海藻、カレー、普通


 今年の三月から久しぶりに会社で働いています。

 去年はそういう勤務めいたことはしていなかったので、「アルファポリス」に投稿した『冒険者ギルドの受付でチート持ち主人公の噛ませ犬にされた男の一生』が稼ぎ出してくれるお金だけが収入で、そういう意味ではプロ小説家でした(ちなみに年収は500円です。万がついたらよかったのに)。

 それはともかくとして。

 今働いている会社は、これまで働いてきたどの会社よりも大きいようで、何故そう思うかというと社員食堂があるのです。

 ビルの最上階で、まあまあ古く小汚い感じですが、堂々たる社員食堂です。

 お昼は基本的にそこで食べることになるんですが、ここで一つ問題が起きます。

 私、好き嫌いが多い方でして、とりわけ海藻がダメです。海苔も駄目だし、ワカメなんて食べる意味が分からないぐらいには嫌いです。

 となるとどういうことが起きるか。

 社員食堂には定食メニューがあります。定食は日替わりが二種類と、チキン南蛮です。大抵、メインとご飯とサラダと、味噌汁ないしスープで構成されています。

 お分かりでしょうか。

 きっと分からないでしょう。

 と言うのも、あなた方は健康な舌を持っている確率が高いと私は考えているからです。

 問題は味噌汁です。

 味噌汁というのは、私にとっては地獄を煮詰めたような料理です。海藻を食べられる人間にとっては信じがたいことかもしれませんが。

 何せ、味噌汁には大抵の場合ワカメが入っています。

 ここ三か月ほどの観察の結果、食堂の味噌汁はワカメが入っている時と入っていない時があり、どうやら入っていない時の方が多いようです。

 だけど、私はこれまで味噌汁がついている定食は頼んでいません。ランダム性の高さが、私に二の足を踏ませます。

 万が一、食堂のカウンターで「はい、次の方」と呼ばれて「A定食で」と応えた後、「Aで!」という料理長めいたおばさんの合図で給仕のおばさんが味噌汁をお玉ですくい上げた時、暗緑色の濃縮された海のような味のそれが入っているのが見えたら。

 私は午後の仕事を放り出して「日本最高のスタバ」と個人的に信じているあの橋のたもとの店に走ることになるでしょう。そして口の中の海の味が消えるまで、スターバックスラテを何杯も飲まねばなりません。その後は会社を辞めて、また年収500円の職業小説家に戻ることでしょう。

 同僚を鉱山労働のカナリヤ代わりに使うことも考えなくはないのですが、彼女らにそれを一度でも聞けば、「雨宮さん! 今日の味噌汁は入ってないですよ!」という無用な報告を毎日させることになってしまいます。ええ、何せ私の同僚ときたら、みんな優しくお節介な「おばさん」達なので(年齢的には私も似たようなものですが)。

 となると、最も無難な行動は何か。

 そう、もうお分かりですね。定食を頼まないことです。

 幸いにも、この社員食堂には二つの日替わり以外にもう一つ、ワンプレートランチが存在します。こちらは何といってもワンプレート、絶対に味噌汁がつかないのです。拍手!

 しかし、最近その状況が変わってきました。

 例のウイルスのせいです。

 このnoteを書いている2020年、世界的に猛威を振るっているウイルスの影響により、我らが社員食堂の人員は減らされ、ワンプレートランチの提供がされなくなってしまいました。

 うーむ、どうしたものか。

 人間、そんな名案はポンポンと浮かびません。状況を打破できる人間は少なく、何故ってそれはみんな打破したいはずの日常をどこかで大事に思っているからです。

 感傷ですね、すいません。

 結局、定食でない作り置きのおかずとご飯で済ませることになるのですが、このおかず、数に限りがあるので、好みのものが日によってなくなっていたりします。激しい好き嫌いを持つ私には、この社員食堂というシステムが耐えられないのかもしれません。

 そんな私を救ってくれるのが、カレーライスです。

 大抵の社員食堂がそうであるように、我らが社員食堂にもカレーライスがメニューに載っています。

 何て素晴らしいことでしょう。カレーライスの存在は、いつも私の心を震わせます。

 カレーは失敗しません。これはこの世界には数少ない厳然たる事実です。

 だって、私はまずいカレーなんて一度しか食べたことありませんもの。

 ……まあ、例外というのは、それこそ故郷のように何にだってあります。

 最寄り駅に入っていた「辛い泥をご飯にかけたもの」としか呼べない前衛料理を出していた飲食店らしきものの話はさておいて。

 私は食べるものがない時はカレーを食べることにしました。そういう訳で、ここ最近は割と頻繁にカレーを食べています。

 ただ、このカレーライスについて、どうしても許せないことがあります。

 福神漬けってあるじゃないですか。

 我らが社員食堂、あれをご飯の上に載っけてきます。

 当然、カレーライスはカレールーが主役です。皿に盛ったご飯の中心に載っけてくるという大それた真似は、さすがの彼女らもしやしません。

 お皿の端に、ちょこっと載せてきます。

 これが最悪です。

 お分かりでしょうか。

 きっと分からないでしょう。

 と言うのも、あなた方は健康な舌を持っている確率が高いと私は考えているからです(二回目)。

 この社員食堂の福神漬けは、カレーに添えられがちな赤いタイプです。調理場を見ると、タッパーに保存されており、任意の料理の際に取り出され添付されます。

 ほかほかの白いご飯に、この赤い汁気を帯びた無暗に甘い漬物が載るとどうなるか。

 カレーとのマリアージュを待つ神聖なる白が、赤い穢れた悪魔によって凌辱されてしまう。それは悪魔自身をも傷つける諸刃の剣にして大罪……、そんな悲劇が起こるのです。

 ポエムが出てしまいましたね、すいません。

 まあとにかく、「ご飯が汁で赤くなって見た目も味も酷くなる」、「福神漬けにもご飯の熱が移ってまずくなる」という誰の得にもならない状態に陥るわけです。うぇえ……。

 しかし、背に腹は代えられません。

 前門の海藻、後門の福神漬け。

 「せっかくだから俺はこの赤の扉を選ぶぜ!」の精神で、私は福神漬けを選びます。

 席に着いたら、真っ先に福神漬けとその赤い汁のかかったご飯部分を飲み込みます。

 面倒くさい問題は最初に片付けておき、後々まで引きずらない。これは私の薄っぺらな人生の中で得た最大の教訓だったりします。この教えと共に、福神漬けを噛み砕くわけです。 

 この誰も得しない許されざる行為に対して、私ができることは一つもありません。

 注文する際に「福神漬けは入れないでください」と言えばいい?

 いいえ、それはできません。

 もし「福神漬けを入れない」という例外処理を頼んだとしましょう。

 それをカレーの注文ごとにやり続けていたら、もしかすると言わなくとも福神漬けを入れなくなるかもしれません。

 しかし、あの食堂は六人ほどのおばさんがシフトに従って日替わりで三人ずつ(コロナ状況下では二人)働いているのです。一人のおばさんがそれを覚えていても、別のおばさんがそれを知らずに福神漬けを入れてしまったら?

 その時に、他のおばさんから「そのお客さんは福神漬け入れちゃダメ!」と声が飛んだら?

 恐ろしいことです。その場面を想像をするだけで吐き気がします。もし出くわしてしまったら、私はたぶんその場で「不可食もんじゃ生成機」と化し、社員食堂を阿鼻叫喚に巻き込むことでしょう。うぇえ……。

 こうして文章にしていく内に、私は自分の気付かなかった気持ちを見つけました。

 私は自分自身を「少し変わっている」と認識していたのですが、どうやら周りの人間からは「普通の人間だ」と思われたがっているようなのです。

 だってそうでしょう、「変わった人間だ」と思われたいのならば、福神漬けの例外処理を涼しい顔で見過ごせるわけです。

 福神漬けを載せてきたおばさんが「違う!」と言われるのを「そうそう違うんだよ、私のこと覚えてね」とさえ思わるわけです。

 あるいは、同僚に「今日は味噌汁に海藻が入ってるから、定食は頼まない方がいいですよ」とか「今日は入ってないから定食頼めますね」とか、言ってもらってもいいわけです。

 もっと言うなら、「味噌汁にワカメを入れない」とか、「この人は定食を頼んでも味噌汁を付けない」という例外処理を入れてもらってもいいわけです。

 でもそうじゃない。

 特別なことはしてほしくない。私は「普通の人間」だから。

 ご配慮いただくなくてもいい。私は「普通の人間」だから。

 生き辛くなんてない。私は「普通の人間」だから。

 そうやって生きてきたんだな、「普通」なんてもの知らないし、信じてもいないのに。

 そういう人間になりたがって擬態して、それもハナカマキリみたいに獲物を取るためじゃなくて、天敵から身を守るどころか酷く歪な誤魔化しを繰り返して。

 私は何度、赤い汁のかかったご飯と温まってしまった福神漬けを飲み下してきたのだろう。

 その度に社会や人間を嫌いになって、お腹を痛めたり、お昼が食べられなくなったり、無暗に震えておどおど生きたりして、「小説で収入があるから小説家」なんておためごかしにすがって……。

 お分かりでしょうね。

 きっと分かるでしょう。

 と言うのも、あなた方は健康な精神を持っている確率が低いと私は考えているからです。

 だけど、自分を責めてもキリがありません。今すぐ舌を噛み切って死にたくなる以上の効能はなく、その希死念慮が積み重なることで私達が得することは一つもない。

 そう、ちょうど温かいご飯の上に載った福神漬けのごとく、誰も得しないのです。

 ……よし、上手くまとまったな。

 ただ、こうして文章にしてしまった以上、カレーライスを社員食堂で注文するたびにこの感情がリフレインし、心をズタズタにしてくれることでしょう。

 ともかく何が言いたいかというと……、

 早く復活してくれ! ワンプレートランチ!

◆今回のまとめ
・雨宮ヤスミは海藻が食べられない。
・福神漬けをカレーのご飯の上に載せるのは、誰も得しない行為である。


◆追記(2020/6/11)

 ↑いや、追記の意味よ。

 それはともかくとして。

 我らが社員食堂ですが、福神漬けをカレーだけでなくオムライスやロコモコ、何とガパオライス(そんなものが出るのです)にまで載っけてきます。

 そういう方々なので、「白いご飯に福神漬けの汁がかかって嫌だからやめてください」という私のお願いは、面倒くさいオタクが推しキャラに向ける感情のごとき「繊細なお気持ち表明」に聞こえてしまうことでしょう。

 うーん、早く息してるだけで年に5000万円稼げるようになりたいですね。

 と、全人類の夢を代弁したところで本当に終わります。

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