病めるときも健やかなるときも

自分は応援しているチームや人は割合沢山あるほう、らしい。
らしいというのは、これが普通だったから、取り立てて言うことでもないし、機会もなかったし。ただ、色んな人とあらゆるスポーツの話題についていけるなぁという実感は20歳超えたぐらいからあった。

もうそんな中でも血潮レベルで有無を言わさず応援しているのは、広島東洋カープとサンフレッチェ広島。(はい、広島出身です)

ここはもう、野球が好き、サッカーが好きという次元じゃない。
カープが好きじゃけん野球のルールを覚えたし、サンフレッチェが好きじゃけんオフサイドを真剣に理解しようとした。
カープが好きじゃけん相手になるチーム状況も調べるし、サンフレッチェが好きじゃけん代表チームの試合も見るようになった。

すべては応援しているチームがあるからこそ。

ただ、血潮レベルの応援は、根付いているからこそ厄介で、
叱咤激励というように、気に入らないプレーに文句もいうし、負けた試合のあとは機嫌だって悪くなる。

なーのーに、試合見るし、結果だけでもチェックする。
それはそのシーズン劇的に弱かったとしても。
万年Bクラスと言われて優勝なんて夢のまた夢であっても。
J2に落ちて、これから熾烈なJ1昇格争いに向けて骨身を削らなくてはいけなくても。

『つまらんのぅ』って言いながら、新聞やニュースを逐一チェックする。

この応援が報われたいなんて思わない。思ったことはなかったし、
これからも応援する目的のひとつに、報われることが含まれることはないけど、
それだから、報われたと実感したときに初めて、これが応援する歓びかと目から鱗が落ちた。

カープの怒涛の快進撃、そのちょっと前にはサンフレッチェも2連覇した。

気に入らないプレーや結果にぶつくさ言うことだってある。
それを家族や仲間で『あれは誰々があそこでいけんけん駄目よ』とかめっちゃ話する。
同じように、勝ったらその喜びも共有する。

私の人生の中の、【一喜一憂】することを与えてくれるもの。
こちらが応援していたけど、応援することによって私も色々なものを貰ってるって気づけた瞬間がある。

応援することによって、選手が勝とうとするエネルギーになるなら、これに勝るものはない。
報われたいから応援するのではない。
自分の生きる活力として、応援するって大事だなってようやっと(30年くらいかかって)気づけた。

昔、弟がサッカー部で週末練習試合ばっかり行ってたころ。
引率で母が毎週同行してた。(他の親は来てないにも関わらず、車出して、大量のおにぎりを作って)

たまたまサンフレッチェの試合を部員全員で見に行ける機会があって、
ひろしまビックアーチに行ったとき、母は一人で大声張り上げてサンフレッチェを応援してたらしい。

母は、“なんでサッカー部のみんなや他の人は、全然応援せんのじゃろう”と不思議に思ったら、エスパルス応援席だったらしく、周りは暖かい目で母を見ていたらしい。

母の応援スタイルはすさまじいもので、ルールとか戦略とか全く知らないけど、そんなの関係なく、とりあえず応援しているほうを叫びまくって鼓舞して応援するスタイル。

『行け行け行けーーー!!蹴れーーー!』てな具合。

普通はアウェー席でのそんな応援はマナー違反で、冷たい目で見られたり、注意されたりするけど、現地にいた弟曰く、母の素っ頓狂で邪気のない真っすぐな応援に、周りの人々は優しかったらしい。多分エスパルスファンの方が優しいのだとも思うけど。
(でも弟含めサッカー部の子らはみんな恥ずかしくて他人のふりをしたらしい)

そんな母のカープ応援スタイルは、見ない!これ!
広島あるあるだと思うけど、基本中継やってるときはカープの試合をTVで見てた。

でも母は見ない!
何故なら勝手に、【母が試合を見たら負ける】ジンクスを作ってるから。
(まぁ、実際結構な確率で負ける)

だから、見ない。勝ってほしいから、見ない。

応援って、人それぞれ。相手を思って、ね。

#応援したいスポーツ

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