【小説】オネエは排除致します

 ――オネエは排除致します。
 新宿二丁目自治州の州知事選挙が終わった後、勝利演説の場に立った大池小百合はそう言った。まわりがざわつくのがテレビ越しにもわかる。
 ――この新宿二丁目自治州知事選挙、立候補にあたりまして3つのゼロを目指すことを公約として参りました。性病ゼロ、セックスドラッグゼロ、そしてそのためのオネエゼロでございます。
 大池新知事がテレビの前で高々と宣言した。
 真夏の選挙戦、その暑さに比べて選挙自体はイマイチ盛り上がりに欠けた。
 前州知事の青島真二郎はキャスター出身で保守派の大池小百合を指名。それに対して州議会野党は弁護士で革新派の山西直人を擁立し、事実上の一騎打ちであった。しかし大池候補はテレビ出演も元々多く、知名度で歴然とした差があった。また州議会の多数派も大池候補を推薦したことにより告示された時点でほぼ決まったも同然であった
 大池候補は選挙戦の最中、街頭演説は最低限に抑えていた。そのかわり商工会議所、経済同友会、市民団体などの業界団体への根回しに精を出していた。マスコミからの取材は積極的に受けてはいたが、厳しい質問からは巧妙に話を逸らしていた。
 対抗馬である山西候補は大池候補とは逆に街頭演説を積極的に行っていた。州議会野党以外に大きな支持母体を持たないため、さながら空中戦の様相を呈していた。しかし弁護士出身の彼は真面目なのだがいかんせん話がつまらない。街頭演説を行っても集まる聴衆はごくわずかであった。
 州知事選挙最終日午後7時半、大池候補は新宿駅前で最後の街頭演説をしていた。テレビへの露出が多い彼女をひと目見ようと、多くの人で賑わっている。
 ――この選挙を通じて、新宿二丁目を取り戻す! そのためにわたくしは3つのゼロをお約束致します。性病ゼロ、セックスドラッグゼロ、そしてそのためのオネエゼロでございます。
 今思うと、大池候補がオネエゼロを公言したのはこの時だけであった。しかし選挙終盤、しかも最後の街頭演説で発しただけの内容に注意を払うものは誰もいなかった。
 州知事選挙投開票当日。結果は全体の7割以上の得票率で大池候補の圧勝であった。投票が締め切られた夜8時と同時に当確のニュース速報が流れる、所謂“ゼロ打ち”であった。
 旧東京都から新宿二丁目自治州が誕生して今年で20年になる。ここ、新宿二丁目自治州ではLGBTをはじめとするあらゆる性的少数者の権利を認めた特別行政区だ。新宿二丁目自治州では同性婚は法制化され、性適合手術は保険適用である。もちろん同性同士のカップルでも里親となる権利も認められている。
 元々ゲイタウンとして新宿二丁目というエリアが存在したが、新宿二丁目自治州の範囲は昔の新宿二丁目よりはるかに広い。旧新宿区エリアはもとより、旧渋谷区、旧港区、旧品川区がその範囲だ。
 このような特区を作ることは批判もあった。しかし国内で盛り上がるLGBT権利獲得運動に対して当時の日本政府がうんざりしていたというまぎれもない事実もあった。保守派の政治家達は支持者向けにそれらの運動に対して強い姿勢で立ち向かわなければならず、かと言って国際的な流れから無視もできないという板挟みの状態であった。
 ――特区を作れば良いのではないか。
 そう提案したのは与党民主自由党の中堅議員であった。法整備を全国的に行うのは難しい。であれば実験的に一部の地域を特区として指定して、先進的な政策を実現させる。新宿を拠点としてリベラルな風土と言われている渋谷区や港区、品川区あたりから始めてはどうか。
 これらの都市には与党議員がいないことも幸いした。自分たちの力が弱いところを切り離せれば、相対的に党派の勢力は増す。東京都内の区4つで話が収まるのであれば傷も浅いと考えたのだろう。新宿二丁目自治州の法制化はあっという間に行われた。
 ――今こそLGBTをはじめとする性的少数者であっても、男は男らしく、女は女らしくというのを今一度考えていただきたいなと、こういうことでございます。もちろんLGBTを差別する意図はございません。性的指向と違い、話し方というのは後天的に身につくものでございますから、ぜひとも今現在ホゲている人にあたりましては、話し方を見つめ直すきっかけにしていただきたいなと思います。私は州知事として一人一人が生き生きと輝ける、そのような街を目指していきたいなと思います。
 ゲイバーで働くミツアキはこの就任会見をなんとなく流していたテレビで見ていた。新宿二丁目自治州であってもゲイバーは未だ健在で、ミツアキの働く店は週末ともなると椅子が足りなくなるため、立ち飲み客まで出るくらいだ。
「なんだか難儀なことになったわねぇ……」
 そう言いつつもどこか他人事であった。ミツアキ自身、今回の州知事選挙へは行っていない。幼い頃から自分のセクシャリティは自覚しており、どうせ住むならオカマが周りにいた方が楽しいでしょ! くらいのノリで自治州へ移住してきた。そのため土地への愛着は薄く、ゲイ関係以外の活動へは無頓着であった。選挙も移住してきてからは1回も行っていない。
 新宿二丁目自治州では設立以来ミツアキのように移住してくる者が後を断たない。パートナーと法的に結婚するためであったり、性適合手術を受けるためであったり、同性同士のカップルで子どもを持つためであったり理由は様々だ。その結果、なんらかの性的少数者に属する者の割合は3割を超えた。いくらなんでも3割を敵に回すことは州知事であってもできないだろうと思った。

「おはようございま~す」
 ミツアキの出勤は遅い。酒類を提供する店は元々開店が遅いが、ゲイバーの場合はさらに遅い。ミツアキの働くゲイバー“アニマート”も21時開店で朝まで営業している。
「みっつんおはよ~。ねぇ、昨日のアレ見たぁ?」
 ミツアキの同僚、マナブが問いかけた。昨日のアレ、とは言わずもがな州知事の「オネエは排除します」発言のことだろう。朝のワイドショーでも長々と特集を組んで報道していた。
「見たけどさぁ、オネエの排除なんてどうせ無理でしょ? あたしたちがどんだけいると思ってんのよって感じよねぇ」
「そうよねぇ。あたしも最初聞いたときはおったまげたけど、冷静になって考えたらオネエの排除なんて無理に決まってるわよね」
「だいたいにおいてここの経済回してるの誰だと思ってんのよ! オカマあってのニチョウメでしょ」
 まるで泳いでいないと死んでしまうマグロのような勢いで、お互いに早口で捲し立てた。
 ゲイバーにも色々と種類があるが、アニマートは店子と呼ばれる店員がカウンター越しに接客するタイプの店だ。アニマートの店子は基本的にオネエ言葉を使いその場を盛り上げる。客はゲイでもゲイでなくても(あるいは女性であっても)良いが昔から馴染みの客も多く、ゲイの方が多い。
 ゲイバーに限らずお酒を出す店であればそうであるが、月曜日は客の入りが悪い。そのためミツアキとマナブは無駄口を叩きつつ、ダラダラと開店準備をしていた。
 やがて開店時間を30分も過ぎるとぽつりぽつりと客がやって来る。馴染みのゲイ客であるが、本名は皆知らない。ゲイコミュニティだけで通用する名を名乗り、この街の夜を楽しんでいる。
「オレらはホゲてないから別に困らないんだけど、2人的にはどうなわけ? 昨日の知事の発言」
 客の1人がミツアキ達にそう問いかける。彼が言うようにゲイであってもオネエ言葉を使う人間は実はそう多くない。ゲイとは男性が好きなので、男性的な人を好む。そうすると女性的な言葉遣いであるオネエ言葉を使っていると、ゲイの恋愛市場では不利な状況が生まれる。そういった事情もあって、オネエ言葉を使うのはゲイバーなどで働く“プロのゲイ”や意識的に使ってコミュニケーションを円滑にしようとする人に限られる。(余談であるがオネエ言葉だと多少キツイことを言っても許される風潮がある)
「こちとらゲイ歴何年だと思ってんのよ! ポッと出の知事なんかに負けないわ~」
 多少おどけて返事をする。客の方も話題には出したが、本気で心配しているわけではないのだろう。終始ニヤつきながらミツアキに絡んでいた。
「まぁそうだよね。オネエって最強であり最恐だから(笑)みっつんもマナブちゃんもそんなタマじゃねぇよな」
「そりゃそうよ。プロのオカマ舐めないで!」
 客へ適当に返事をしつつ、キープボトルから焼酎のお茶割を作る。店子として働くようになって十年。夜通し働くのは年々キツくなっていくが、話しをしながら酒を作るという一連の動作は体に染み付いていた。もう若くはないが、おそらくゲイバーの店子として生涯を過ごすのだろうと思っていた。
「あ、いらっしゃあせぇ~」
 日付が変わる頃、新しい客が来た。
「2人なんだけど入れる?」
「カウンターの空いてる席どこでも座って~!」
 ゲイバーアニマートの夜は更けていく。

「ちょっと何よこれ~!?」
 ゲイバーアニマートのサダ子ママが素っ頓狂な声を出す。ママの手元には役所から送られてきた封書の中身が握られていた。

                        XX衛保健推1673号
ゲイバーアニマート                 XXXX年8月31日
代表 中島貞夫様

                        新宿二丁目自治州知事
                                  大池 小百合
                                   (公印省略)

女性的言葉遣いをする男性同性愛者従業員の把握について

 日ごろから、自治州における行政への御理解と御協力をいただき、御礼を申し上げます。

 さて、新宿二丁目自治州では、性感染症、セックスドラッグを根絶するために、女性的言葉遣いをする男性同性愛者について適切に把握をしたいと考えております。
 このため、下記の対象者の個人情報について、任意での御提出をお願い致します。

                   記

1 対象者
 女性的言葉遣いをする男性同性愛者従業員

2 個人情報
 (1) 氏名
 (2) 住所
 (3) 生年月日

3 提出先
 新宿二丁目自治州西新宿二丁目3番1号 州庁第一本庁舎30階
 衛生保健局健全育成部健康推進課男性同性愛者担当

 要するにオネエ言葉を使う店子の個人情報を出せという文書が送られてきたようだ。
「ねぇサダ子ママ。あたし達の情報も提出するの?」
 ミツアキが不安になってママに問いかける。
「提出しないわよ。大体これ任意なんでしょ?だったら出す必要なんかなし。あたしは従業員を売り飛ばしたりしません。さ、みんな仕事するわよ!」
 役所から来る文書というのはそれだけで迫力がある。権力という後ろ盾があるからこそ、従わなければならないプレッシャーがかかり、それが秩序となる。
 ミツアキは不安に感じつつもママの力強い姿勢に胸を撫で下ろした。ゲイバーアニマートで働いて十年、様々な危機があった。客同士のケンカで警察沙汰になったことも一度や二度ではない。今回の件も些細なことだ。
 キープボトルを磨きつつ自分に言い聞かせ、開店時間を待つ。ミツアキはこの時間が嫌いではない。作業自体は単純であるが、客がいないからこそママや他の店子と営業中にはできないコミュニケーションができる。
 今から20年前、ミツアキは過疎の進んだ地方で思春期を過ごしていた。若者が少なくなった街で級友は、数少ないながらも好いた惚れたと青春を謳歌していたが、ミツアキの場合はそうはいかなかった。
 ――自分みたいな人に会ってみたい。そのためにも高校を卒業したら絶対に東京に行く。
 その硬い決意だけが心の支えだった。
 それから月日が経ち当初の目論見通り無事上京。両親は実家の畑を継ぐことを求めたがどうにか振り切った。何回か引越しを繰り返すうちに住所も知らせなくなり、もう何年も連絡をとっていない。
 上京してから十年後、新宿二丁目自治州の誕生が決まったのをきっかけに旧新宿区へ引っ越した。家賃の値上がりは苦しかったが、自分の田舎のことを考えると楽園のように思えた。
 アニマートでの仕事は性に合ってるのだと思う。客と話すのは苦でないし、同僚の店子も気の合う人ばかりだ。最近サダ子ママから2号店を出すからやってみないかとの誘いも受けた。今はまだ悩んでいるが、任せてもらえるならやってみたい気持ちもある。
 今のところ恋愛以外の人生はうまくいっているのだと思う。この街で一生何かをしていたいと思うようになった。

「私たちは、大池州知事の強権的な監視社会化に抗議をします」
 たまの休日に買い物でもしようかと新宿まで出かけた。ミツアキが駅前を通ると、マイクを使って抗議運動をしている人がいた。
 役所から例の文書が送られてきてからというもの、こういった抗議運動を目にする機会が増えたように思う。
 運動の担い手はどう見ても60~70代で、ミツアキと同世代の者は皆無だった。こんなことしてもどうせ何も変わらないのになとミツアキは思う。駅前で演説をしていても立ち止まるものは誰もいない。むしろ多くの人は顔をしかめつつ前を通り過ぎていった。
「選挙期間中、果たして大々的にオネエを排除するということを政策として語ってきたのでしょうか。公衆衛生と言葉遣いに関係性についてきちんと説明してきたのでしょうか。私たちは満腔の怒りをもって弾劾する!」
 うるさい、迷惑、邪魔。道行く人からそんな心の声が聞こえてくるようであった。
「オネエへの弾圧に一緒に抗議しましょう」
 そう言っておそらく手作りであろうチラシを手渡された。白黒の印刷で、小さい文字がびっしりと書いてあるように見えた。ミツアキは無視して通り過ぎた。抗議活動するなら余所でやってくれないかなと思った。
 一度受け取られたものであろうチラシが、丸められてゴミ箱の中に捨てられていた。

 いつものようにミツアキが出勤すると、アニマートの3軒隣のゲイバーアジタートの前が物々しい雰囲気に包まれていた。パトカーが止まっており、規制線が張られているのも見える。
「みっつん! 着いてたのね。とりあえず1回中へ入って」
 誰かと思ったら今日は休みのはずのサダ子ママがいた。促されるままなアニマートへ入る。
 中へ入るとすでに今日出勤予定のマナブとユキがいた。普段はうるさい2人が青い顔をして座っている。
「二人にはだいたい話したけど改めて言うわね。アジタートにガサ入れがあったのよ」
 アジタートはアニマートと仲が良い店だった。元々ママ同士が昔からの知り合いで、2店舗合同でイベントなども行ってきた。
「え……なんでまた……」
「風営法の違反ですって。たいした罪にはならないと思うけど、お店的には大損害よね。あれだけ大々的に警察が来ちゃったらお客さんだって不安になっちゃうから……」
 この近辺のゲイバーは風営法における1号営業の届け出をしていない店が多い。元々ゲイバーではキャバクラ等と違い、カウンター越しに接客をする。カウンター越しの接客だけであれば二号営業の届け出だけで良い。ただしキャバクラのように客の隣に座るなどの「接待」にあたる行為は一号営業の届け出が必要だ。今回は店子と客が一緒にカラオケをするという行為が、カウンター越しであっても「接待」と見做されたことによって警察に目をつけられたらしい。
 アニマートにもカラオケ機器が設置されているため他人事ではない。
「でもね。今回の件は風営法違反が本質じゃないのよ」
 サダ子ママとアジタートのママは仲が良いこともあって、この前送られてきた「女性的言葉遣いをする男性同性愛者従業員の把握について」の文書について話し合ったらしい。そして2人共「従業員を売ることはしない」と意見が一致したそうだ。
 ゲイバーの店子として働いている者の中にはワケありな人もいる。ワケありな中でうちの店で働いてくれている人を、あんなオネエを目の敵にしている人に渡すわけにはいかないと。
「とりあえず今日は臨時休業よ。うちにもカラオケがあるからいつ目をつけられるかわかんないわ。今日出勤してない子にはあたしが連絡しとく」
 サダ子ママはそう言うと、店の奥へと消えていった。

 結局警察はアニマートの方までは来なかったが、アジタートは閉店に追い込まれたようだ。アジタートのママは初犯ということもあり、すぐに釈放されたようだがすっかり憔悴してしまってもう店をやる気力がないそうだ。
 アニマートも結局3日間程臨時休業し、その間に店子はカラオケ機器の撤去、サダ子ママはアジタートのママのため弁護士の手配や面会などに奔走した。
「寂しくなるわねぇ……」
 開店前の準備中にミツアキはひとりごちした。
 店子のバースデーイベントの時などはお互いにシャンパンを入れに行ったりした店がなくなるのは感慨深いものがある。売り上げが下がったことなどが理由ならまだ納得もできるが、今回の理由ではなんとなく後味が悪い。
 今のところサダ子ママは役所へ店子の情報を出すつもりはないようだが、ミツアキはもう出しても良い気がしてきている。下手に目をつけられるよりはよっぽどマシだ。
 あれからというもの、アニマートの客も減りつつある。アジタートと関係がある店だというのとは周知の事実だったので、無理もない話だ。

 明け方4時に店を閉め、7時過ぎに自宅へ着く。軽くシャワーを浴びて酔いを醒まし、途中のコンビニで買ったサンドウィッチを朝食とするのが日課だ。
 なんとなくテレビをつけたところ、ワイドショーからゲイバーの倫理観を問う特集が流れてきた。
 ――ですからゲイバーではこういった法令違反が日常的に行われていたわけですよね。
 コメンテーターがしたり顔でしゃべっていた。先日のアジタートでの件以降、警察からの締め付けは一層厳しくなっていた。風営法違反だけではなく、動画サイトの映像を店内で流すと著作権保護法など、今までではなんとなく見過ごされていたものまで取り締まられるようになった。
 知った風な口を利きやがって。正直なところそう思う。あれから小さな違反も取られまいと、アニマートも色々なものを捨てていった。客からもずいぶん残念がられたが、仕方がなかった。

 昼間寝てから夕方に起きだす。今日も店に出勤だが、その前に家賃を払いに行く日だ。普通家賃は銀行振り込みのところが多いが、今住んでいるところは大家さんが古い人間のせいか、今時めずらしく直接払いに行く形式だ。
 軽く身なりを整えて、人前に出ていける程度の恰好に着替える。
 住んでいるマンションの裏手にある一軒家。ここが大家である庄司女史の家だ。
「ごめんください~。205号室の佐野です~」
玄関のチャイムを押してインターフォンに話しかける。
「はいはい、今出ますよ」
 正確な年齢は知らないが、おそらく70~80代くらいであろう。夫に先立たれてから保険金を頼りにマンション経営に手を出し成功したやり手だ。
「はい、たしかに受け取りました」
「ではまた来月持ってきますね」
「あ、ちょっと待って」
 いつものようにそう言って立ち去ろうとしたその時、庄司女史に呼び止められた。
「あなた、今でも同じところで働いてるの?」
 不意の質問に少し戸惑った。
「はい、同じゲイバーでお世話になってますよ」
 質問の意図はわからなかったが、簡潔に答える。
「あたしもこんなこと言うのは気が引けるんだけどね。佐野さん、もういい歳でしょ。いい加減ちゃんとしたら? 気を付けているつもりかもしれないけど、そのナヨナヨした感じはあなたの歳ではちょっとね。お勤め先があんなところでしょう? だからあたしも心配になっちゃって」
 一瞬何を言われているのかわからなかった。
「昔から住んでる者からするとね、20年前から急に増えたじゃない。最近本当に街中でもああいう話し方をする人がいるでしょう。だからなんとなく、ね」
 ああ、そういうことかと思った。こういう視線を向けられるのはずいぶん久しぶりだ。
 ここ新宿二丁目自治州に移住してからは周囲にゲイが多すぎた。年老いた人からすると正体のよくわからない人が大量に移住してくるのは気味が悪いのかもしれない。でも話し方というのは生き方そのものでありアイデンティティだ。
「ご心配ありがとうございます。でもあたしはこれがちゃんとした状態なんで」
 そう言って庄司女史の元を立ち去った。

 ちょうどその頃、大池州知事が記者会見を行っていた。
 ――要するに、ここ新宿二丁目自治州においてオネエが密となる状態は……なんて言うんですかね。昔からの住人に不安感を与えてしまうものでございます。ですから州としては4人以上でのオネエでの集会を禁止する、という条例を制定致しまして皆様へ安心感をお届け致します。

女性的言葉遣いをする男性の集会等に関する条例
第一条 (目的)この条例は市民の健全な環境を整備し、福祉を向上させることを目的とする。
第二条 (定義)ここで規制される対象は男性同性愛者のうち、女性的な言葉遣いを使用する者を指す。
第三条 (禁止事項)第二条に定める者による四人以上での集会、および結社はこれを禁ずる。

 4人以上で集まってオネエ言葉を使用してはいけないという条例が施行された。州議会の承認を経ずに大池州知事が専決処分という形を取ったため、翌日の州議会は大荒れであった。
 州議会野党最大会派の社会大衆党はこの条例を真っ向から批判。同じく野党の青年人民党もこれに同調した。
 しかし所詮は少数野党。議会で追及できる場面は少ない。できることが限られる上に反対の世論も盛り上がりはしなかった。
 ――オネエが二丁目で違法ドラッグを広めている。
 このようなデマがSNSを中心として広まっていたこともこの条例の成立を後押しした。その昔、ゲイの間でラッシュやゴメオといったセックスドラッグが流行っていた。しかしそれらはすでに非合法化され、今では手に入れることは困難である。十年程前まではミツアキもゲイ業界で働いている身として隠れて売られているという噂を聞くこともあったが、ここ最近は名前を耳にする機会すらなかった。なぜ今さらこのようなデマが出てきたのかなぞである。
 出所は不明だがあらゆる媒体で大いに拡散され、警察まで動きを見せた。しかし実際にオネエが違法な薬物を取り扱っている現場が取り押さえられることはなかった。
 デマの発信者は特定されることはなく、世間にはオネエ言葉に対するなんとなくの忌避感だけが残った。
 大池知事が就任してから、周りの状況がめまぐるしく変わっていく。あの自由な雰囲気の二丁目はどこに行ってしまったのだろうか。少しでも法律に違反しないようにと、ゲイバーなどゲイのための盛り場はとてもピリピリしている。
 ある日の休日、ミツアキは久しぶりに有料ハッテン場へと赴いた。有料ハッテン場とは入場料を支払って、1回限りのセックスの相手を探す場所のことである。平日は人もまばらだが、土日は客が多く入るのが常である。ミツアキは久しぶりの土日休みであったため、手軽な方法で性欲を満たそうと思った。
 ハッテン場は何度も来ているはずだが、いつも少し緊張する。自分は性的に魅力あるままなのか、シビアに判定される場所だ。ミツアキも若い盛りは過ぎてしまっていたので、自分の魅力を客観的に測るツールとしても利用していた。
 入口で料金を払って中へ入ると、なんだかいつもと様子が違う。ふと正面を見ると、大池小百合州知事の顔入りのポスターが目に入った。意味がわからず固まっていると、受付のスタッフが声をかけてきた。
「それ、悪趣味でしょう。この前ね、役所の人間がご丁寧にわざわざ持ってきたのよ。性病予防のポスターなんだって」
 ハッテン場という場所に不似合いな、大池州知事の笑顔がそこにあった。州知事の笑顔の下に申し訳程度にセックスの時のコンドームの使用や、定期的な性病検査を推奨する文章が綴られていた。
「こんなん貼ってあったら勃つもんも勃たなくなるわよね。おかげで商売あがったり。そういう意味じゃ効果てきめんだわ」
 確かにミツアキもすっかりやる気がそがれてしまった。そのまま出るのもなんとなく気まずいので、中を一回りしてからハッテン場を後にする。
「ラーメンでも食べて帰ろう」
 ミツアキはそう呟きながら、裏通りを1人歩いていった。

「あたし、ホゲるのやめるわ」
 出勤前に店の近くでミツアキとマナブは一緒に夕食を取っていた。注文を済ませた後に、マナブはそう切り出した。
「あたし……いや、オレは肩身の狭い思いをしたくないんだよね」
 ついにこの時が来たんだなぁと思った。すでに退店した店子もいる。
「そう。あんたがそれでいいなら止めやしないわ。でもあたしはオネエ辞めないからね。それだけは覚悟してちょうだい」
「うん。ごめん、わかってる。でもあた……オレは怖いんだ。臭いメシを食いたくはないんだ」
 若干不自然な口調でマナブはそう言った。話し方だけで言えばたしかに男口調ではあるが、声の出し方や身振り手振りまでは急に変えることはできないようだった。
「うん、わかってるわ。……わかってる。あたしは変わることはできないけど、あんたの生き方も応援してる。でもお店は辞めないでね。オネエじゃなくなったってあんたならいくらだって通用するんだから」
「ありがとう……。お店は辞めない。辞めても行くとこないっていうのもあるんだけどね」

 それからしばらく経ってから、州当局から店に1枚の張り紙が郵送されてきた。「オネエ防止徹底宣言」と書かれた一文の下に、ご丁寧に虹が描かれている。
「出ている店子に4人以上オネエがいなければ貼って良いんだってさ」
 サダ子ママは誰に言うともなくそう言った。
 近頃、ゲイバーの店子でもオネエ言葉を使うゲイが驚く程減っていた。ここアニマートでも今やオネエ言葉を使うのはサダ子ママとミツアキの2人だけとなった。
 ミツアキはふと寂しいな、と思った。周りにゲイの仲間がいなかった高校時代を思い出す。あの頃、なんとなく「オレ」という一人称を使うことがどうしてもできなかった。今思うとなぜかはわからない。周りが「オレ」という一人称を使う中で、ミツアキの存在はどうしても異色を放ってしまった。
 恋愛目的で会う人間に対しては「オレ」という一人称を使う時もある。それでも一番しっくりくる一人称は「あたし」であった。
 新宿二丁目自治州に移住してからというもの、日常生活の中で「あたし」を使って会話ができる友達が増えた。「あたし」、「私」、「オレ」、「ボク」。周りの仲間は色々な一人称を使ったが、「あたし」を使うことで異色を放つことはなかった。
 今はどうだろうか。働いている店以外の友達で、オネエ言葉を話す人間がほとんどいなくなった今、「あたし」を使う人間はほとんどいなくなってしまった。
「あたし、なんでここに来たんだっけ」
 客のいない店のカウンター内で、ミツアキはそうつぶやいた。

「一緒に……野毛に行かない……?」
 ある日の開店作業中、サダ子ママから唐突にそう言われた。
「野毛にね、知り合いがやってるゲイバーがあるの。今の新宿二丁目自治州の状況を心配してね。一緒にやらないかって言われてさ」
 新宿二丁目自治州ができた時、多くの性的少数者が移住してきたが、横浜や上野など昔からやっているゲイバーで今でも細々と営業している店舗があった。家や仕事の都合で新宿二丁目自治州ができた後も、そこに留まった人たちがいる。そういった人たちのための憩いの場として今まで生きながらえてきたのだ。
「答えは今すぐじゃなくてもいいから、ちょっと考えてみてくれない? 前に話した2号店の話もこのご時勢じゃ無理そうだし」
 サダ子ママは遠くを見つめながらそう言った。

 ――女性的な言葉遣いをする男性同性愛者の移動を制限する要請を各機関に出したところでございます。先日、州内の有料ハッテン場に対して性病蔓延防止策の徹底をお願い致しました。ところがそれ以降もリスクある性行為を行う方が後を絶ちません。市民の安全を守るため、断腸の思いで私権の制限へと踏み切る思い出ございます。
 サダ子ママから誘いを受けてから3日後、テレビから大池州知事の言葉が流れてきた。自分を取り巻く状況があまりにも変わるため、最近は勤務明けに朝食を取りながらニュースをしっかり見ることにしている。
 ああ、これで野毛にも行けなくなったなと思ったところで、ミツアキのケータイが鳴った。
「もしもし、あたしよあたし」
「誰よ、あたしあたし詐欺?」
「違うわよ。サダ子よ。ケータイなんだから名前出てるでしょ」
 ついついいつもの調子でふざけあってしまう。
「そんなことよりね、ニュース見たでしょ。あたしら移動が制限されるわよ」
「見たわよ。これで野毛に行くこともできなくなるなーって思ってたとこよ」
「何言ってんのよ。あたしは行くわよ。あたしの知り合いがね、竹芝から横浜まで船を出してくれるんですって。なんでも二丁目のネエさん達を集めて横浜に亡命しようってことになったの。今の二丁目の現状を横浜の森市長はとても憂いていて、おそらく受け入れてくれるだろうって」
 ミツアキの胸がどきどきしてきた。
「もちろんこれは違法行為よ。でもあたしは行くわ。あんたも行く気があるなら来週月曜日の深夜2時に竹芝ふ頭公園まで来なさい」
 そう言うとサダ子ママは一方的に電話を切った。
 そろそろ覚悟を決めなければいけないのだと思った。どこにいても「オレ」ではなく「あたし」でいたい。「あたし」を守るために今度は二丁目を出ようと思った。

 深夜の1時過ぎ、終電を乗り過ごしたサラリーマンを装って最低限の荷物だけ持ってタクシーへ乗った。竹芝ふ頭公園までとだけ運転手に伝えて外の景色を見る。油断するとオネエ言葉が出るため、会話が苦手な客である風を装う。
 この風景を見るのも最後かと思うと感慨深いものがある。勤務明けによく通ったコンビニ、友達と入り浸った居酒屋、1回だけヤッた男の家。ろくでもない出来事も多かったが、今ではどれも大切な思い出となっている。
「お客さん、着きましたよ」
 思い出に浸っているうちに竹芝ふ頭に着いたようだ。ここでも黙って札を差し出す。あくまで愛想の悪い客のフリ。
 季節はいつの間にか冬となり、外はコートがなければ辛い気温となっていた。公園の木々には防寒用に布が巻かれている。今ではそれらの方が大切にされているように感じた。
「やっぱり来たわね。待ってたわ」
 竹芝ふ頭公園のマストの模型の下に、サダ子ママと十人程の男が立っていた。おそらく同じ密航者なのだろう。オネエ4人以上での集会が禁止されているため皆無言だが、トートバッグを肘に掛けていたり、背負っているリュックがノースフェイスだったりで“こっちの人”であることがわかる。
「もうすぐ来るから。それまで静かにね」
 おそらく船を出してくれる人物のことだろう。ミツアキもだまって頷いた。
「おまたせ~~~~~~~~!!!!」
 タンクトップ姿で髭を生やしたおそらく30代半ばくらいの男が、やや内股歩きで近づいてくる。見るからに”お仲間”だ。
「ちょっとあんた! 今ここがどういう状況かわかってんの!?」
「あっ! そうだったわね! ごめんなさぁ~い! あ、はじめまして~。あたしテツヤって言います! 野毛でママやってるからこれからよろしくね☆」
 わかってるんだかわかってないんだかよくわからない。
「それはそうとあんたたちあたしに感謝なさい。とっておきのもの用意したんだから。ちょっとついてらっしゃい」
 そう言うと髭のお仲間は深夜の竹芝ふ頭公園の中を歩き出した。公園をそのまま突っ切ると海が見えるところまで出る。
「じゃ、みんな飛び越えて」
 海とは腰の高さまである柵と隔てられていたが、飛び越えられない高さではない。十数人のオカマが無言で飛び越える様は何とも言えず異様な光景であった。ただでさえ男ばかり十人以上の大所帯だ。目立つ行動は早めに終わらせようと皆必死だった。
 皆が下りたのを確認すると、目だけで着いてくるように合図を送った。おそらく船が用意されているのだろう。
 海沿いをしばらく歩くと大きな貨物船が見えてきた。貨物船にはいくつものコンテナな積み上げられており、新宿二丁目自治州における活発な経済活動を感じさせる。
「え!? まさかこの貨物船で密航するの!?」
 サダ子ママが思わず大きな声を出す。
「まさか。その脇よ。よく見なさい」
 よく見ると貨物船から隠れる形で一艘のクルーザーが泊められていた。
「この貨物船の船長とね。昔セフレだったのよ。そのよしみで近くに泊めさせてもらったわ」
 おそらく普段は釣りなどで使う用のクルーザーは、近くで見ると意外と大きく感じた。
「あたしゃね、野毛のゲイバーだけでこのクルーザー買ったんですからね。あんたたち感謝しなさい」
 テツヤママも相当なやり手らしく、ママとしての収入はすごいらしい。テツヤママは先陣を切ってクルーザーに乗り込んでいった。
 クルーザーの中はこぢんまりとしつつも、男十数人で乗り込んでも十分な広さがあった。客室には大きなテーブルに簡単なキッチンまで装備されていた。
「そんじゃさっそく出航するからあとは適当にしてて。たぶん1時間半もあれば着くわ」
 テツヤママはそう言うと操縦席へと戻っていった。
 クルーザーが動き出し、新宿二丁目自治州の街が離れていく。クソみたいな思い出も多いが、おおむね楽しい生活だった。惜しむらくは誰にもあいさつもせず出てきてしまったことだ。
 最後、マナブにだけは言おうかどうか迷ったが結局言わずに出てきた。もし言ったところで絶対に止められる。もし止められなかったとしても、密航がバレた後マナブにまであらぬ疑いが掛けられるかもしれない。おそらくこれから先後悔もするだろう。しかしいつかまた会えたら心からごめんなさいを言おうと思う。
「ねぇ、みんなちょっと聞いて。実はね、こんなの持ってきちゃった。店に残しておくのももったいないし」
 仲間の1人がそう発言すると、ノースフェイスのリュックから1本の鏡月を取り出した。
「ひゃだ。実はあたしも……」
 もう1人カバンからカフェ・ド・パリを取り出した。
 それからは皆続々とカバンから酒のボトルが出てくる。かく言うサダ子ママとミツアキも店から鏡月のボトルと店に1本だけ残っていたヴーヴクリコを取り出した。
「もう、ここで乾杯しちゃいましょうか。みんなの船出を祝して」
 仲間の1人がどこからか人数分のグラスと氷も探し出してくる。
 こんな気分になるのは久しぶりだった。本名も知らぬ者同士が、毒にも薬にもならない話をしながら酒を飲む。そしてごくたまに出る真面目な話。
 野毛は今どんな街になっているだろうか。これから行く街に思いを馳せながら、お茶で割った鏡月を一気に飲み干した。

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