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狩猟採集時代からベーシックインカムへ

新卒で、最初に企業に就職したとき

「あれ、これ無理ゲーじゃん?」

と、なんとなく違和感があった。

それを2十代前半では言語化できなかったが、今となってはある程度説明できる。

当時の違和感は、

「えっと、自分は何の価値を提供して、新卒のこの給料もらってんの?」

ということだ。

もちろん、研修や一人前になるための準備期間は必要だが、それが終わっている人も、「その人の給料が何の価値に対して与えられているか」がわからなかった。

今になってわかるが、これは、結局、よくわからない適当なものなのだ。

誰がどんな価値創造をしたのかをしっかり把握し、それに対して金銭的対価を支払うことはこのカオスの複雑な世界では無理だ。

各社員が分業された仕事をしていて、それが組み合わさって価値になっているのはわかるが、そこが至極見えづらい。

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歴史的な経緯はあるが、会社は、社員を正社員として雇用する義務がある。

これはよく考えれば、ナンセンスだ。

だって、企業活動とは、商品やサービスというプロダクトを作って、変化する世界、社会、企業、個人の課題を解決するもの。

「変化する」のだから、常に課題を解決できるとは限らない。

しかし、

一方で、その課題を解決するのに必要な材料である「人材」は、正社員として永遠に雇用し続けなければならない。(厳密にはどうではないが)

これは無理ゲーだ。

環境は変化しているのだ。

なのに、なぜ、企業はプロダクトの材料である人材については、「変化」(つまり、解雇)できないのか?

おかしい。

冒頭で述べた「どんな価値を提供して、この給料をもらっているか」を明確に説明できない理由がここにある。

正社員とは、解雇できない代わりに、時間を売るような形式の労働だ。

何をするかわからないが、私の身体(時間)を捧げます、というようなもの。

これは、企業にとっても雇われたサラリーパーソンにとってもリスクが高すぎる。

不健全だ。

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外部環境、内部環境含め、あらゆる事象は変化し続けている。

だったら、企業活動の材料である「人材」も流動的であるべきだ。

つまり、環境に適用できないやつは解雇できるようにしよう!

というシンプルな結論。

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でも、そうしたら、敗者・弱者が可愛そうだ。

自分だっていつそうなるかわからない。

そのような敗者を生み出す社会を放置できるか?

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企業活動として、次々と課題を解決していく資本主義社会は、たしかに人類にとってよいことのほうがいい。

しかし、そこで淘汰された人々を救えるくらいは、グローバル社会は余裕をとっくにもっているだろう?

今は21世紀だ。

狩猟採集時代とは違う。

世界では、カロリーベースで、60億人以上の食をまかなえるほどの生産性がある。

もう、ちょっとした不注意で死んでしまうリスクと向き合う時代ではないはずだ。

原始時代から、そのようなリスクを避けるために、何千年も社会を作って進化してきたんじゃないのか?

つまり、とっととベーシックインカムなりで、最低の生を、生まれた瞬間から保証しろよ、という話。

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その不確実な環境変化でも人々が安心できる保証を、「企業」が担うのはおかしい。

国がやるべきだおる。

こうすれば、企業はもとっとなめらかに世界、社会の変化に対応できる。

投資はもっとシビアになる。

ダメな企業はどんどん潰れてしまえばいい。

でも、セーフティネットは用意しておこう。

十分に高めた生産性でそれくらいは余裕でできるはず。


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