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ソングライティング・ワークブック 第140週:Violeta Parra(1)

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個々のソングライターをとりあげるにあたって

経験と主観と偶然が選ぶ

これから個々のソングライターごとに書いていく。重要なソングライターというのはたくさんいるはずなので、それを全て取り上げることはできない。これまでに私が聴いてきたもののうち、この人について何か書いてみようかな、と感じたものについて書くことになる。だから、私が実際によく聴いてきた人の中でも、何か書くには至らなかった、ということもあるだろう。だからと言って、その人のものがつまらないとか、そういうわけではけっしてない。たんに何かまとめてみようという気にならなかった、というだけに過ぎない。

選択の範囲

私はいろいろな音楽を聴くし、歌ということだけでも、それこそ時間的にも地理的にも広い範囲に及んでいる。けれど、ここでは漠然と「ポップカルチャー」の中に収まるものの中から取り上げる。このソングライティング・ワークブックの方針だからだ。

「ポップ」と言っても、住んでいる場所や第一言語によってその捉え方はさまざまだろう。これも判断は私の主観によることになる。英語圏からでないものについても書く。

ロックなどには歌よりもギターソロとか、面白いサウンドとか、そういったことのほうが表現の主眼になっているものもあり、そのなかにはおもしろいものもたくさんある。けれど、ここでは歌(言葉と音―ラップのようなものも含める)が対象になる。

ソングライターといっても、ひとりで全部やる人もいれば、チームでやる人もいる。どちらもとりあげる。

予定は未定

とくに誰について、ということは、いくつか頭の中にあるけれど、まだ決めていない。思いつくままに進める。

Violeta Parra(ビオレタ・パラ、1917-67)

最初に思い浮かんだのは

最初に思い浮かんだのがこの人だった。チリのシンガーソングライターといえば、日本ではおそらく1973年のクーデターの後、独裁者Pinochet(ピノチェト)の官憲によって惨殺されたVíctor Jara(ビクトル・ハラ)のほうがよく知られているのかもしれない。Violeta Parraも、クーデターによって倒されたSalvador Allende(サルバドル・アジェンデ)の支持者だったけれど、1967年に自殺してしまったので、1970年にAllendeが大統領になったことも、その後のクーデター(「チリの9・11」と、2001年以降にニューヨークの「9・11」が思い出される度に、こちらのほうも話題になる)によって軍事独裁が始まり、Allendeを支持した人々の多くが殺され、あるいは亡命したことなど、知る由もなかった。

チリでは非常に親しまれ尊敬されている人だ。チリのテレビ局が制作した『Grandes Chilenos(チリの偉人、と訳せばいいだろうか?)』というシリーズがYouTubeに上がっているのを見つけたけれど、Allende、Jara、それから詩人のPablo Nerudaなどと並んで、投票で偉大なチリ人として挙げられている。

おそらく、日本で、彼女の歌として一番知られているのは『Gracias a la Vida』だろうけど、彼女本人の歌唱によってではなく、アルゼンチンの歌手Mercedes Sosa(メルセデス・ソーサ)が歌ったもののほうがよく知られているのではないだろうか。

しっとりと歌われている。Parra本人の歌はこんな感じだった;

比べて聴いて、拍が違う、と気付いた人は多いはずだ。Sosaのほうは4で割り切れるような拍子の取り方(123・223・323・423)になっているけれど、Parraは6で取っている(123・223・323・423・523・623...後半縮む)。歌い方はも伴奏もParraのほうが素朴で速度もやや速い。そのかわりブレスを取るスペースを大きく取る、という感じだ。

Parraは民謡の収集家だった。チリ、それからペルーなども含めて旅行し、各地に伝わる歌を集めて、自らも歌った。それが自らの創作の糧になっていた。

歌の種類も多かった。『Gracias a la Vida』の歌詞はたぶんパーソナルな体験や思いから来るのだろうけれど、社会批判や特定の事件についてのものもある。

また、素朴な普通の長調と短調みたいな歌ばかりでなく、このようなものもある;

また、ちょっとGinastera(ヒナステラ)みたいなモダンな響きのするものも書いている。

また、ざっと聴くと素朴な歌に聴こえるけれど、歌詞は結構複雑なものも多い。私のスペイン語はDuolingoレベルなので、ここは読まなければならない。

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