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喧嘩をするほど仲がよいについて考える。

今日は仲間の方たちとたくさん関わりがあり、楽しくもあり学びもたくさんあった1日でした。

帰りにご一緒した方々とは、人との関わりや距離について話をしていました。

「自分はみんなと仲良くしているようで、実のところは、人との距離をそこそこに保ちながら関わっている」という方や、「逆に自分は心の中に、土足でずかずかと踏み込んでくるなと言われたことが何度もある。争いが絶えなかった」という方がいました。

そのような話になると、みなさんそれぞれに思いあたることがあり、いつまでも話がつきない感じでした。


結局、人と仲良くなるには、精一杯の真心で人に関わったとして、それが我心がないものだったとしても、嫌がられたり煙たがられることもある。誤解もある。自分の心がどうであるかは責任をもっていきたい。


我心があると尚更、嫌がられてしまう。それでもやっぱり、人ときちんと関わることを繰り返すことで、反省や改善をすることができる。


だから、人と仲良くする。ということを意識しすぎて、いつまでも踏み込めない関係でいるというのではく、自分と人を信頼して、しっかり向き合っていくということ。それしかないね。というような話に落ちついてきました。


誰とも争いがなく円満というのが、もしかすると、笑顔の裏では本音をいわず、いつも人との距離感を保っているだけなのではないか。

人とうまく関わる秘訣というもので、それは、違うものと割り切って、距離を保つ。というものもありますが、私はそういう関係では、寂しく満たされないと感じます。


そうではなくて、率直に距離感も縮めていきながら人と向き合って、その上での仲の良さや円満なのか。

同じではないものがあるからこそ、コミュニケーションが生まれる訳で、互いに、わからないことを分かち合うことから生み出されるものは、とても面白くもあり、計り知れないものではないだろうか。。と感じてならないです。


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