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「音声知覚」と「意味理解」の境界線 #語学 #英語 #中国語

今、私が「アナクシマンドロス」と声に出していったとしたら、ほとんどの日本人はその意味がわからなくても「アナクシマンドロス」とリピートできるはずだ。
(もちろん、古代ギリシア哲学に通じている人は意味理解もできるだろうが)

第二言語習得の研究分野では次のように言われているようだ。

第二言語習得研究では、リスニングがどのような過程を経て習得されるのかというプロセスを以下の3つに大別しています。
音声知覚
意味理解
情報整理
「音声知覚」とは耳から入った音声を分析して「何を言っているのか」を知覚することを指し、「意味理解」とは聴き取った音声を自分の知識と照合して「どんな意味なのか」を理解することを指します。
https://englishhub.jp/news/sla-reason-listening.html

もちろん、これは言語習得を科学的に研究するために作られたモデル、或いはトレーニングの目的意識を高めるという狙いの便宜的な分け方だ。本当にどういう仕組で人間が意味理解しているのかは仮説であり続ける。

例えば、中国語で言えば「音声知覚」とは、聞いたものを「ピンインで書き起こすことができる」ことと重なるだろう。つまり、音を中国語の音の枠組みという再現可能な形で捉える、ということ。これが冒頭の「アナクシマンドロス」と同じことだ。

では、「意味理解」とは何か?
それは「アナクシマンドロス」と音として認識でき、そしてそれが意味することを理解できるということだ。これはその人の知識や経験が必要となる。

さて、

ここで一つの問い。

「音声知覚」する際に、われわれは単語の知識(或いはそれが内在化されたもの)を使っているのか?

ということ。

機械のように、1音節ずつを聞き取ってつなぎ合わせているのではなく、部分から全体の単語や文を想定しながら1音節ずつを聴いている。

たしかに、われわれの脳内では、

相手の「わたしはにほんじんです」という発話を、「わ」「た」「し」と一文字ずつ認識して「わたし」と繋がった時点で「私」とう意味理解が成立している、というわけではないだろう。

ここまでこういう内容だったという把握と、この状況からこういう音が聞こえるだろうという推測がなされている。

そもそも、外国語の音を純粋に書き取ろうとすることは不可能だ。

なぜなら、音は文脈に応じて変化するから。

例えば、日本語で「とまと」という場合、日本人にとって最初の「と」と最後の「と」は、同じ「と」として「全く同じ」と主張するだろう。

しかし、中国人からすると、最初の「と」は有気音で、最後の「と」は無気温と認識される。つまり、違う音なのだ。

なので、聞いた音を純粋な固定的な記号(例えばIPAのようなもの)に全て置き換えることができない根本的な理由はここにある。

リスニング力を高めたい学習者目線でいうなら、外国語の純粋な音としての知覚というのも追求すべきだが、このような構造的な理由でそれは限界があることを理解し、聞き取れる単語を増やすという目的で学習を進めていくのがいい。




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