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イスラエルとイラン水面下の〝戦争 〟(再録)初出:Journalism 2021.8号

※2021年5月にイスラエルのガザ攻撃がありましたが、その後に朝日新聞が発行し、現在は休刊となっている月刊誌「Journalism」の2021年8月号に執筆した「イスラエルとイラン水面下の〝戦争 〟」という記事を再録します。イスラエルのガザ攻撃をイスラエルとイランの〝戦争 〟の中に位置づけて、対立の全体を示したものです。現在、進行中のイランとイスラエルの危機の背景を理解する参考になると思い、公開します。
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 2021年6月にイスラエルでネタニヤフ首相の連続 12年の長期政権が終わり、「極右」のベネツト首相が誕生した。その直後に、イランの大統領選挙で、保守強硬派のライシ師が当選した。両国の間では、秘密の軍事行動が激化している。両国とも軍事行動は国家の最高機密であり、メディアは水面下の〝戦争〟をどのように報じているのだろうか。

 2021年5月、イスラエルによるガザ攻撃があった。エジプトの仲介によつて停戦が成立するまでの 11日問で、イスラエル軍の空爆によってガザのパレスチナ人 2 5 4人が死亡し、ガザからのロケツト発射でイスラエル人 12人が死んだ。ガザを実効支配するイスラム組織「ハマス」とイスラエル軍の間では圧倒的な軍事力の差があるが、軍事的に注目されたのは 11日間でハマスが 4千発以上のロケットやミサイルをイスラエルに向けて放つたことだった。多くはイスラエルの防空システム「アイアン・ドーム」で撃ち落とされたが、それでもなおイスラエル側に被害を与えた。

 ハマスを軍事的に支援しているのが、イランである。イランのタス二ム通信はイランの革命防衛隊で対外工作を行うクドス部隊のイスマイル・カーニ司令官が「我々は決してパレスチナの支援をやめない」とする声明を出したと報じた。イスラエルの右派系メディアの「アルツ・シェバーは「イランとガザ戦争」という記事で、イランはガザのハマスと「イスラム聖戦機構」に武器を提供していると書く。

 「ハマスは 『アイヤーシュ』と呼ばれる射程250キロの中距離ミサイルを地元で製造できるようになつているが、イランが支援してきたものだ。『コルネット』と呼ばれる対戦車ミサイルも同様で、今回 2度使い、一度はイスラエル軍のバスに向けて発射し、イスラエル兵士を殺害した。ガザで両組織が地ドに構築している『メトロ』と呼ばれる地下トンネルシステムはレバノンの (シーア派組織 )ヒズボラが使っているもので、両組織の戦士と技術者は、レバノンとシリアでヒズボラとクドス部隊の訓練を受け、ガザに戻っている。イランはガザの両組織が攻撃用ドローンの開発を支援し、今回の紛争でもイスラエルによって撃墜された」

 一方、タスニム通信は 6月 30日付で、湾岸のカタールに拠点を置くハマスの政治局長のイスマイル・ハニヤ氏がレバノンを訪問して、ヒズボラのハサン・ナスララ党首と会談し、「 (ハマスの )ロケツ卜は (イスラエルの )テルアビブや占領されているエルサレムなど全域に到達し、イスラエルは停戦せざるを得なくなつた。パレスチナ組織はこれまで数回にわたってイスラエルの攻撃を押し返したが、今回の勝利は決定的だった」と語ったとしている。 

 イスラエルとイランの双方のメディアの報じ方を見ても、イスラエルによるガザ攻撃が、イスラエルとイランの代理戦争という側面があることが分かる。

■ガザ・シリア•海の戦線

 イスラエルとイランの対立は「沈黙の戦争」「秘密の戦争」「見えざる戦争」「宣戦布告のない戦争」など様々に呼ばれてきたが、表には出ない水面下の〃戦争〃である。この戦争には、四つの戦線がある。その一つがガザである。

 第 2の戦線は両国が最も激しくせめぎ合つているシリアである。イスラエルのエルサレム・ポストは2020年12月、イスラエル軍のコハビ参謀総長は「我々は 2 0 2 0年だけで、シリアでイランが関わる 5 0 0の軍事目標を攻撃した。シリアでのイランの態勢づくりはかなり遅くなった」と語った。シリアでの攻撃はイランからレバノンを本拠とするヒズボラへの高性能兵器の移動もかなり妨げたという。

 シリアでの秘密の軍事作戦をイスラエル軍のトップが公式に認めることは異例である。コハビ参謀総長は、退任後は政治家に転身し、首相を目指していると見られている。イランに対する〃戦果〃を公言するのは政治的パフォーマンスと受け止められている。

 シリアでイスラエルとイランの〃戦争〃が激化したのは、 2 0 1 1年のシリア内戦の後である。イランの友好国だったアサド政権が内戦で反体制勢力の攻勢を受けて劣勢となると、イランのクドス部隊がアサド政権の支援に入り、ヒズボラが参戦した。 2 0 1 6年以降、アサド政権が反体制勢力の制圧に向かうと、イランはイラクからシリア、レバノンまで影響下において、イスラエルと直接対峙する構図になった。

 イスラエル軍の激しい攻撃に対して、イランはほとんど報復をしていない。これに対してサウジアラビアのアラブニュースが「イランはなぜ、シリアで傘下の軍事組織が攻撃されても黙っているのか」というタイトルの分析記事を出している。米国の戦争研究所の中東専門の教授が次のように語る。

 「イランの指導者はヒズボラを支援していることがイランにとっての国家安全のために不可欠な要素だと見ている。ヒズボラがイスラエルに対して最も危険な脅威であることが、イスラエルや米国がイランに対して大規模な攻撃に出る抑止力になっている」

 米国のワシントン近東政策研究所の専門家は「ヒズボラはこの数年間、イスラエルの攻撃に対して、活動家が殺害された場合だけ報復している。武器庫や施設を攻撃されても、報復措置を取らないのは、いまは国境を挟んだ紛争になるのを恐れているということだろう」と書いている。イスラエルが最後にレバノンの国境を越えて大規模な軍事侵攻をし、ヒズボラ掃討作戦をしたのは 15年前の 2 0 0 6年 7月から 8月にかけての 1カ月間である。イスラエルのべネット首相は、その戦争で歩兵特殊部隊を率いて参戦した。首相は今年 7月 1日にイスラエル軍の士官学校の卒業式に出席し、スピーチの中で、 15年前の第 2次レバノン戦争のことを振り返った。

 「私は戦争の準備も不十分で目標も明確でなかった戦争の現実を見た。しかし、現在のイスラエル軍は全く異なる。我々の兵士の意志は堅固で、より技術的にも優れ、装備もよくなつている。もし、我々が軍事力を行使することが求められれば、我々はより戦闘的である」これまでもイスラエル軍による新たなレバノン侵攻があるのではないかという予想は出ていたが、ネタニヤフ首相は慎重だった。今後、レバノンでの実戦経験のあるべネット首相が新たな地上侵攻に踏み込むかどうかは、政治的、軍事的に重要な注目点だ。

 イスラエルとイランの第 3の戦線は、海である。

 2021年4月 7日にイランの貨物船が紅海のジブチ沖で何らかの爆発で船体の損傷を受けた、とニュ ーヨ—ク・タイムズが報じた。この事件について、すべてのイスラエルメディアがニューヨーク•タイムズ紙の報道を引用して報じ、さらにイスラエルのテレビに出演したガンツ国防相は「中東で行われ、イスラエルが関わるいかなる軍事作戦についても私が話すことはない」と、否定も肯定もしなかった。

 その 4日後に、イスラエルのハアレッ紙が米国の経済紙ウオ—ルストリート・ジャーナルの報道を引用する形で、イスラエルは 2 0 1 9年以来、イランからシリアに向かって原油を輸送する少なくとも 12隻のタンカーを攻撃したと報じた。

 イスラエル軍による軍事作戦なのに、イスラエルメディアの報道はニューヨーク・タイムズやウオ—ルストリート•ジャーナルが報じているという形をとつている。外国メディアの報道が出た後、軍に確認して、軍の情報として報じることもできるはずだが、それをしないのは、秘密作戦については「否定も肯定もしない」という曖味作戦をとるというイスラエル政府の伝統的な広報の手法である。

 なお、海での攻防では、イランの革命防衛隊の海軍によるイスラエルの民間の貨物船への攻撃も続いている。 3月 25日にはハアレツはイスラエルの貨物船がインド洋北部のアラビア海でミサイル攻撃を受けたと報じた。イスラエル側はイランによる攻撃と非難しているが、イラン側は否定している。

 さらに国営イラン通信 ( I R N A ) が 4月 13日に「イスラエルの船が U A E沖で被弾」のタイトルで、イスラエルの会社に所属する貨物船が被弾したと報じている。これについてハアレツはイスラエル国防省筋が船の被弾を確認し、イランの仕業との見方を伝えた。

 イスラエルもイランも関与を認めないまま、海上での双方の軍事行動が延々と続く。 4月 14日にはイスラエルメディアのアルツ・シェバがニューヨーク・タイムズの報道を引用しつつ、「イスラエル当局者はペルシャ湾での緊張の高まりを懸念し、イスラエル船籍に対する攻撃については報復しないつもりだ」と報じた。軍の方針さえ外国メディア経由の報道となっている。

 ■核プロジェクトも標的に

 両国の第 4の戦線は、イラン国内の核プロジェクトを狙った攻撃である。2020年11月27日、テヘランの近郊でイランの核開発で中心的な役割を担っていた核科学者モフセン・ファフリザデ氏が何者かに銃撃されて殺害された。事件直後からロハニ大統領はイスラエルの犯行と非難した。しかし、イスラエルは何も語らず、イスラエルの犯行を示す証拠は出なかった。

 ところが 2 0 2 1年 2月 13日、英国のユダヤ人社会で広く読まれている週刊新聞ジューイッシュ・クロニクルで「ファフリザデ氏殺害の背後にある真実」という特集記事が出た。「情報筋が明らかにした」として、「暗殺はモサドの 20人強のチームによって、遠隔操作の銃撃装置によって実施された」という。

 銃撃装置は重さ1トンあり、 8カ月かけて、部品をイラン国内に送って組み立てて、日本製の小型トラツクに組み込んだ。当日は、ファフリザデ氏の車列が通る道路に小型トラツクを停車させ、車列が通過した時に遠隔操作で、車に向けて、 13発の弾丸を放ち、殺害した。作戦の後、銃撃装置は自動的に爆破されたという。

 ファフリザデ氏の殺害は、武装集団による襲撃とされ、さらに爆発もあったと報じられた。ジュ ーイツシュ・クロニクルの報道が真実であれば、遠隔操作の銃撃装置による銃擊と、証拠隠滅のための装置の爆破ということになる。この報道も、モサドが意図的にリーク (漏洩 )したと考えるべきだろう。

 ファフリザデ氏の殺害は米大統領選挙でバイデン氏の勝利が確実になっていた時期で、バイデン氏はトランプ氏が撤退したイランとの核合意に復帰する意向を示していた。 1月にはバイデン氏が大統領に就任し、バイデン政権が動き出した。ファフリザデ氏殺害がモサドの仕業とすれば、イランによる報復や態度の硬化を誘うことで、地域に緊張を生み出し、バイデン大統領がイランとの核合意復帰に動きにくい状況をつくる意図があったと推測される。しかし、イランは「報復」を口にしながらも、報復措置には出なかった。

■破壊工作へエスカレート

 モサドによるイランの核開発プログラムへの攻撃は 4月 11日、イラン中部ナタンズの核施設で破壊工作へとエスカレー卜した。最初は核施設の電源トラブルとされていたが、 12日にニュ |ヨ—ク・タイムズがエルサレム発の記事で、「匿名の情報当局者が語った」として「爆発物をナタンズの施設に秘密裏に持ち込み、主要電源と予備電源システムの両方を遠隔操作で爆発させた」と語った。イランもすぐに爆発物による破壊であることを発表した 。 

 記事では米国は事件に関わっていないとしており、記事に出てくる「匿名の情報当局者」とはモサドの幹部である可能性が高い。つまり、モサドがニューヨーク・タイムズに情報をリークしたと考えられる。イスラエルのメディアは一斉にニュ—ヨ—ク・タイムズの報道を引用して、モサドによるイランの核施設に対する破壊作戦について報じた。

 米バイデン政権は、 4月初めからウィ |ンで、欧州連合 ( E U )などを介してイランとの間で、核合意立て直しに向けた間接協議を始めていた。当時のイスラエルのネタニヤフ首相は、米国がイランとの核合意に復帰することに反対しており、ナタンズ核施設への破壊工作は、米国とイランの間接協議を妨害する狙いがあったとみられる。ニューヨ—ク・タイムズに情報をリ—クしたのも、イランへの挑発を狙ったものと考えられる。

 イランは直後にナタンズの核施設の破壊工作の報復措置として、ウランの濃縮度を 60 %に引き上げると発表した。イランは一月から核合意に違反する濃縮度 20 %のウラン製造を開始しており、バイデン政権は間接協議で濃縮の停止を求めていた。イランは間接協議を継続する考えを示しており、ナタンズでの破壊行動に乗じて、交渉のハードルを上げたことになる。

 以上がイランとイスラエルの四つの〃戦闘正面〃である。いずれも危険な問題をはらんでいるが、ナタンズの核施設への破壊活動では、イスラエルは米国に事前に通告しなかったことから、イランとの核合意に復帰しようとするバイデン大統領と、それを阻止しようとするネタ二ヤフ首相の間の確執が露わになった。

 ナタンズ核施設での破壊活動についてニューヨ—ク・タイムズの記事が出た後、イスラエルの主要紙イディオト・アハロノト系のニュースサイト「 Yネット」に「なぜ、イスラエルは曖昧戦術を捨てたのか。米国との関係悪化はどうなる」とする記事が掲載された。ナタンズ核施設の事件で、ネタニャフ首相やその側近が、情報リークという形でイスラエルの関与を開示していることについて、「イランの顔に平手打ちを加えているだけでなく、バイデン大統領に対しても同じことをしている」とバイデン政権との関係悪化を指摘した。さらに「イスラエルの破壊エ作を開示することは戦争や地域の紛争勃発の可能性を増大させることになる」と危惧を示している。

 一方、アルツ・シェバは「イスラエルとイランの暗闘は、目に見える紛争になる」とする記事のなかで、「ナタンズの核施設への攻撃で、ネタニャフ首相は秘密にすべきモサドの活動を、自分の個人の政治的な目的に利用している」と書いた 0ネタニャフ首相は当時、 3月の総選挙を受けて、連立工作をしていたことと関連付けた。

■「秘密の戦争から直接の戦争へ」

 ネタニヤフ氏の連立工作は失敗して、ベネット首相が誕生した。ベネット首相が 就任した直後に、バイデン大統領が祝福の電話をした。ハアレッ紙に「バイデンはネタニヤフに電話するのにーカ月かかったが、ベネツトへは 2時間」という見出しの記事が出た。

 ベネット新首相の就任で、バイデン政権とイスラエルの関係は友好的な関係に戻ったと言えそうだが、ベネツト氏はもともと「極右」と呼ばれる強硬派で、対イラン政策はネタニヤフ氏を引き継ぎ、対パレスチナ政策ではパレスチナ国家は認めず、ネタニヤフ氏よりも強硬な姿勢である。

 一方のイランの大統領選挙で、穏健派のロハニ大統領の後任は、保守強硬派のライシ師になった。エジプトの主要紙アルアハラムに付属するシンクタンク「アルアハラム政治•戦略研究センタ—」のイラン問題研究者アリ・アテフ氏の「ライシ時代のイランの外交政策」という論文で、「イランとイスラエルで共に極端に強硬派指導者が就任したことは、両国関係の対立が激化することになろう 」と予測し、「ウィーンでの米国とイランの間接協議が進んだ時に、イスラエルがイランの核活動を妨害しようとしてイラン国内での軍事行動にでるのではない」と見ている。

 イスラエル主要紙のマアリヴは 4月の時点で、「イスラエルとイラン【秘密の戦争から直接の戦闘へ」というタイトルで、両国の衝突が激しくなっていることを指摘し、「イランはイスラエルに敵対する機は熟しているのではないか」と問う。記事は両国の水面下の戦争が次第に表立っていることを指摘し、「イスラエルとイランが直接攻撃に発展するのはこれまではほとんど空想の話だったが、最近では可能性があるシナリオになってきている」と結んでいる。

 これまでイスラエルとイランの〝見えざる戦争〟では、イスラエルが攻撃に出て、イランは報復を抑えるという構図だった。しかし、モサドによる相次ぐ国内での暗殺や破壊工作に危機感を抱き、イランがイスラエルと戦争になる可能性に備えて、国内を引き締めるために、強硬派のライシ大統領が誕生したとも考えられる。もし、戦争となれば、ガザ、シリア、海のすべての戦線が火を噴く。イスラエルがテヘランを空爆し、イランがテルアビブに弾道ミサイルを撃ち込むとなれば、悪夢以外のなにものでもない。

※初出:Journalism (朝日新聞社) 2021.8号

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