ずっと変わらぬ価値について考える。
昨日の夜は、zoomで鍛え合いをしている仲間と話をした後に、うまくオフにできなかったことがきっかけで、少しだけのつもりが、プラス1時間半になりました。
途中から目をこすっておられて明日も仕事だろうし申し訳ないなと、これでも話を切り上げたのですが、互いに相手理解ができ、通じるものがあった、という感触がありました。
私も最近は以前よりタイトに過ごしているのですが、時間は大切なもので、相手の人にとっても大切な時間を、無駄にしないという心がけをよりしています。
そんな中でも改めて、人と向き合う時間の尊さや大切さも、想うことができる時間でした。
さて、今日の朝活のテーマは、「そこにどんな真価がありますか?」でした。
「真価」という言葉に対して、どう理解をしたらよいかと思いました。
対話から、真の価値、普遍の価値ということになるのかという理解ができてきました。
細かな話になりますが、価値という文字には、「値」という文字がついているので、本当の意味での「普遍」という意味に、経済という意味や解釈が加わってしまうのは、ちょっと違っていて、そこが必ずありきでの視点や思考では、普遍には届ききれないものになると思います。
ここについては、話が込み入り長くなるので、ここは一旦、置いておきます。
それらの理解の上で、
「多様性と言われる時代になって時間がたっている。人との違いを認め合うということに対しては、ひとつの正解だし、否定できるものではない。
ただ、だからといって、こたえはない。正解はない。といつだってしてしまうのは違うんじゃないか、という思いがあって。
それに対して、「向かう方向性はあるでしょう」という言い方をしていたのだけど、もっと、わかりやすい表しはないのかと思っていた。
私たちの本質は「真であり、善であり、美である。」ということを教えていただいたことがあって。
「どちらを選ぶの?」となった時には、「真であるか。善であるか。美であるか。の問いをしたらよいのでは?」とこれからは言いたいと思っていたところです」というような話をしました。
また、他の方が、
「仏像をみることが好きで。
何で好きななかというと、そこに流れているもの。仏様からの慈悲を感じているからではないかなと思う」
「海とか空も、ずっとずっと変わらずにあるもので、そこから感じるものもある」
と言われていました。
心に響く話でした。
今日のテーマは、悠久に変わらぬ普遍のもの。という深く、とても大切な問いだったと思いました。
今日は、私がさしせまってやることがある緊張もあり、ただただ、真面目な文になってしまいました。
活力をもっていきます!
それでは、今日もよい一日になさってください。
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