、今日は当たり所が悪かったのか、意識がなくなっている」と119番通報して病院へ。顔や身体に多数のアザがあり、胸骨・肋骨骨折、全身打撲などの重傷だった。

母親は意識不明のまま、5か月後に硬膜下血種などで死亡。その間、コロナ禍ということもあり、親族は一度も対面できなかった、という。
女手ひとつで育てた息子から執拗(しつよう)な暴行を受け、その後死亡した母親の苦痛と無念はどれほどだったのだろうか――。

無職の佐久間被告は、母親の
生活保護費で生活していた。

犯行当時、佐久間被告は無職で、母親の生活保護費で生計を立てていた。母親とは、健康と節約のために、タバコと水に関して約束をしていた。
「最初に暴行したのはタバコのことで。1日3本だけと約束していたのに、母親は1箱吸ってしまったので、1発だけ顔面を殴った。
その後、水を飲むのは1時間に500mlの約束も破ったので、そのたびにしつけとして暴力をふるった」
佐久間被告はそう供述した。

 検察官は「動機は身勝手。季節は真夏で、糖尿病を患っていた母親に水分は必要。医師の指導ではなく独断で水分を制限した。“被害者の母になめられたくない“との気持ちもあった。突発的ではなく一週間に及ぶ断続的な暴行で、被害者の苦痛が重大」と断罪した。

佐久間被告は高校卒業後、販売の仕事をしていた。23歳のとき、母親の借金を立て替えるために消費者金融から借金を。
「督促を無視していたら、会社に電話がかかってくるようになって、退社した。それからは派遣の仕事やアルバイトなど。30歳ころからは母親の生活保護費で生活するようになった」
母親に暴力をふるったのは、今回の事件が初めてだという。それ以前、母親の身体にアザなどがなかったことは、主治医や訪問介護職員の供述からも確認されている。

被告人は、10歳から料理、洗濯、掃除、
7歳年下の妹の世話も

法廷で、被告人の7歳年下の妹が証言した。妹は被害者の娘でもある。佐久間被告が10歳のときに両親が離婚してから、母・兄・妹の3人で暮らしていた。

「母は離婚してから、酒に溺れるようになって、いつも昼間から飲んでいた。酔っぱらって訳がわからなくなり、暴力を振るわれたことも。家事はほとんどせず、兄がやってくれて、私が手伝っていた」
うつ病を患って、その後、糖尿病を発症した母にとって、家事や子育ては大変な作業だったに違いない。しかし、幼い兄妹にとって、頼る大人は母しかいなかった。

離婚した父親は2人の子どもを引き取ることを提案したが、母は「絶対に離れたくない。子どもを取られるくらいなら、殺す」と拒否。父は、毎月15万円の仕送りをしていたという。

妹は、被告人を弁護する証言を続ける。
「母は一人で生活するのが難しい人。寂しがり屋で、“かまってちゃん”だった。私が小学校のころから、学校に行かせてくれなかったり、遊びに行かせてくれなかったり。
制服を破られたり、大切なものを壊されたことも……。私は母に近寄らないようにしていた。兄がいてくれて、本当に助かった」

佐久間被告は、小学4年生のころから、食事、洗濯、掃除とともに、幼い妹の世話もする“ヤングケアラー”にならざるをえなかったのだ。

ヤングケアラーとは、大人の代わりに家事や家族の世話、介護などを日常的に行っている子どものこと。厚労省の調査(2022年発表)では、小学6年生の15人に1人が「家族の世話をしている」と回答。2023年4月、担当部署が厚労省から「こども家庭庁」に移管している。

「自分にも何かできたはずなのに」
妹は涙ながらに訴えた

 6年前に結婚して家を出た妹は、涙をぬぐいながら法廷で訴えた。
「(兄には)刑務所に入らないでほしい。母の世話をすべて任せきりにしていた。自分にも何かできたはずなのに……」

弁護士の「お兄さんひとりに責任を負わせるわけにはいかない、という思いですか?」という問いには「はい。兄の社会復帰を手伝いたいと思っています」と。
裁判官からも妹に対して質問があった。
――事件について気持ちの整理はついていますか?
「いえ、あまり」
――母親については、いい思い出がないということですか?
「はい」
――やはり、そうですか。
「でも、母親は母親なので……」

続いて証言台に立った実父も、佐久間被告を擁護する証言をした。
「息子とは年に一度くらい連絡を取っていましたが、私に相談することはありませんでした。別れた妻(被告の母)の面倒を見ていたことで、相当なストレスを感じてただろう、と思います。社会復帰後は、できるだけ手助けしたい。自分の仕事を手伝わせたい」

法廷での佐久間被告は、小柄でやせていて、憔悴(しょうすい)しきっているように見えた。妹と実父の証言をうつむいたままの姿勢で、時折涙をぬぐいながら聞いていた。

30歳を過ぎたころから、被告人は外部との関係をほとんど断つ生活をしていた。7年前から携帯電話も持っていない。
裁判官は被告人に質問する。
――あなたとお母さんの関係は狂気だと思うが、どう思いますか?
「母は普通じゃない人間だったが、自分も普通じゃないことばかりやってきた」
――自分の息子から一方的に暴力を振るわれて、やり返す力も気力もない、お母さんがどんな気持ちだったか、考えますか?
「……苦しかっただろうな、と思います。母に対して、自分の完璧主義の考えを押しつけてしまった。うまくいかないと暴力に頼ってしまった」
――お母さんに対する復讐ですか?
「恨みや憎しみはありませんでした。身勝手な行動で、母に対して取り返しのつかないことをしてしまった。謝っても謝りきれません」

検察官の求刑は懲役7年。罪名は傷害致死。
検察官は「途中で犯行を思いとどまって119番通報することもできた。予定されていた訪問介護を断ったのは、犯行が発覚するのを恐れたため」

被告人の弁護士は、「暴行は日常的に行われていなかった。訪問介護の看護師も医師もアザがないことを確認している。閉鎖された環境で、犯行がエスカレートしてしまった」と主張した。

裁判長は、「お父さんと妹さんが
あなたが帰るのを待っています」

2023年5月19日、裁判長から告げられた判決は、懲役5年。
裁判長は「幼いころから家事を担当し、ひとりを寂しがる被害者に寄り添った。外部とのかかわりを持たず、ふたりで相互依存するような関係で長く暮らしていたことが、被告人をゆがんだ心理状況に陥らせた」と。

判決の後、裁判長は諭すように被告人に声をかけた。
「もしかしたら、お母さんはあなたが処罰を受けることを望んでいないかもしれない。ただ、今回のことは重く受けとめてください。
お父さん、妹さんが、あなたが帰るのを待っています。自分がやってしまったことを真剣に考えて……きちんと罪を償ってほしい。罪と向き合って、やり直してほしい」
顔を紅潮させて判決を聞いていた佐久間被告は、「……はい」と深くうなずいた――。

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