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どうでもよくない、どうでもいいこと(その3)

『どうでも良くないどうでもいいこと』は1983 年 に日本で翻訳出版された本の題名です。著者は、フラン・レボウィッツというニューヨークのエッセイスト。読み始めれば、日本風女性美とか、かわいらしさ、お行儀というものから遠く離れたところにいる人ということがすぐわかります。まるで鳩に餌を与えるように、ほれっほれっと、しょっぱい言葉を投げかけるような書きっぷりで、ページを繰っていると、自分が鳩になってからかわれているような気分になり 、それが奇妙に心地よかったのです。
 たとえば、こんなふう。
「たしかに、人はみんな神の子かもしれないけど、出来のいい神の子なんて滅多にいない。だいたいは、やっとこさ見苦しくない程度。」
 ご本人は見苦しくないどころか、<もっともスタイリッシュな女性>と、 バニティフェア誌にお墨つきをもらったほどのかっこよさ。 当時、大学を卒業して社会に泳ぎ出たばかりだったわたしは、甘味よりミネラルたっぷり海の塩を分けてくれる女性にあこがれていたのかもしれません。
 けれども、この本を手にとった動機は、まずはなんといっても、 翻訳者の小沢瑞穂さんでした。彼女の訳す本はどれもしゃれていて、外れなしだったし、時折メディアでお目にかかるお姿はエレガントでキュートで「自分に責任を持った」大人の女性という雰囲気に憧れていました。そして、装丁が平野甲賀さん。平野さんは、原宿のセントラルアパートという、最先端のクリエーターは全員ここにいる、といってもいいほどだった名所に事務所をかまえていらして、出版界、演劇界のデザイン部門で、おそらくいちばん鮮やかで斬新で風とおしのよい作品を山ほど生みだしている方でした。
 さらには、晶文社刊ということがありました。アメリカの新しい文化、今まで聞いたことのない若々しい著者名の数々、今まで教わったことをくつがえす、新鮮なものの見方を、たくさん教えてくれる出版社でした。本屋で、「日本文学」「人文・科学」などのおカタそうな棚の間にそっとたたずむ、晶文社コーナーの小さな棚のあたりは、向こう側に広い青空の広がる酸素たっぷりの窓辺だったのです。
 出版社、ましてや装丁者の名前で本を選ぶなんていうことは、最近ではもうあまりないですね。その本を買う動機は、翻訳者でも、著者ですらないのかもしれません。題名で買う? ああ、そうでした。『どうでも良くないどうでもいいこと』の原題は、Social Studies. 『社会科』というそのタイトルも面白いですが、それを、こんな日本の題名にするなんて、訳者と出版社のセンスには、やっぱり、シビレます。
 前置きが長くなりましたが、四半世紀も前にあざやかに踊り出た名著のタイトルを、僭越ながらお借りして、こちらは、ほんとうに「どうでもいいこと」「日々のこまごましたこと」を短い分量で日記がわりにつけていこうと思っています。滋養のある海の塩ではなくて、栄養にもならない嗜好品ページになりそうですが、どうぞよろしくおつきあいください。

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以上は、5年前に書いたものです。数ヶ月、ぽちぽちとブログとして書いて、そして止めてしまいました。今、ここに書いているのはそのブログの続きです。5年を経て、フラン・レボウィッツの辛口批評に衰えはなく、ニューヨークになくてはならないインスピレーションの源であり続けています。わたしの本棚には、小沢瑞穂さんの新刊が加わり(といっても1996 年刊行書籍)それは『やっとひとり』というタイトルで、50代を過ぎてひとり暮らしを楽しむ、変わらぬ彼女のかっこよさがきらめく一冊。「誰かがいないとさびしくて」なんかじゃなく、「ひとりだとほんとうにさびしくないね」と心の底から、踊るように語りかけ、歌うように口ずさむことのできる秘密が行間から読み取れるエッセイ集です。

エッセイ集といえば、文章の達人のおひとり、向井敏氏のエッセイに、このようなものがありました。

  いつも心急いている私などのような人間にとって、何がうらやましいといって、その人のところへ来ると急に時間が足踏みしてしまうような、のんびりした生れつきの人にまさるものはない。
 吉田直哉のエッセイ集『夢うつつの図鑑』(初刊昭和61年、文藝春秋)に「傾いた砂時計のような話」と題する一篇があって、冒頭にそういううらやましい人柄の女性が登場する。著者の叔母に当る人だそうで、あるとき彼女から著者の母にあててこんな手紙が届いたという。ここはどうしてもその全文を引かせてもらわねばならない。

 いま、紅梅も白梅も満開で、本当に綺麗。それに、沈丁花の香りでいっぱいなのよ。馬酔木も小さな花をつけました。山根様の奥様もやっと退院できることになったんですって。よかったわ。ちょっと、待って。ちょっと、筆をおきます。いま、Tが呼んでいるの。

 また書きつづけようとして気がついたら、早いもので、咲いているお花がすっかり変わっていました。月の光を浴びて一面に咲いているのは海棠です。このあいだまで猿すべりと夾竹桃が花ざかりだったのに、それも終って、いまお庭は虫の声でいっぱい。山根様の奥様から昨日お手紙が来ました。転勤なさったことはお知らせしたかしら? ごめんなさい、まだだったわ。

 つまり、彼女は春先に手紙を書きかけて、ご主人に呼ばれて「ちょっと、筆をおき」、半年以上もたった秋半ばになってそのつづきを書いたわけで、「便箋一枚のあいだで”山根様の奥様”は退院した上転勤までしている」というのだから、のどかものどか、うらやましくて溜息が出る。


 向井敏さんが亡くなったという悲報が届いたのはつい最近のことのような気がするのだけれど、2001年のことでした。引用させていただいたのは、1989年刊『傑作の条件』のなかの吉田直哉氏のエッセイの書評で、わたしがニューヨークに移住してまもなく、友だちが「この手紙のところ、読んでみて」と見せてくれ、ユニオンスクエア・パークのベンチに並んで腰掛け、二人で笑ったことがあったのでした。「いちばんみじかい手紙、というのがあるけれど、これはいちばん長い手紙だね」と。

5年前に始めたブログは、「いちばん短いブログ」だったでしょうか。いいえ、「いちばん怠慢なブログ」かも? こんな場合、以前のブログは閉じて、新装開店するべきなのでしょうけれども、いくら心機一転!と胸弾ませてみたところで、それまでの人生を切り捨てるわけにはいかないわけですから、ブログもまた、小さな嗜好品とはいえ、断捨離せずに続けることにしました。

以前のブログは、CRS改築工事のときの床のことで終わっています。今、CRSは、上の階への拡張工事をしています。もちろん今回も、嬉しい出会いや奇跡を経験しています。お金もかかるので、お金物語もあります。そんなことも、前回同様、ぼちぼちと、ゆっくりのペースかもしれませんが、アップしていきたいと思っています。

お立ち寄りくださるみなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

2015年3月4日 香咲弥須子

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 というわけで。今回は、note.comにプラットホームを移して、3度目のスタートです。何をやっても長続きしなくて、とか、ブログを書き始めてみたけど続かなくて、となんとなく自分にダメ出しをしている方がいたら、どうぞわたしのこのチャランポランを思い出してください。始めたことは続けるべし、などということはないのです。続けてもいいし、やめてもいいし、このページのように、5年後、次は7年後に続きを書く、という悠長さも別にいいですよね。そんなことはどうでもいいのです。どうでもよくないことは他にあるのですから。

 ニューヨークに身を置いてはいても、目や耳が捉えるのはニューヨーク周辺のことに限りません。心は日々世界のさまざまを見ています。肉眼では見えないものを心では見ているし、耳に聞こえないものも聞いています。そのほとんどはどうでもいいことで、でも、そのどうでもいいことにじっと注意を払ってみると、その奥にどうでもよくない光の珠があることに気づきます。光の珠といっても、それはキラキラ光り輝いているわけではなくて、いぶし銀のような光、慎ましい佇まいなので、「ほんとうに見たいと意欲を持って見る」とき、もっと正確に言うなら、祈りの心でみるときだけ、見え、聞こえます。

 このnoteが、その珠を目撃する記録になれば。



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