ソングライティング・ワークブック 第183週:Leonard Cohen(4)
「私を招待するようなクラブには入りたくない」タイプの人間だって?―そんなこと自分でわかってる
1979年にミュンヘンでテレビのために収録されたライブ映像より。
まだあのめちゃくちゃ低い声でぼそぼそつぶやくスタイルではない。
「求めるな」と言われて諦めたら今度は「求めよ」と声がする
歌の後半でこう言っている;
木製の杖に寄りかかる乞食は「そんなに多くを求めなさんな」と言い、暗いドアの影から可愛い女が「ねえ、なんでもっと欲しがらないの?」と声をかける。それは結局、話者自身の心の声とも言える。話者自身の心の揺れなのだ。
昔、insecureという言葉の使い方を覚えたことがあったことを思い出す。insecureという言葉は「頼りない」「不安気」「自信に欠ける」「危なっかしい」など、文脈によっていろいろな日本語に訳され得る。insecure personというように、人を形容するように使われた場合、それはちょっと特別な意味合いを持ってくる。
試しに「insecure person」でググってみるといい。たちまち「こんな人はパートナーとしては避けよう―その人がinsecureであるサイン」みたいな見出しがずらりと並ぶ。だいたいが「劣等感の裏返しにナルシストで、同情心に欠け、周りの人々を操作する…」みたいな説明が付く。周りを不幸にするとされているのだ。
「死産された赤ん坊のように、角のある獣のように、私に近づく者は皆引き裂いてきた」。ちょっとドキッとする言葉の選択だ。冷たくしたり嘘をついたりして、いろいろな人々を傷つけてきた、あるいは突き放してきた。でも、あなたに対してはそうではなかったつもりだよと、この歌は言いたいのだ。
でも、この話者の真実は本当には誰にもわからないだろう。ただ相手を傷つけまいと誠意あるふりをしているのかもしれないし、またそうして自分を守っているのかもしれない。話者本人にもわからないのかもしれない。信用できない話者だ。
なぜそう感じるかというと、―興味深いことに―こうして相手に対して語りかけている部分と、話者自身の様子を描いている部分との間に、つながりのようなものが読み取りにくいというところだ。つまりこの歌の言いたいことは2つで;
私は自由であろうとした
あなたは私にとって特別だった
ということだろうけど、この2つがどうつながるのか。互いに相反してどうしようもなくなったということなのか。歌はそれを示唆しているようではある。でも、―想像だけど―自由であろうとしたから「あなた」に出会えたのではなかったか?
冒頭の歌詞は、自由であろうとしたやり方も、あなたを大切にしようとするやり方も、どことなく不器用であった様子がうかがえるようになっている(韻は器用だけど);
「電線の鳥のように、夜中の酔っぱらいの歌のように」自由になろうとした私が一方にいて、「釣り針の虫のように、時代遅れの本に出てくる騎士がそなた(thee)のリボンをずっと携えるように」相手を想っていた私がもう一方にいた。
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