見出し画像

私とピアノの30年:②試練だらけの小学生編

出会い編で、晴れて素敵な先生とスタートを切った私のピアノ人生。
人生の分岐点とたくさんの試練が訪れたこともあって、ほとんど小学校生活の記憶がないのか、はたまたピアノにまつわる出来事ばかりだったのか…というくらい、この時期の記憶はピアノオンリー。

出会い編はこちらから↓

短期間で急成長して、スランプにハマる

『好きこそ物の上手なれ』とはよく言ったもので、念願のピアノを習い始めた後は先生も親も驚く急成長っぷり。
どんどん弾けるようになる練習が楽しくて、始めて数ヶ月でキーボードから88鍵の電子ピアノに。
演奏会やCDを聴いてクラシックにハマり、発表会でショパンのワルツを弾くほどに。

そんな急成長の後にやってきた、人生初のスランプ(?)。

課題が簡単で練習つまらん!

とりあえず弾ける状態で持ってこ。

合格できなかった…早く次やりたいー。

はぁ…ちゃんと練習しよ…

最初に戻る

という負の無限ループが数ヶ月続いていました。
今見てみると、子供向けに有名な曲の一部を抜粋してアレンジされた、楽しい教本なんだけど…

ぐずぐずとくすぶっていた4年生のある日、学校での休み時間。
この頃から今と変わらず、外で遊んだり、大人数で遊んだりするのが苦手な完全なるインドア派だった私。
教室のオルガンを弾いて遊んでいたのを偶然聴いた、担任の先生から

「やなぎ、ピアノ弾けたのか!今度、伴奏してみないか?俺はピアノ弾けないから、頼むよ!」

とお願いされ、大好きな先生のお願いに「うん!わかった!」とウキウキの二つ返事。

ちゃっかりレッスンにも伴奏譜を持っていき、普段の教本にプラスして伴奏も見てもらい、練習のモチベーションも上がり、最初のスランプは無事脱出。

音楽を志すと決めた、お兄さんの演奏

ちょうどその頃、地元で少年少女合唱団が発足して、好奇心の塊だった私は即入団。
この小さな町の合唱団で出演した地元の音楽祭が、音楽高校への道を志す分岐点になります。

ある年の音楽祭。出番の後に客席で中学生の合唱を聴いていたら、伴奏をしているお兄さんの力強くて多彩な音に、耳も目も心も持っていかれました。
ピアノの先生が音楽祭の関係者だから、知ってるかも…!と、しっかりプログラムの名前をチェックして、鼻息を荒くしてレッスンへ。

私「先生!中学校の伴奏してた〇〇って人、何年生!?」
先生「彼、ピアノ上手よね!確か山形北高の音楽科に行くって聞いたわよ。」
私「やまがたきたこう?おんがくか?」
先生「普段の勉強以外に、音楽のいろんなことを勉強をするのよ。」

5年生の2学期、ピアノを始めて約2年半。
後に母校となる山形北高等学校 音楽科(略して北高 音科)の存在を知ることに。
「私も北高の音楽科に行きたい!」とすぐに言い出します。

両親もピアノの先生も、好きな曲しか真面目に練習しない上に、好奇心の代名詞のような小学生だったので、全く本気にせず。
どうしたら音楽科を受けられるレベルになるのか考えた末、全曜日を埋めつくしていた、数々の習い事をほぼ全て勝手に辞め、ピアノの練習時間に費やすことに。

両親はそんな娘の突拍子もない行動に呆れながらも「そんなに行きたいならとことんやってみなさい」と渋々了承。

後日、母から話を聞いたピアノの先生は大焦り。
全く触れてこなかったハノンやツェルニーなどの基礎練習やソルフェージュなどなど…やることは盛りだくさん。
先生と話し合い、6年生になると同時にレッスンの内容を、厳しい高校受験の準備にシフトするのでした。

ピアノが理由で担任にいじめられた卒業までの2年間

少し時は戻り、小学校5年生。
クラス替えで新しく担任になった先生からくだらない理由でいじめられる地獄の日々が始まります…

その担任は問題教師で有名だったこともあり、5年生から卒業まで、彼女の問題行動で嫌な思いをした経験は数え切れません…(白目)
それでも何の処分もなかったのは、彼女の父親が町の偉い人だから。これぞ忖度…やれやれだぜ。

正直、彼女がまだ教師を続けているなら、さっさと辞めて二度と教師を名乗らないでほしいと今でも思っています。
そのくらい、たくさんの生徒の心に大人になっても深く残る傷を残した人です。

さて、私の話に戻します。
5年生の最初の頃、休み時間に音楽室で伴奏の練習をしていたら、突然担任が鬼の形相で乱入&楽譜を没収。

「ピアノばかり弾いてみんなと仲良く外で遊べないなら、伴奏なんてしなくていい!」

大好きな前の先生とは真逆の対応で怒り狂う担任、くしゃくしゃになって床に落ちた楽譜。
担任のいじめが始まった瞬間。

いじめは瞬く間にヒートアップして、何かとキツく当たられたり、東京生まれを理由に他の子と明らかな差別をされたり…家に帰る度に両親に泣きながら学校に行きたくないとダダをこねる日々。
もちろん、両親が黙っているはずもなく、何度も校長+教頭に猛抗議。
我が家だけでなく、学校には多くの保護者から色々と担任の問題行動に対する抗議があったそうです。

6年生になった頃には担任の扱いをみんな習得してきていたので、みんなと一緒に適当にご機嫌を取りながら嫌がらせを回避しつつ、自由に過ごしていた私。
休み時間に音楽室で伴奏の練習ついでにレッスンで苦戦している曲を弾いていたら、また担任が乱入。

「先生、その曲を教員採用試験で弾いたの!ピアノ弾けなかったからすごく苦労したの!いろんな曲をそんな簡単そうに弾かないでよ!」

そう、いじめられていた原因は、ただ『自分よりもピアノを弾けるから』。
小学生ながらにこいつ最低だ…とドン引きしつつも、私も苦戦してるよ!的なことを言い、さっさと出ていってもらう方向に。
それからというもの、たまに放たれる嫌味はイラッとしながらもスルー。

それでも卒業式間近に怒りを爆発させる出来事が。
突然呼び出されて「今度は何だろ…」と渋々、なんかドヤ顔してる担任のもとへ。

「卒業式の伴奏、他の先生方はあなたを推薦したけど、他の子にチャンスがなくなるから、先生が反対してオーディションにしたの。どうせ中学でも伴奏するだろうし、北高受けるあなたが相手じゃ他の子がとっても不利し、実際みんな勝てないって言ってるから、オーディション受けないで1回くらい他の子に譲ってあげたら?みんなで歌ったことないなんて、しょっせぐねぇが?あぁ、東京の子だから、何言ったか分からないかぁ…『恥ずかしくないか?』って言ったの。」

とまくしたてられ、怒りで泣きそうになるのをこらえながら、思い切り担任を睨みつけて、

他の子が弾きたいけど私に勝てないなら、勝てるように練習すれば良いと思います。
それに歌ありきの伴奏なので、歌えなくて恥ずかしいとかないです。
先生や他の子がなんと言おうと、オーディションは受けるし、絶対に私が卒業式で弾くから。

みたいなことを言った記憶が。
今なら担任の髪の毛引っ張って思い切りビンタしてたと思います。(ダメゼッタイ)
この言葉通り、オーディションで卒業式の伴奏を勝ち取るのですが、担任が悔しさたっぷりの顔で結果を伝えに来たときは爽快の極み。

そして、卒業式で指揮をしてくれたのは、私に伴奏のきっかけを与えてくれた、大好きな先生。
「俺が泣いて指揮ができなくなっても、最後まで弾けよ」と眩しい笑顔で言ってくれたのは忘れられない思い出。

やっと地獄の日々から開放された、最後にノーミスで伴奏も弾けた…これで終わった…!という気持ちでいっぱいになって、大泣きしていたら「泣かないと思ってたら泣くのね」と最後の嫌味も担任からいただきましたが。


と、こんな感じで、胸糞悪い感じで終わってしまいましたが、ピアノで盛りだくさんの小学生活を終えて、中学校へ入学します。
勉強・部活・レッスンの怒涛の日々が待っているのでした。

次回【怒涛の受験準備に追われる中学生編】(仮)へ続く!!

この記事が参加している募集

自己紹介

最後までお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただきました費用は音楽活動や書籍購入など、自分のアップデートに活用させていただきます!