迷いの淵
「黙る」ということは、大きな声に抵抗できない…しないということでもある。
ある意見が大きな声となるのは、近い意見が多数であることを示す。SNSはそれを加速する。人と人が会わずになされる言葉のコミュニケーションは個々の身体性を疎かにし易い。たとえどれだけ多数の人たちが特定の意見を認めたとしても、たったひとりの「私」にとって違うのであれば違うのだ。
がしかし考えてみれば、多数を占める者たちに力があり少数が疎外されるのは、遙か昔から変わらないのではないか。多数の正しさより、身体性の違いに重きを置いて個々に寄り添う者の方が少ないのだ。どのような正しさであれ他に侵襲しない意思。
もう抵抗は諦めようか。美しいこと醜いこと、姿を表しているだけのつもりでいても、抵抗の心に囚われる。侵襲性の薄い表現なんて塵のようなもの。表現は侵襲の力でもあるのだから。力の強さもまた、曰く「そのような星のもとに生まれた」人もいるのだろう。薬も毒も同じモノ。薬効が強ければ毒性も強い。
抵抗しない、受け流す、受け容れる。言うよりも難しい。ただ在ることへの羨望。
雨は山を潤してなお降りしきり、流れ、下ってゆく。
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