見出し画像

私とピアノの30年:④音楽漬けの高校生(前編)

いよいよ高校生編。憧れの山形北高音楽科へ入学。
ピアノ&音楽漬けの生活の始まりと可愛い制服で、音楽を志す仲間との青春を夢見て、高校生活のスタートを切りました。

しょっぱなから音楽漬けの高校生活がスタート

私の学年は36人、数少ない男子は管楽器専攻で2人が入学。
なんとなく奇抜な髪型をやってみたくて、しょっぱなから姫カットにしたおかげで無事にクラスで浮いた私。
(私のヘアスタイルへのこだわりはこの頃から始まった…)
とはいえ、周りと仲が悪いわけでもなく、それなりに楽しい高校生活がスタート。

同じ中学はおろか、地元の人すらいなくて、ちょっと寂しい感じもしながら、夜型なのに頑張って毎朝5時に起きて始発で学校へ行って練習…お昼休みや放課後も部屋が空いていたら練習…帰宅してまた夜中まで練習…休みの日は予定がなければ朝から晩までずーっと練習…と、今思えば人生でいちばん練習した日々を送っていました。

授業はというと、入学して最初に必修科目のピアノと声楽の担当講師が決まります。自分がそれまで師事している先生が非常勤講師をしていれば、その先生が担当講師になります。
事前に師事している先生が、講師をしている先生に話を通して、根回ししているケースも多いです。

私はそんなことはさっぱり知らず、特に根回しとかもお願いしていなかったので、学校側がピアノも歌も担当講師を決定しました。
ピアノ→常任の教員。
声楽→藝大卒のマダムな講師、M先生。

おそらく私立の音楽高校や音大附属高校なら起こりえないことで、さっそくガッカリ…なぜなら教員がピアノ専攻生を担当するなんてことはほぼ皆無。
非常勤講師の先生なら、学校のレッスン以外でもプライベートレッスンで補えますが、学校の教員の場合はプライベートレッスンはありません。
地方の公立高校でピアノ専攻生が多く、非常勤講師が担当しきれないとはいえ、今でも理解に苦しむ決定。
更に最初のレッスンで相性が悪いのは明白…
その後、大事件が起こって2年から先生が変わります。大事件は後ほど。

声楽の先生はハイブランドのバッグに楽譜を大量に突っ込んで登場して「ごきげんよう」とかデフォルト言っちゃう、絵に書いたようなTHE マダム。
最初のレッスンから
「英語がお得意って聞きましたわ。Please introduce yourself in English.」
と英会話タイムが始まるし、元々ピアノ専攻で藝大を目指していたと知り、すっかり仲良しになって、レッスンでも副専攻ながらにめきめき声楽は上達。
(今思えば、入学直後でどこからどうやって英語が得意って情報を仕入れたのか…)

高校生ながらに「先生との相性ってとても大事なんだな…」と実感。

初めての合宿と定期演奏会

5月上旬くらいに、6月の定期演奏会に向けた音楽科の合宿があります。
蔵王の合宿用?ホテル的なところに2泊3日でひたすら練習する合宿です。最初の定期演奏会なので、1年生はピアノ・歌専攻は全員女声合唱、男子は専攻がピアノの場合はオーケストラと吹奏楽で打楽器などを担当。

最初から全部古典英語?ラテン語?の30分くらいの合唱曲集…これを入学してから本番までの2ヶ月弱でピアノ・歌・その他音楽専門教科をやりながら、全部覚えなければなりません。

合宿の間は発生練習→学年別でのパート練習→全学年のパート練習→全体の合わせなどの繰り返し。当然、スキー客が利用するようなホテルなので、練習室なんてものはなく、合宿の間は自分の練習はできません。(ぴえん)

そして迎えた初めての定期演奏会で、自分の出番が終わって、舞台袖で吹奏楽とオーケストラを見ていたときは圧巻の演奏にビックリ。さすが専攻生の塊+OB・OG+山形交響楽団の賛助入り…レベルが高い。
この演奏を見て、来年はオーケストラで出たいな〜と思い始めました。

入学して3ヶ月後に自主退学宣言

音楽高校では実技テストが付き物。練習やレッスンは95%テストのためにやるようなものです。
(音楽高校のテスト詳細は番外編に詳しく書いてます!!)
相性が良くない先生とのレッスンはそれはもう地獄。
毎回言うことに一貫性がないし、テスト直前まで真逆のこと平気で言うし…

最初のテスト前日、放課後にレッスンを控えていた私。
レッスン室で待てど暮らせど、やって来ない先生。練習しながら待っていたものの、レッスン開始予定から30分経過したので、捜索活動を開始。
一般校舎の職員室にも音楽棟の職員室にも、どこにもいない。
音楽棟の駐車場を見てみたら、先生のものと思われる車がない…

す っ ぽ か さ れ た !

仕方なく帰路につき、駅に迎えに来た母の車に乗った瞬間、悔しさとイライラが爆発して大号泣。
起こった出来事を母に話して、そもそも先生の選定から間違ってるし、学校に先生を変えてもらえるよう物申してほしいと伝えて、翌日のテストは自力でなんとかするしかないので、自宅のピアノ部屋に夜遅くまで引きこもりました。

テスト当日、先生が直前に私のもとへやってきて
「昨日はごめんね〜体調悪くて帰ったんだよね〜まだちょっと良くないんだけど。今日のテスト大丈夫そう?」
とヘラヘラと接してくるではないですか。
演奏直前に演奏者の気持ちを乱してる自覚がないのも腹が立つし、なんなら全く体調が悪かったようには見えない。
怒っても無駄なので、自分の気持ちを落ち着けてテストに挑みました。
テスト終了後、母からの電話で駆けつけた担任に怒りをぶつけました。

担任「お母さんから電話もらったんだけど、昨日レッスンできなかったんだって?」
私「【できなかった】じゃなくて!【すっぽかされた】でしょ?非常勤の先生みたいにプライベートレッスンなしで、学校のレッスンだけないのにありえなくない?」
担任「先生を変えてほしいって希望みたいだけど、それは難しいのよね〜」
私「なら学校辞めて外部のちゃんとした先生につくわ」
担任「1年頑張れない?来年になったら先生変えられるかもしれないし」
私「いや、変えてもらわないと困るんだけど。先生に頼らず自力で頑張れってことなら辞めて普通高校に入り直します」
担任「そういうことじゃないんだけど、確実に変えられるって約束はできないから…」
私「いやいや、初っ端からすっぽかされるとか意味わからないから。とにかく変えるって約束してもらわないと困るんだけど」
担任「そんなに喧嘩腰になったところで、あなただけの希望を叶えるわけにはいかないの!」
私「あのさぁ、ちゃんとしたレッスン受けられないなら、電車で往復2時間かけて学費払って高い演奏服とか買われされてまで、この学校に通う意味ないから」

当時は反抗期真っ只中かつ先生が気に入らなくて常に気が立っていたとはいえ、今思えばものすごい言い草…w
そして担任の先生も最後は生徒相手に喧嘩腰…w

今思えば、早々に外部の先生にレッスンつくとか、地元のO先生にレッスン再開してもらうようにすれば良かったんだろうけど、当時の私にはそんな考えは全く思いつきませんでした。

※音大では先生が公私共にものすごい量の生徒を見ているので、レッスンに来なかったり、生徒に出していた課題が何か忘れることは、よくあるらしいです。

地元の音楽祭に初めてソロで出演

毎年9月に開催される地元の音楽祭。合唱団や中学校の合唱でよく出ていたのが、今回は地元のO先生とT先生からソロで出てみないかとオファーが。

「高校生だけど、やなぎちゃんはピアニストとして出ることを忘れちゃダメよ。」
そうO先生から告げられ、プレッシャー強めな反面、ピアニストという響きにドキドキワクワク。

音楽祭の選曲を学校の担当の先生に相談したら、渡されたのはシューマンのトロイメライ。
「それかシューベルトのソナタとかもいいと思うけど〜」

やっぱりこいつ、舐め腐ってる…

トロイメライとかどう考えても専攻生に渡す曲じゃないし、音楽祭に出ると言っているのにその選曲センス…
この先生にはやっぱり頼れない!となり、自宅であれこれ曲を聴いたり弾いたりして「有名だし、聴いたことある人も多いだろう」と、ベートーヴェンのテンペスト 3楽章に自分で勝手に決定。

なんとか迎えた本番当日。
発表会でも中学校の学園祭でも何度も立っているステージ、小学生から何度も弾いているピアノ…慣れたもんだと思って、いざステージに立ってみたら、見慣れたはずのその景色は全然違うものでした。

スポットライトってこんなに眩しかったっけ?
ステージってこんなに広かったっけ?
このピアノってこんなに大きかったっけ?
客席、こんなに人が入るんだっけ?あ、立ち見の人もちらほらいる…
こんなに静かだったっけ?

ソロでこんなに大勢の観客の前で演奏するとなると、こんなに景色も感覚も変わるのか…と緊張と同時に感動。
O先生が「ピアニストとして…」といった意味がなんとなく分かりました。
いつもの発表会とは全然違う、埋め尽くされた客席と静寂の中で、初めてのたった1人での演奏は緊張するし怖いけど、気持ちがいいし、楽しいし…複雑な感覚でした。


入学してから半年で思い返せばものすごくたくさんの出来事がありました。
次回は中編!お楽しみに!!


バックナンバーはこちら↓

ピアノと私の30年、出会い編からのバックナンバーはマガジンに追加されています!!


最後までお読みいただき、ありがとうございます。 サポートいただきました費用は音楽活動や書籍購入など、自分のアップデートに活用させていただきます!