よいプロダクトは経済性を考慮しているのか?
世の中で、成人すれば、われわれは何かのプロダクトを作ることになる。
それは、コンビニのバイトから引っ越しの作業、ゲームを制作したり、マッサージを提供したり、芸術作品を創作したり、哲学書を出版することも含まれる。
いずれの活動にしても、何かしらのプロダクトや作品作りに、直接的関節亭に関わる。
よいプロダクト作りのポイントは2つ。凄い体験であるということ。さらに、経済性。
凄い体験であるということ
凄い体験というのは、さらに、2つに分かれる。
気持ちいい、快感、爽快、ワクワク、興奮などポジティブな体験をもたらすもの。
あとは、めんどくさい、やりたくない、うざい、というネガティブを取り除く。
課題解決といってもいい。
経済性
仮に、であるが、浦島太郎のような酒池肉林ができる体験をプロダクトとして作ることはできる。
みんな喜ぶだろう。
しかし、
それが、1時間1000万円、とかでは駄目。
これを創意工夫の仕組みで10万円にできれば可能性はあるかもしれない。
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われわれは常に「時間」と「お金」という制限に直面している。
自分が納得いくプロダクトを作りたくても、これらの制限で、妥協せざるを得なくなるかもしれない。
よく言われるように、上場をすると株主のために株価を最優先で経営する必要があり、短期的な利益を追い求めざるを得なくなる。
一方で、サイドビジネス的になにかに取り組むことは「時間」の制約から解き放たれる。
例えば、サラリーパーソンとして企業で働きながら、「哲学」や「芸術」に取り組む人は、経済性の観点でかなり優位だ。短期で、結果を出す必要がない。
逆に、大学に属し論文を提出することが義務付けられた哲学者などは、まさに経済性に縛られ、よいプロダクトを創造しずらい。
彼らは時間では優位だが、お金がない。
やはり、よいプロダクトを作るにはお金も必要だ。
仮に一人で中心的な作業が全てできるとしても、雑用であったり、フィードバックをもらったり、人付き合いのために、お金が必要になるだろう。
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逆に、このあたりがサポートされていたらどうか?
非営利組織や政府から補助があるような領域は、こうした制約が比較的和らぐだろう。
ハリーポッターの著者は、生活保護受給で、あの小説を書き終えたそうだが、これはこうした制約から解放されたからかもしれない。
ただ、リソースが無限大にあればよいというわけでもない。
最終的には、プロダクト享受者がどれだけ満足するかである。
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無駄がないプロダクトというのは、価値が高い。
例えば、私がやっているような教育事業にしても、採算度外視で、普通に考えれば赤字のようなサポートをしてもしょうがない。
往々にして私塾みたいなのは、そういう目的が絞りきれておらず、おれの背中を見ろ的な過少な価値提供か、或いは、なんでもかんでもやりがちだ。
目的も明確な上で、過剰なサービスをするというのは、短期的にはいいが、長期的にはよくないと思う。なぜなら、受け手も対価を意識するからだ。そのバランスが崩れたら、サービスを受けづらくなる。
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よいプロダクトは経済性を考慮しているのか?
この問いの答えは、
結局、誰目線かによる。
プロダクトの制作者の観点であれば、どれだけ結果(人から受け入れられる)がでるまでの時間を耐えられるに依る。
もちろん経済的に耐えられることもその重要な要素だし、心理的なこともそうである。
ニーチェのように山にひきこもって資源の制約なしによいものを作ろうとしても、死んでからそれが評価されたら悲しい。ニーチェは自己満足で十分よかったのかもしれないが。
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受け手の視点からしたら、経済性は、お金を払うプロダクトのみ影響するだろう。
そうであれば、低価格のほうがいいに決まっている。
しかし、高価格だからこそ、価値を認識できるようなものもある。
なかなか難しいものだ。
結局は、どんなプロダクトにせよ、一人ひとり異なる消費者がどのように思うか、に依る。
一つ言えるのは、単純に売上や利益だけで判断するのは短絡的すぎるということ。
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