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「イエスタデイ・ワンスモア」を聴きながら40年前の自分を思い出したベトナムの夜

2016年12月31日、ホーチミン・シティに高くそびえるビテクスコ・フィナンシャル・タワー51階のイオン・ヘリ・バーで、ボクはベトナム旅行最後の夜を過ごしていた。サイゴン川を見下ろす窓際に陣取るボクの反対側では、ギターの弾き語りによるライブが始まろうとしている。カウンター・チェアに腰掛けたベトナム人歌手が、単純なCのダウン・ストロークを3度繰り返した後、その曲を歌い出した。

“When I was young I'd listen to the radio watin' for my favorite songs.”

英語の歌詞がダイレクトに、英語のままに耳に飛び込んできた。そういえば昔、「いちいち訳すんじゃなくて、英語は英語のまま理解するんだ」と先生が言っていた。こんな経験は初めてだが、どうやらそれができている。その証拠に、ボクはその歌詞を日本語に訳すまでもなく、目頭をじっくりと熱くしてしまっているではないか。

中学生時代、YouTube も iPhone も iTunes もなかったあの頃、確かにボクは、アリスやオフコース、ローリング・ストーンズやリンダ・ロンシュタット、ビリー・ジョエル、イーグルスらの楽曲を楽しみにしながら、DJのトークやお気に入りではない曲も含めたいわゆるラジオというものを、毎日何時間も聴いていた。

やがて思い出はラジオに耳を寄せていた中学生の自分から離れ、モノラルスピーカーのラジカセや部屋のタタミ、壁に貼られた箱根のペナントといった身の回りの懐かしいモノたちへと広がり、さらにはバスケ部の厳しい練習やT子への片思いの記憶へと広がる。

曲はいよいよサビの部分に突入した。

“Every sha-la-la-la Every wo-o-wo-o, still shines. Every shing-a-ling-a-ling, that they're startin' to sing's, so fine.”

目に涙がどんどん溜まっていく。まずい。もし、目の前にいる妻に気づかれようものなら「飛行機怖いの?」とか「さっきの串焼き食べたかったの?」とか、ろくでもない質問に答えなければならなくなる。

必死で涙をこらえつつも、実はそのとき、ボクは「英語を英語のまま理解して涙を流しかけてるオレってスゴくないか?」「海外で英語の歌を聴いて心を動かされてるオレってカッコよくないか?」と少し悦に入っていたのだった。

サイゴン川とトンドゥックタン通り

奇しくもベトナム反戦に大きな影響を与えたボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した年の大晦日、カーペンターズの「イエスタデイ・ワンスモア」を聴きながら、40年前の自分を思い出したベトナムの夜だった。

翌日、帰国したボクは、さっそく「イエスタデイ・ワンスモア」をググってみた。そこには「日本人にとって最も歌いやすい洋楽の代表曲」「聴きやすさという点では、日本の楽曲を凌ぐ勢い」と書かれていた。

そう。ボクは少しもスゴくないし、ちっともカッコよくない。
それでも、英語を英語のまま理解できたあのときのうれしさは、新鮮な記憶として心の中に残っている。

「校内英語スピーチコンテストに寄せて(巻頭言)」より


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