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弱者を支援するとは何なのか?

まず、弱者とは何か?

ここでは、自立して生存を続けるのが困難な人、とざっくり考えておこう。
路上生活者や月10万円にも満たないぎりぎりの収入であったり、さらに自ら収入を得ることは不可能で介護などが必要な人なども含む。

そして、重要なことは、彼、彼女らがそうなってしまった原因は、不可抗力的に所与のなにかに基づいている、ということ。

例えば、一般社会で働くために求められる学力レベルを身に着けられず、社会で普通に働いてお金を稼ぐことができない人がいたとしよう。その人は何かしらの事情で、小学校に通えずそうなったはず。そしてそれは、家庭の事情とかいじめがあったとかそういう回避するのが難しかったことだっただろう。

厳しい見方をすれば、だったら親戚に助けてもらえとか、転校すればいいとか言えるが、実際、未成年にそれを求めるのはありえないだろう。

つまり、ここで言いたいのは、弱者が弱者となっている原因は、生まれの偶然性にある、ということ。

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彼らを救うためにはどうすればいいのか?

そもそもどうやったら救うことになるのか。弱者を助けるとはどういう行為がありえるか?

お金をあげる、食べ物や衣服など現物支給する、支援団体に寄付する、社会でお金を正当に稼げるようになるまで教育などサポートする、友達になる、毎日話し相手になる、などなど、
さまざまなレベルがあり、甲乙つけがたいものである。

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では、どうすべきか?どんなサポートをすべきか?

1つ選ぶとするなら、
生存するだけのために辛い思いをさせない、ということ。

自立できるようにする教育的支援は、実際、難しすぎる。弱者とコミュニケーションを取るのは難しいだろう。困っている時点で、性格悪いだろうし、嘘もつくだろうし、卑怯である可能性は高い。(そうでない人もいるだろうが。)ただ、それは普通の人よりも圧倒的に、不遇で過酷な環境を生きているから当たり前のこと。そこを非難するのは間違っている。

だから、まずは、金銭か現物支給で、生存するだけのために辛い思いをさせない、これを提供することが急務だ。

しかし、もしこれを弱者に提供するなら、
弱者でない人から不満が出るかもしれない。
多くの人達は、生存するだけのために辛い思いをしているだろう。毎日仕事でへとへとになっている。

だったら、そういう人たちに対しても、最低限の生活を保障すればいいのではないか。

つまり、ベーシックインカム。







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