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ピノキオPの歌詞の技法

※本論は、ボカロ批評同人誌の白色手帖『ボカロ批評 Vol.02』(2014年)に掲載した「『ニコニコ動画の外』から見たボカロ-文学・現代詩の観点から」の転載です。

※『黒うさP『千本桜』の歌詞を分析してみた』の続きの記事になります

 前章では『千本桜』の歌詞を取り上げ「イメージによる読解法」について書いた。この章では言葉同士の関係を、また別の観点から論を深め、ピノキオPの歌詞について書いていく。

 ピノキオPと言えば、投稿曲のうち55曲が10万再生を超えており、全ボカロPのなかでもこれは3番目に多い驚異的な曲数である(2016-10-19現在)。

 しかし、ピノキオPはその人気を持ちながらもボカロアングラシーンにも深く関わっており、これは珍しい存在で、特異なボカロPと言える。

 だが真にピノキオPを特異な存在たらしめているのは、その「歌詞」である。ピノキオPは私が何百と聴いてきたボカロPのなかでも、特に優れた「歌詞」を書くボカロPのうちの一人である。

 このことについては、多くのボカロリスナーのなかでも共有されている意見ではないかと思うが、しかし、そのピノキオPの歌詞について、実際に論じている文章は多くない。あるとしても、歌詞の内容への「共感」で読んでいるものが多い。

 そこで、ピノキオPの歌詞がどのような言語的な操作を経て生成されているか、実際に論じてみたいと思う。前章の『千本桜』での読解法を継承しつつ、「言葉同士の対立と解消」、そして「リアリズム」という面で、ピノキオPの歌詞を読み込んでいく。


1 ありふれたせかいせいふく

 ではまず、『ありふれたせかいせいふく』という曲の、歌詞の一部を引用させていただく。

いじめっこ いじめられっこ
どちらもピーマンは苦いね 大発見

 この短い歌詞は鮮烈的で、ピノキオPをよく象徴している歌詞だ。「いじめっこ」と「いじめられっこ」という、まったく立場が違う人間同士=言葉同士を、「ピーマンは苦い」という単純な生理感覚を衝突させることによって、「いじめっこもいじめられっこも、同じ人間」という意味に変化させ、言葉の対立を解消させている。

 これを『撞着語法(どうちゃくごほう)』と言う。

 撞着語法は、別名矛盾語法とも呼ばれ、この手法を使用した代表的な言葉には、「暗い光」や「冷たい炎」などがある。

 これらの表現は、基本的にはお互いに接着しないはず同士の言葉を結びつけた表現である。撞着語法は関連しない意味同士の言葉を結びつけ、そしてその表現にしか表せない独特でリアルな感覚を描き出す。撞着語法には、その表現でしか描き出せない言葉のリアリズムが宿る。

 ピノキオPの歌詞にもこの撞着語法が使われており、「いじめっこ/いじめられっこ/どちらもピーマンは苦いね」は、まさにこの意識にもとづいて書かれた表現である。そして、この「ピーマンは苦い」には、違う立場の人間を一緒にしてしまう、否定しきれない不思議なリアルな力がある。これがピノキオPの歌詞の核心である。


2 Floating Shelter

 次に『Floating Shelter』という曲に出てくる歌詞の一部では、

ゴミとユーモア 寄せ鍋にして
現実に立ち向かおうとした

 ここでも「ゴミ」と「ユーモア」というまったく異なったもの同士の言葉を「寄せ鍋に」し、しかもそれで「現実に立ち向かおうとした」と書いている。鍋で現実に立ち向かう姿はかなり滑稽だが、しかしこの「滑稽さ」は、同時に「リアル」でもある。

 先述の『ありふれたせかいせいふく』もそうだったが、「ピーマンは苦い」という発想の入れ方は非常に滑稽で、幼くて、ユーモアのあるものだ。同様に、『Floating Shelter』の「ゴミとユーモアを混ぜた鍋で現実に立ち向かう」も、発想の仕方が非常に滑稽で、ユーモアがある。

 これがもし、「剣と盾を持って敵に立ち向かう」などであれば、全然普通の歌詞であり、ユーモアもない。だが、「ゴミとユーモアを持って敵に立ち向かう」にすると急激に面白みが出てくる。これが『撞着語法』だけにある言葉の効果である。

 ゴミとユーモアは寄せ鍋にはできないし、そんなものでは現実に立ち向かえない。もしかしたら、それは他人からは笑われてしまう、指を差されてしまうことなのかも知れない。だが、ピノキオPは間違いなくそれを「武器」にして現実に立ち向かっている。それは非常に滑稽で、かつ生きている人間のリアルな姿だ。

 以上のように、『ありふれたせかいせいふく』にも、『Floating Shelter』にも、全く共通する歌詞の構築方法が存在することが分かるだろう。そして、ピノキオPのリスナーならばどうしても気になる「ある曲」があるはずだ。


3 マッシュルームマザー

 『マッシュルームマザー』という曲では、

やーいやーい マッシュルーム
お前の母ちゃんマッシュルームマザー
やーいやーい マッシュルーム
マッシュルームマザー マザー

 という歌詞が非常に話題になった。

 ボカロPのwhooは、この歌詞を聴いて「なんだか涙が溢れてしまいそう」とまで言うほどである。一見するとまったく中身のない歌詞だが、しかしこれは「ピーマン苦い」や「鍋で現実に立ち向かう」と同じ効果を有する一連の歌詞だ。

 「やーいやーい」という相手を揶揄する言葉と、「マッシュルーム」という変てこな音を、「マザー」にぶつけているのだ。

 そして「マザー」というのは、この曲では「巷にじわり蔓延ってる/趣味の悪いきのこ/中身はスカスカからっぽの/気持ち悪いきのこ」のことである。

 もし、この曲を聴いて泣けるという人がいるのであれば、それは「マザー」に「マッシュルーム」がぶつけられて、自己のなかの「対立」が解消される人間である。前述のボカロPのwhooには、その「対立」が心のなかにあったということに他ならない。


4 ラブ イズ オノマトペ

 また、以上にあげた三曲をさらに進めたものとして、『ラブ イズ オノマトペ』という曲の歌詞の冒頭を取り上げる。

神を否定しようにも
あいつんち何処か知らない

 この曲は、いきなり歌詞が「神」という非常に大きな主語から始まる。

 そして、ここでは「神」という日常からほど遠い言葉=聖性のある言葉を否定するために、「あいつんち」という身近でくだけた言葉=俗物をぶつける撞着語法が採用されている。

 さらに、この歌詞は一歩進んで「何処か知らない」、つまり「それをしても対立が解消されないこと」が明示されている。

 この『ラブ イズ オノマトペ』は、比較的最近である2014/07/29に投稿された曲であり、この歌詞からは、ピノキオPが『撞着語法のリアリズム』だけでは自己のなかの対立が解消できないこと、またそれに対して向き合う意識を持っていることが読み取れる。


5 まとめ

 以上、ピノキオPの歌詞の読解をさせていただいた。

 ピノキオPは言葉同士の対立関係を、絶妙なユーモア感覚で解消させようとする意識を持っている。しかし、近年ではそこからまた一歩意識を進め、「容易に解消されない対立」をも描いている。その意識は『ニナ』の「遺伝子の謎解けちゃって/宇宙の果てに着いちゃって/生きてる意味悟っちゃって/次は何をしよう何ができるかな」からもうかがえる。

 この歌詞からは、「対立を安易に解消しようとしない」方向に進んでいるように私には見える。

 共感だけでは終わらせない、ピノキオPのこれからの活動にますます注目したい。

詩を書くひと。押韻の研究とかをしてる。(@sagishi0) https://yasumi-sha.booth.pm/