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自分の好きな空気感

前回の記事に書いたのだが、一昨日山女魚を釣り損ねてしまってからというもの、山女魚釣りのことばかり考えている。この際、昔から興味のあった渓流でのルアー釣りを始めてみようか、そうするにはロッド、リール、ルアーだけではなくウェーダーや苔などで滑らないように釣り用のシューズかブーツも必要だろう。そんな装備で川を上りながら水中を歩いたり、岩や石伝いに歩き、ポイントを探りながら釣りを楽しむ。出来ることなら、途中でエサ釣りも楽しむために一本竿も持っていきたい。そんなことを考えるのも、また楽しい。
 
今日の昼過ぎまでは、仕事をしながらそんなことばかり考えていた。少し、心ここに在らずみたいな感じだったように思える。

しかし、夕方くらいになると気持ちが切りかわってきた。

というのも、僕の農業は、気持ち的に9月下旬に植える胡瓜から新しいシーズンになる。

今くらいの季節になると毎年、日の長さや日射量、夕方の肌感なのか「あぁ、始まり出すな」と、気持ちが引き締まってくる日がある。たまたま今日、そんな気持ちになったのだ。
相変わらず暑いので、気温で季節を感じているわけではないのだろう。

それでも、釣りを始めるのもいいかもなという想いはある。釣りが好きと言うよりはあの風景の中で釣りをする空気感が好きなのだろう。本当に好きなことは、子供の頃から変わっていないのかもしれない。旅行などに行っても、渓流のあるところを通るだけで良い気分になるし、メディアなどで渓流の風景を見ると見入ってしまっている自分も居たりする。音楽もそう、あの風景を思いおこすような音楽も聞き入ってしまい、何度もリピートしたりする。
物語も同じようなことが言える。

子供の頃に感じたあの風景の空気感が好きだし、渓流という少し神秘的な空間で、綺麗な自然と、紳士的に存分に遊ぶ大人に憧れていた。というより、今でも憧れているんだと気付かされた気分だ。

家族を幸せに養っていくため、理想の農業をするためにこれからも自分の仕事に真剣に向き合って、時間を作って自然と遊ぶ。そんな人生も面白そうだ。
ようやく、そんなことを考える余白もできてきたのかもしれない。

何にしても、そんな人生を送るためには、仕事でのレベルアップは必要。でも、そんな楽しみさえあれば、仕事に向き合うのも更に楽しい。人生、もっと楽しくなるかも。魚を逃がして良かったのかもしれないな。





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