ソングライティング・ワークブック 第167週:Cole Porter(17)
Every love but true love(本当の愛以外の愛なら何でも取り揃えてます) (3)
Porterのヴァースは面白い
何度も書いてきたことだけれど、この時代の「ヴァース‐コーラス」形式とはオペラの「レチタティーヴォ‐アリア」に近い。ミュージカルの劇中でセリフ劇から歌への移行するためにあるのがヴァースということになる。
よって、ヴァースの歌詞はより説明的になる。ここまでに至った経緯であるとか、状況とかが語られることが多い。メロディも一般的にコーラスのほうが覚えやすい。人々に広まるのはコーラスである。ジャムセッションで取り上げられるのは普通コーラスだけで、「1コーラス目、2コーラス目」とか「ここでラッパのソロ2コーラスね」などと、まるで単位であるかのようにコーラスという言葉が使われていたりする。
と言っても、ヴァースが全くレチタティーヴォみたいかというと、そうでもない。たとえば、Handel(ヘンデル)の『Lascia Qu'io Pianga(私を泣かせてください)』のレチタティーヴォはこんな感じ;
これは、譜面面から想像つけばいいけれど、台詞に音程と伴奏付けた感じに近い。嘆いているので劇的に音は上下するけれど。こういう部分には構造がない。モチーフとかフレーズとか(メロディのという意味で)テーマとかがない。
いっぽうミュージカルのヴァースにも、構造のあまりない即興的に響くものもある。Frank Loesser(フランク・レッサー)なんかは意図的に滑稽に聞こえるようにレチタティーヴォ風のものを書いている。けれど、多くはコーラスと同じように構造を持っている。
ただし小節数などはもう少し柔軟な扱いになる。たとえば『Love for Sale』は10小節のセンテンスが和声を変えて2度繰り返される形になっている;
和声は多少曲がりくねっている("the wayward ways of this wayward town"という言葉に合っている)けれど、最後はB♭で終わる。明るいようで、出口がない感じでもある。
「empty」「heavy」、「street」「tread」「feet」、「cop」「shop」、「down」「town」、「smirk」「work」と韻を踏む。「寂しいお巡りさんの重い足音が街に響くとき、私は店を開ける。」「ひねくれた(曲がりくねった)町のひねくれた道をずっと眺めていたお月様の微笑みがせせら笑いに変わるとき、私は仕事に行く。」
下降していく音型と「heavy」という言葉が合っている。「a lonesome cop」のところの和声はD♭で柔らかく明るくなるけれど、「I open the shop」でB♭マイナーと暗くなる。「the wayward ways of this wayward town」のところは長2度ずつセブンスコードが下降していく。ちょっと変わった響きになる。「her smile becomes a smirk」の移り変わりも面白い。このように、言葉とメロディと和声が互いに互いの存在を正当化しあうようにできている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?