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旅文通7- 旅情とか、トキメキとか。

(こちらは、山本テオさんとの旅文通マガジンの記事です。マガジンご覧くださいね)

 6週間ぶりにニューヨークに戻ってきたら、入れ違いに、テオさん出発してしまいました。そして直後に、ケベックの大規模な山火事で、ニューヨークの空一面が濃いオレンジ色に染まることになったのでした。屋内にいても、喉がいがらっぽくなるほどの高濃度。欠航便続出。テオさん無事に飛び立ててよかった。
 一昨年?は、カリフォルニアの山火事の煙がここまで届きました。今回の煙は、たぶんフロリダまで行くだろうと言われています。気流に乗ってあっという間に広大な北米大陸を縦断+横断してしまうのね。

 サンフランシスコからニューヨークに戻る時、離陸と同時に雷雨が始まり、それがわたしの乗った便と同じスピードで北上し、ラガーディア空港に着陸と同時にニューヨークにも雷雨が、ということがありました。6時間近いフライトの間、ずっとすぐ脇を伴走する稲妻を見てましたよ。

 空もこれだけ動くのだし、海流もダイナミック。地球は渦巻いているのよね。テオさんはテオさんの渦に乗って、今回の旅路を運ばれているのね〜、と感じます。
 地球上の移動。それぞれの旅にその都度テーマや気分があるとしても、もしかしたらわたしたちも、渦のような軌道に乗って流れているだけなのかもしれない、とも思ったり。

 旅のネックレス、、、。テオさんらしい素お洒落な発想。そうね、形も大きさも色も違う石(貴石、と呼ばせてもらいましょう。)がつながって、ちょっとずつ長く伸びていくネックレスって愛おしい。そのように見ると、石を拾ってくるそれぞれの旅も貴重で愛おしいものと振り返りたくなります。 
 そして、テオさんが書いた“旅情”という言葉に、強く反応しています。

 「旅情」と言えば、まずはデイヴィッド・リーン監督のSummertime. 邦題「旅情」というのが素晴らしい。キャサリン・ヘップバーンは、ライオンのような強く逞しくハンサムな女性なのに、「ナイーブな女心がベニスの風に乗って、、、」などと語られる役柄で、ミスキャストではないかと思ってしまうけれども、彼女の可愛らしさ、全編にあふれてましたね。

 大ヒットしたサウンドトラック(1953)のジャケットに何て書いてあるか、今、ネット上で見ています。
「白い恋 くちなしの花が ベニスの思い出に濡れて いま 蘇る。。。かりそめの幸福に揺れ動く女ごころを描いて 永遠に新しく感動をよぶデビッド・リーン不朽の名作!」
 覚えてる? わたしたちが生まれる前のことだけど、映画音楽といえば、このメインテーマ。アンソロジーで外れていたことがありません。

 旅情。これよね〜。観たいものを観たり聴いたりし、美味しいものを食べ、その時々の様々なアクティビティを楽しみ、、、ということのすべては、旅情に包まれているか、旅情が表れないか、そのどちらかで、貴石になるかどうかが決まるのではないかしら。

 それで問題は、旅してもいつも旅情があるわけではない、ということ。しょっちゅう国内外を動いていると、第一に「旅に出ている」という高揚感が摩滅してくるし、第二に「同じ場所を何度も訪れることが増えた」から、特に印象を持たないこともあって。
 20年くらい前にパリに寄った時、旅情ゼロだったので、唖然としてしまいました。パリで旅情を感じないというのは、おかしい。
 パリを、ただ、だだっ広く四方に伸びた、問題満載の都会、としか感じられないのはなんということ!

 もちろんパリは、だだっ広い問題満載の都会なのだけど、住民は、そう感じているのかもしれないけれども、旅人の役割は、その、住人が忘れがちなその地の魅力“だけ”を見て、見ることによって、実際にその魅力を引き出す、活性化する、ますますその地を皆にとって魅力ある場所にする、ということが含まれると思うのです。旅は、何かを期待して訪ねていくものではなく、自分が出向くことで、その場所にケミストリーの瞬きを生むことが真の目的なのじゃないかと。
 それが感じられない旅人は、旅人の資格なし、ではないのかしら。

 高校時代に読んだ詩の中に、

今朝、世界がすっかり変わっていた。
僕はもはや、彼女を愛していないと気づいた。

 という内容のものがあって、それにやはり強く反応していた自分を覚えています。
 “愛が終わった?”
 “世界がすっかり色褪せて、耐え難いものに見える?”
 愛とはいったいどういうものか。そのとば口に立ったばかりのわたしでも、愛の終わりの詩の哀しみが、心に突き刺さるようでした。
 愛(恋愛)は、冷めることがあり、相手が自分に冷めたのではなく、自分の中で愛がないことに気づくことのショック。

 失われた旅情も、それとほとんど同じことじゃないかと思うけれどもどうかしら。20年前の衝撃は、パリに対する愛が冷めた、というよりは、愛する情熱が自分の心から消えたのか、という恐怖に近い感覚でした。
 唯一無二の愛、秩序ある愛、神の愛、それを知ってしまうと、トキメキというものは完全に姿を消してしまうものなのか。だとしたらそれはあまりにも寂しい、とも思いました。
 その後もパリに行く機会はあって、ドキドキしながら行ったのだけど、やっぱりかつてのようなときめきはなかったです。代わりに、見聞きするもの、出会う人、アート作品との再会、それら全部が静かに染み入ってきました。ノスタルジックな気分は一切なく、いちばん心に残り、というか、連れて帰ってきたのは、シェイクスピア書店で出会ったアントナン・アルトーのラジオトークのカセットテープで、それは後々まで何度でも聴くことになるだけでなく、新しい人との出会いも一度ならず招き寄せてくれるものになりました。これも旅の貴石です。でも旅情とは違うわね。
 “旅情”はこれからもわたしのテーマになりそうです。
 
 テオさん、お帰りもうすぐね。待ってますね。

 




 

 

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