全員がなんとか頑張るという姿勢がないと総崩れする
ベーシックインカムのような全員に積極的にセーフティネットを与えるのが個人の自由的実存の実現に資すると考えているが、1つの大きな懸念がある。
それは、「みんな社会のために頑張る必要がある」という今うっすらある前提が崩れてしまう懸念である。
もちろん、なんら社会に生産していない人は今の社会に沢山いるであろうが、それでもみんな本当に働かなくなったら社会は回らなくなる。
そして、ベーシックインカムになったら、「みんな社会のために頑張る必要がある」ということを構造的に否定することになってしまう。
ベーシックインカムであっても、憲法としてはみんな勤労の義務があるとか、書けるかもしれないが、実質働かなくても生きていける状態になったらそれは無視できてしまう。
現代社会で、生産的なことをしているかしていないかは、正直線引が曖昧だ。
何もしていないウインドウズ2000や新聞係も、もしかしたら、人への優越感という福利厚生を与えているかもしれない。
どんな非生産的な人々でも、企業がいちおう雇用しているのであれば、それは必要な存在とみなすしかない。
社会を存続させるには、やはり必要なことだ。
明確な生産性だけで判断すれば、「じゃあやめます」が連発するようになる。そうすれば経営は無理ゲーになる。
ベーシックインカムが成立しても、やはり、各個人は世界や社会という荒野にサバイブしている死に直面した存在であることを理解すべき。
各個人もやはりカオスという複雑性の社会に向き合っているという根本原理に直面するべきなのである。
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