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まなざしの地獄→まなざしの不在→連帯はどう取り戻されるか

社会学者の見田宗介さんは、まなざしの地獄からまなざしの不在という移り変わりというキーワードで、40年前の永山則夫連続射殺事件と2008年の秋葉原通り魔事件を考察している。

個人主義や自由がいまより実現されていない昭和の頃は、家族や身内の人間関係がうざったらしく、むしろ生まれとは関係なく何でも挑戦できる生き方が憧れられた。その後、時代が進むと、今度は個人主義が実現され、無関心や表面的なコミュニケーションが問題となった。これがまなざしの不在。

土地に結びついてめんどくさい人間関係からは解放されたが、そうなると連帯する契機が今度はなくなる。会社やサークルのような明確な目的のあるコミュニティでは何かが足りない。

今後、そうれらをアウフヘーベンした新たな紐帯、連帯はどうやって作っていけるだろうか?


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