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「こんな音にしたい」という意志をどうやって持つか?(11)

このnoteを始めて、気が付いたらパウル・クレー、エルンスト・トッホ、アーノルト・シェーンベルク、ピート・モンドリアン、そしてドイツ表現主義映画と、モダニズムの中で語られる人々を多くとり挙げてきている。一応音楽についてのブログではあるのだけれど、ある時代のある作曲家を理解しようとするとき、私としてはやはりその時代についてもできるだけ理解し、それが今にどう繋がっているかということについても考えてみたいと思うのだ。今回はチャーリー・チャップリン、F. W. ムルナウ、フリッツ・ラング—特にラングについて。

フィルムに音を記録することで何が可能になったか?

音と映像を同期させる試みはすでにエジソンによって始められていたけれど、サイレントからトーキーへの移行は一朝一夕には起こらなかった。その理由のひとつは技術と採算の問題、もうひとつは芸術性の問題(作者の作風がトーキーを必要とするか、トーキーを使うことで作者の作風の発展に何かメリットがあるか)だ。

技術的な問題について。同期させる技術だけでなく、大勢の観客に音を届けるには増幅(アンプ)させる技術も必要だった。再生する劇場の設備も整えなければならなかった。そのために各社がそれぞれに技術を開発していた。大きく分けて二つの技術—音をディスクに記録してディスクとフィルムを同時に再生する方法とフィルムに映像の横に光学的に音を記録する方法—が競い合っていた。Blu ray vs HD DVD、VHS vs βのような競争があった。

1927年の『ジャズシンガー(Alan Crosland, "The Jazz Singer")』では、当時ワーナーが進めていたヴァイタフォーン(vitaphone)という、音はフィルムでなくディスクに記録され、フィルムとディスクを同時に再生するシステムが採用された。ワーナーは1926年に『ドン・ファン(Alan Crosland, "Don Juan"』でこのシステムに投資していたから、この方法で進めるしかなかったと言える。歌を含む音楽をディスクで再生する映画は前々からあったにも関わらず『ジャズシンガー』が大きな反響を呼んだのは、映像の中の人物が喋る、しかも会話を交わすシーンがあったからだ。

ヴァイタフォーンのような、ディスクとフィルムを同期させるのは非常に難しい技術だったので、ワーナー以外の会社はフィルムの端に光学的に音を記録する方法を開発していた。ひとつの作品をより多くの劇場で上映するには記録の方法も再生する方法も統一した規格がいる。1928年にハリウッド各社はフィルムに音を記録する方法で規格を統一し、ヴァイタフォーンは1931年に実質的に終了する。

芸術性の問題—前回の投稿でも述べたけれど、それまでサイレント映画を作ってきた人たちにとって、トーキーを作ることを制作会社から要求されることは、新しい言語を習うことと同じような労力が必要だった。また、フィルムの上にサウンドを記録できるようになったことが、そのままリアリスティックな会話劇をもたらすわけではなかった。非常に有名な例として、チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin, 1889-1977)は1940年になって初めて『独裁者(The Great Dictator)』という本格的トーキーを創ったということがある。

『独裁者』は普通の会話劇シーンと従来のチャップリンの本分であるパントマイムシーンとの間を行ったり来たりする。音と映像の同期は、まずこのパントマイムシーンをより面白おかしく見せるために使われる—ディズニー的なやり方(実際音楽と動きを合わせることを、映画技法用語でMickey Mousingと呼ぶ)をパントマイムに適用することで戯画的な効果が生まれる。それは、この映画のために特に作曲された部分だけでなくて、ブラームスの『ハンガリアンダンス5番』やワグナーの『ローエングリン』など、既存の音楽を使った部分でも徹底して使われている。音と映像を同期させる技術はこういう場面ではチャップリンにとって居心地の良い世界を引き立てている。

この映画の言葉の扱いは複雑だ。言葉はチャップリンの(主人公のユダヤ人散髪屋の)世界を乱す異分子として、映画に現れる。独裁者の発するでたらめドイツ語は、街のスピーカーを通じてユダヤ人ゲットーの人々の生活を脅かす。このジベリッシュは、もちろん実在した独裁者(ヒトラー)に対するからかい(mockery)であるけれど、何か得体のしれない恐ろしいものを表してもいる。言ってみれば、パントマイムはジベリッシュの独裁に抗って敗れるが、ジベリッシュは意味のある言葉(この場合は英語)によって最後にはひっくり返される。

実際、私たちが日々発する言葉のかなりの部分が、言葉の意味それ自体はどうでもいいことが多い。それが日常で、そういった日常は時に「意味」によって壊されることがある。

『独裁者』での音楽の使い方でよく分析の対象になるのは『ローエングリン』の二面的な使い方だ。独裁者が地球儀の風船と戯れるパントマイムでも使われるし、独裁者と入れ替わった散髪屋によるデモクラシーと自由を讃える演説の後、もしかしたらどこかで聞いているかもしれない恋人に向けて呼びかけ、それを恋人が聞いている最後のシーンでも使われている。

ハリウッド映画の伴奏音楽において、ワグナーの影響はとても大きい。伴奏音楽だけでなく、ハリウッド大作映画そのものがワグナー劇の大衆化と言えないこともない。ワグナーの理想の劇場(バイロイト劇場)とは、仕掛けが観客から見えないところに隠され、観客は第四の壁を通して舞台を観る—つまりスクリーンを観るように作品に没入することが理想とされた。オーケストラ奏者はおろか、指揮者の後頭部や指揮棒も観客から見えてはいけないのだ。そして音楽は最初から最後まで淀みなく観客を運んでいく。それはそれまでの、アリアの終わりにはっきりとした終止があって、観客が拍手を送る、そのようなオペラとは違う演奏者と観客の関係を目指している。映画的なのだ。ワグナーがもう少し遅く生まれていたら、映画を創っていただろうと想像するし、映画作家の中には、ワグナーが十分果たせなかったことを自分がやってみようと考えたいた人もいただろうと想像する(ラングは1924年にずばり『ニーベルンゲン(Die Nibelungen)』を創っている)。

連続する絵だけで語る(ムルナウ)

ドイツ表現主義の映画作家を代表するひとり、F. W. ムルナウ(Friedrich Wilhelm Murnau, 1888-1931)は1931年に事故死するまで、サイレント映画だけを撮り続ける。1926年にアメリカに移住し、FOXと契約して1927年『サンライズ(Sunrise: A Song of Two Humans)』を創る。これはサウンド・オン・フィルムのシステムを採用しているけれど、サイレント映画だ。挿入字幕もある。登場人物の心の変化や環境の変化に合わせて音楽も効果音も変化する。劇的な場面を例として挙げれば、主人公の男がボートの上で妻を殺そうとし、すんでのところで思いとどまる。その瞬間、鐘がなる。ムルナウの場合、たとえば『ジャズシンガー』の歌と会話の部分や、ディズニーなどと比べると、あまり細かく同期させることは意図していないように見える。伴奏音楽は、不穏さや愛や嵐など、その移り変わりを描写する。けれどそれは基本的に1922年の作品『ノスフェラトゥ―恐怖の交響曲(Nosferatu, eine Symphonie des Grauens)』でやっていることと大きな違いはない。『ノスフェラトゥ』はその副題が示唆するように、ロマン派音楽で言うところの交響詩と映像の統合を目指していると言える。音楽にも一貫性が求められ、特にこの映画のためにハンス・エルトマン(Hans Erdman, 1882-1942)によって書かれている。この時代だと通常、生演奏で劇場によってオーケストラまたはピアノで伴奏が付けられることになる。また、グラモフォンなどに録音されて上演されていた可能性もあるが定かではない。ウィキペディアではエルトマンのスコアは大半が失われたとされているが、リンクしたYouTube動画ではエルトマンの名前がクレジットされている。(ちなみにフリッツ・ラングの『メトロポリス』のゴットフリート・フッパーツ(Gottfried Huppertz,1887-1937)によるスコアはピアノリダクションが残っていてIMSLPにも上がっている。)

ムルナウは、いかに挿入字幕を減らして、映像だけで淀みなく物語を説明するかということに腐心するようなところがあった。いかに言葉を減らすか。その極端な例は1924年の『Der letzte Mann(そのまま訳せば「最後の男」だけれど、英語ではThe Last Laughというタイトルが付けられている。話のオチを考えればこの英語タイトルは納得できる)』だ。高級ホテルの老いたドアマンが、化粧室で客が身なりを整えるのを手伝う係りに「左遷」され、それを自分の近所の人たちに見とがめられ、嘲笑され、家族にも拒絶されて家にも帰れなくなり、疲れ切ってホテルの化粧室で眠る、という話が語られる。ここまで言葉は一切使われていない。役者の身体による演技、身なりの変化、表情のクローズアップ、華やかなホテルと男の住まいである貧しい人々が住むエリアを表すセット、男の主観を表すショットなど、いろいろな工夫で物語も登場人物の感情も観客が理解し感情移入できるところまで表現されている。ムルナウ本人がこの話自体は荒唐無稽と言っているらしいけれど(化粧室の仕事の方がチップもらえそうだ)、それでも何となく納得させてしまう。そしてこの後唯一の挿入字幕が現れる—「物語はここで終わるはずだが、作者はこれを哀れに思い、以下の結末を与えることにした」。そしてここから取ってつけたようなハッピーエンドが展開する。淀みない映像による語りの途中で突然作者が闖入する驚き。その「異化」のためだけに挿入字幕が使われる。

スクリーンの世界が自前で伴奏する(ラング)

『Das Testament des Dr Mabuse』の車中からの狙撃暗殺シーンの各カット(下の画はアメコミと同じように、左から見る):

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「ターゲットの車番は1A76259」—その車には黒い帽子の男が乗っている(バ、バ、バ、バ、という低くて鈍いエンジン音)。狙撃手と運転手がそれを追う(高い滑らかなエンジン音)。ターゲットの男はブレーキを引いて停車する。交差点で歩行者が横断する。狙撃手の車が後方から追いつく。彼らはターゲットの車番を確認する。狙撃手が運転手を促すと、運転手はクラクションを鳴らし始める(ブー、ブー、ブーと長い音を繰り返す)。つられて周りの車もクラクションを鳴らし始め、ターゲットの男も調子に乗って鳴らす(ビビッ、ビー、ビビッ、ビーというリズムの繰り返し)。狙撃手たちはクラクションを鳴らし続けながらターゲットを伺う。ターゲットはクラクションを鳴らし続けている。狙撃手が銃を構える。交差点ではクラクションの合唱が続いているが、ビビッ、ビーという音が消えている。歩行者たちは足早に交差点を去り、車たちが動き始める。一台だけ動かない車がある。警察官が笛を鳴らしながら動かない車に駆け寄ってくる。フロントガラスから覗く警察官の驚いた顔。ターゲットの男はハンドルに突っ伏して死んでいる。後ろの窓には銃痕。警察官はドアを開ける。新聞が道に落ちる—宝石盗難事件の見出し。

フリッツ・ラング(Fritz Lang, 1890-1976)は1931年に初めてトーキーを手掛ける。『M』である。次に1933年の『Das Testament des Dr. Mabuse(ウィキペディアによると日本語タイトルは『怪人マブゼ博士』。英語では通常『The Testament of Dr. Mabuse』なので、以前『マブゼ博士の証言』と訳してしまったけれど、内容を表す訳としては『マブゼ博士の信条』ないし『マブゼ博士の遺言』が適当だと思う)』。この後ラングはまずフランスに逃げ1934年『リリオム(有名なミュージカル映画『回転木馬』と同じ戯曲を原作としている)』を撮り、その後アメリカに亡命、1936年からアメリカで作品を撮り始め、1939年に帰化する。

映画の伴奏音楽の約束事とは、その音楽が映画の登場人物には聞こえていないということである。もちろん、その約束事を意図的に破って観客を笑わせたり驚かせたりということは、頻繁に行われる—「暗い森の中を男が何かから逃げるように走る。恐怖感を煽る音楽。その走る人は山小屋を見つけて、そこに駆け寄る。音楽高鳴る。その人は山小屋のドアを開ける。中で音楽家たちがその音楽を演奏している…」—「夕暮れの砂浜。男は座って海を見ている。ちょっと懐かしい古いポップソングが流れる。男は物思いに沈んでいるのか、ただ休んでいるのか。男はイヤホンを外す。波の音とイヤホンから漏れる音楽…」

『M』のあるシーンでは、建物の中で、盲目の風船売りが端で鳴らされたひどい手回しオルガンの音に思わず耳を塞ぐ場面がある。何とその瞬間音が消えてしまう。そしてまた手を耳から離すと、今度はオルガンの音が軽やかに流れ始め、風船売りはそれを楽しむ。手回しオルガンの音は続くが場面は変わって、街の中でその手回しオルガンが道行く人々に向かって鳴らされている。ただこれは、伴奏音楽の約束を破るというトリックではない—『M』にはそもそも伴奏音楽がないのだ。驚きは、観客の視点が急に風船売りの視点に変わってしまうということにある。これはカメラの使い方ではよくある。たとえば、立ち上がって部屋を見まわし何かを探している男がいる。カメラは部屋を端から端まで舐める—観客は「ああ、男の主観だな」と思う。カメラは屑籠のところで静止する。驚いたことにそのフレームの中に男が横から入ってきて屑籠から何かを拾う。観客はいつの間にか男からカメラを手渡されたことになる。ラングのこういう主観と客観のすり替えはヒッチコックなどにも通じるし、また観客にフレームの存在を意識させるやり方はゴダールにも通じるところがあると思う。

『M』

『M』では、映画の中の世界で鳴らされる音だけが使われている(物語が始まる前に一発だけゴングらしい楽器が鳴らされるが)。けれども、手回しオルガンの例にあるように、ある場面で登場人物が鳴らした音や環境の音がそのまま使われているのでなく、再構築されている。それぞれのシーンで鳴らされる音も選別されていて、本当は目立って聞こえるはずなのに無音になっていることもある—夜の街を捜索する警官たちの隊列など。また、登場人物が出す音にも、リズムを刻む音—たとえば幼女がボールをドリブルしながら道を歩く—が巧妙に組み込まれている。

物語はこう始まる。ゴングが鳴り、そして沈黙—黒画面。子供の声が聞こえる。「待っててごらん。じきに黒い服を着た男がやってくる。男はその鋭い肉包丁で、あんたをミンチにするよ」という遊び唄なのだ。カメラは高いところから円になった子供たちを捉えている。一人が「どれにしよーかな…」の要領で皆を順に指さしながら歌う。「ミンチにするよ」と止まったところで指さされた子供が円から外れる。カメラはゆっくり向きを上に変えて、ベランダから子供たちに声をかける誰かの母親らしき人を捉える—「そんな物騒な歌歌わないで」。

動くカメラは私たちにとっては普通だが、この時代にはまだ新しい技術だった。前回紹介した『喜びなき街』でも、カメラを水平に動かして肉屋に行列を作る人々を捉えるシーンはあったけれど、それぐらいしかない。ラングにとっても、上下にも水平にも自由に動くカメラはこの『M』が最初で、彼はこれを長回しでふんだんに使う。それは観客に神か天使の視点を与える—たとえばひとつのビルのある階で起こっていることを見せた後、その上の階で起こっていることを見せる

この映画は、ひとりの幼女連続殺人犯を、警察と、街を牛耳る犯罪組織の両方が追いかけるという話である。幼女が殺されるシーンはない(そういう映画ではない)。連続殺人の話だけれど、劇中で被害者として示されるのはエルジーという幼女ひとりだけである。そのエルジーと殺人犯が出会うシーンもワンショットで撮られている。

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学校の帰りらしき幼女、ボールをドリブルしながら歩道を歩く。柱を見つけてそれにボールをバウンドさせて遊び始める。柱のポスターは、連続幼女殺人事件または行方不明の幼女について、情報を求めている。犯人には10000マルクの懸賞金が懸けられている。そのポスターに帽子をかぶった男の影が映る。影は話しかける—「可愛いボールだね。お名前は?」「エルジー・ベックマン」。

その後昼食を作りながらエルジーの帰りを待つ母親(最初のシーンでベランダに登場した女性)のシーンと、街角の盲目の風船売りから男が風船を買いエルジーに与えるシーンが続く。男はグリーグの『ペール・ギュント』から『山の魔王の宮殿にて』のフレーズを口笛で吹く

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そしてまた母親のシーン。

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カメラは、窓を開けて「エルジー、エルジー」と呼ぶ母親を背後から捉える。次はアパートの階段を上から見たところが母親の姿なしで捉えられる—母親の視線の先を観客が見ているということになる。「エルジー!」と呼ぶ声がオーバーラップする。空っぽの屋根裏の選択物干し場に再び「エルジー!エルジー!」がオーバーラップする。エルジーのいない食卓—無音。草むらにボールが転がる—無音。電線に風船が引っ掛かる—無音。

会話の声、クラクション、時を告げる鳩時計、そして無音—伴奏音楽がなくても緊張を高め、街のどこかで恐ろしいことが起こっているということを(しかも殺人シーンなしに)暗示することができる。つまり映画の登場人物に聞こえる音だけで音楽にしてしまうのだ。

実はこの映画の主人公は犯人を追いかける市井の人々である。犯人を挙げるのにいまいち能力の劣る、しかも官僚的な警察(ちょっとユーモラスなロフマン刑事はそれなりに有能だけど)は、事件を口実に「夜の街」で職務質問やいろいろな犯罪の一斉検挙をやり、それに困ってしまった犯罪組織が自分たちで犯人を捕まえようとする。そして実際に犯人を捕まえ、自分たちでカンガルー裁判を始めてしまう。今の「自粛警察」じゃないけど、自警団的なものというのは往々にしてやり過ぎる。関東大震災のときに起こった朝鮮人虐殺にしても、インドネシアの『The Act of Killing』というドキュメンタリーに描かれていることにしても、ナチスが勃興したころのユダヤ人狩りにしても、アメリカの、かつてはクー・クラックス・クラン(1915年のグリフィスの白人至上主義的映画『The Birth of a Nation』のおかげもあって復活した)や、今なお白人の自警団が何も悪いことをしていない黒人をしょっちゅう殺していることにしても。ちなみにラングは渡米後の最初の作品でも集団によるリンチを主題に作品を創っている。1936年の『Fury』という映画だけど、これは当初黒人のリンチについての映画をラングは撮りたかったがMGMがそれを許さなかったので、誘拐犯と誤認される白人の話になったものだ。それでせめてもと冒頭の方に歌う黒人女性、終わりの方に黒人バーテンダーを登場させたのだろう。勘のいい観客なら何かを連想するだろうから。

ノイズの合唱、ノイズのダイナミクス

『Das Testament des Dr. Mabuse』では冒頭タイトル画面でバルトークの『不思議なマンダリン』の冒頭と似た喧噪を表すようなオーケストラの音楽が使われているが(『ノスフェラトゥ』のハンス・エルトマンによる作曲)、『M』ほど極端ではないけれど、劇中で伴奏が入る部分は非常に少ない。映画の外の世界の音—伴奏音楽—は一種の特殊効果として使われている。マブゼの亡霊のようなものが現れるシーンと、終わり近くのカーチェイスのシーン(ここでもマブゼの亡霊が現れる)など、そういうちょっと特殊な部分だ。『M』で『ペール・ギュント』の口笛が殺人犯のライトモティーフになったように、ここではエルトマンのスコアがマブゼの亡霊のライトモティーフである。

そのまま冒頭シーンを続けて見てみよう。音楽はティンパニの音だけが残って、そこに印刷所の印刷機が回る音らしいノイズが被ってくる(話の内容からそう後でわかる)。ティンパニの音が消えてリズミックなノイズだけが残るが、それがほぼ4分続く。倉庫部屋らしいところで、カメラが壁際を舐めるように捉える。機械の振動でいろいろな物が揺れている。カメラは隠れている男を捉える。リンクしたYouTube動画の7分ぐらいまでのところを観れば、いかにリズミックな持続、無音、物が落ちる音、爆音などがスリリングに使われていることがわかるだろう。

先に挙げた狙撃シーンでは車のクラクションの合唱が起こる。また、この映画では当時のテクノロジーについても何かを言っているようなところがある。そんな1シーン—犯罪組織の一員であった男が恋人に諫められ組織を抜けようとするが、二人とも組織に捕まってしまい、彼に指令を下してきた謎の人物(いつも姿を見せないでカーテンの向こうから声だけを聞かされてきた)の前に差し出される。男は声のするカーテンに向かって発砲する。カーテンの向こうには人はおらず、スピーカーがあるだけだった。スピーカーの声は「お前はここを生きて出ることはない」と言う。今度はチッチッチと小さな音が聞こえてくる(時限爆弾らしい)—そのダイナミクスの変化も面白い。

また、こんなシーンもある—ドアノブに手を掛けると「邪魔をしないでくれ」という声が部屋から聞こえてくる。無理に開けて入ってみるとグラモフォン(レコード)が仕掛けられていて、ドアノブが動くと声が再生されるようになっていた。

合唱と言えば、ラングは集団の使い方が面白い。それは「動きの合唱」とでもいうべきものだけれど、それはモダンダンスやダルクローズなどとの関連で書いてみたいので、次の投稿か、またの機会にしたいと思う。

没入することだけが劇場体験ではないけれど

今日、古典的なオペラやバレエを初めて観る人は、アリアやダンスがひとつひとつ終わるごとに観客が拍手をし、歌手やダンサーがお辞儀をすることに、違和感を憶えるのかもしれない。それはそういうものなんだな、と、慣れてしまえば何でもないことではあるけれど。私たちは比較的長い時間、音や映像や物語の筋や会話の流れに身をゆだねるという観賞の仕方に慣れていると言える。でもそれは、舞台芸術の長い歴史から見れば、比較的新しい鑑賞の仕方と言える。おそらくワグナーあたりから始まったのだ。

たとえば、あなたが小さな劇団をやっていて、「劇場はやっぱり完全暗転ができなくちゃ」とか「2時間以上ある作品でも休憩なしにしたい。流れが途切れるのは嫌だ」と考えているとすれば、それはワグナーとまでは言わないが、映画的な没入という観賞の仕方がデフォルトとして身に沁みついているからかもしれない。たとえば、あなたが作曲家でオペラを書いてみたいと思っていて、そのオペラは「途中で観客の拍手が来るようなのは自分の作風には合わないな(武満徹がかつて大江健三郎との対談でそう言っていた)」と考えているとすれば?

そもそも劇場とは鑑賞の場というだけでなく、社交の場でもある。人がそこに集まるということ自体に意義がある。不運にも演目がつまらなかったとしても、そこでパフォーマーや観客の誰かと会ったりして、ロビーでワイングラス片手に話がはずめばオーケーということもある。内容そっちのけでオペラグラスでほかの気になる客に誰か新しい連れがいないか偵察する人がいたとしても、劇場としては役割を果たしている。それは私たちの日常において、会話というものが、会話をすることそのものに意義があって、その内容は往々にして大事ではないことに似ている。その内容が大事でないからこそ、その会話が大事であるということも、あり得る。

パフォーミングアーツというのはそもそも演技する人とそれを見る人とが一体となってひとつの祝祭的な場を作り上げることを目的としていたと思う。プラトンに至っては演じる側と観る側との分離にさえ否定的だった—あのギリシア劇が好きではなかった。皆が歌って踊る、祝祭的な場とはそうあるべきだと主張した。一方が受け身でもう一方のトリックにある意味騙される、そういうのを良しとしなかった。

拍手、歓声、ブラボー、唱和すること、ダンス、ブーイング、モッシュ、ヘッドバンギング、ウェーブ、などなど、ジャンルによって推奨されるやり方は異なるけれど、それぞれが観客が場の形成に参加する方法だ。映画的没入はそんな参加方法のひとつでしかない。観客はパフォーマンスを増幅する(スポーツもそうだ)。皆が踊る盆踊りから、ワンルームマンションで夜中にイヤホンで音楽を聴く行為との間には、様々な参加の仕方がグラデーションをなしている。

今こんな状況で、音楽家も演劇人も場をインターネット空間に移すことを余儀なくされて、そこで試みられていることとは結局、観客による増幅機能をどうやって実現するかということだろう。インターネットによるコミュニケーションの良いところはその双方向性だと言われてきた。テレビやラジオと違う、誰もが受けるだけではなく発信することができる、と。そうは言っても、いいねボタンやチャット以上に人々の身体をどう参加させることができるか?

私にはそういうことを何でも考えるような力はない。それに今はそういうことを何も実践していないので、何か言ってもあまり裏付けがない。けれど、劇場とは?パフォーマンスとは?コミュニケーションとは?と、原理的な問いについて嫌でも考えさせられるこの状況は、興味深い。

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