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「消費せよ!」と言われない暮らし

ドイツに来て3年、ここ数週間は学んだことを言葉にしようと自分と戦う日々を過ごしてきました。日本の人に伝えたい日独の違いは色々あるのですが、一番大きい違いは”消費”の考え方についてです。

消費するほど良い生活が送れるのか?

日本は政治の重要課題(=国の重要課題)はとにもかくにも景気対策と言われることが多いですね。人々は国から「消費しましょう!」というメッセージを受け続けています。テレビ、電車、駅、スーパー、コンビニ、家電量販店、街は「通りがかる人をもっと消費させよう、欲しい気持ちにさせよう」という日本人の仕事の成果であふれています。

ただ自分の経験から言えば正直なところ、就職して稼ぐようになってからは、着るもの食べるものは足りているし、家電は揃っているし、外食だって満足にしているし、、と、新たに出費する目的が特に浮かばない毎日でした。思い切って高いロボット掃除機を買ってみても、一人暮らしの部屋が狭すぎて有効に使えずガッカリしたりして。。


まるで、お腹がいっぱいなのに、「もっと食え!食え!」と言われ続けているような気分でした。

日曜日にショッピングができない人生?!

私が3年前初めてドイツに来て驚いたのが日曜日にほとんどのお店が閉まること。休店法という法律でお店の営業が禁止されているため、レストランやガソリンスタンドなど一部の業種を除く一般小売店(スーパーや百貨店も含む)が軒並みお休み。宅配便も来ません。
もともとキリスト教の教えで日曜日を安息日としたことが起源になっているそうですが、時が流れ様々な変化を経た2020年の今でさえ、厳格にルールが守られお店が閉められているという事実に衝撃を受けました。

ドイツ(Germany)のGDPは日本に次ぐ世界第四位です。上記のチャートを見ると日本との差はそれほど大きくないのがわかります。
でも実は人口は日本の2/3程度しかいません。さらに国民が主に消費に費やせる時間(週末)の1/2を営業禁止にしているのです。
ドイツに住む人はむしろ日曜日には隣国オランダやベルギーで買い物をしたり、夏休みには海外に旅行にいくことを生きがいにしている人も多く、稼いだ多くのお金を国外に落としています。

ドイツの経済は国内消費に頼っていないのです。実際にデータを見ても、日本は貿易収支が赤字化する中、ドイツは貿易収支の大幅な黒字と大きく分かれています。外国でお金を稼いでいるので、国内の消費者に血眼になって消費を乞う必要がないのです。

ニュースを見ても、「消費せよ!」「景気刺激策だ!」といったメッセージは聞こえてきません。主なトピックは、外交、EU政策、環境政策、移民政策、今はコロナ対策といったものです。

消費は自分が必要な分するだけであって、人に言われてしたくなるものではありません。日本ではその感覚と逆のことをトップの人物が言い続けていたことで、生真面目なわたしにとっては努力すべき方向性に混乱が生じ、閉塞感につながっていたのだと気づきました。

ドイツ人は消費しないことに慣れていて、カフェも何もない森を散歩したり、太陽の下で日がな一日寝そべったり、何もしない時間を美しく過ごすということに長けています。身体を鍛えることが大好きで、若々しくて筋肉隆々のインテリ富裕層がいっぱいいます。わたしもあんな風になりたいなぁと思うようなひとが近所にたくさんいます。

車や医療など日本と似たような産業をもつドイツ。乱暴に言えば、ドイツ人の方が日本人より外国慣れしているので、外国でビジネスを成功させやすいのかなぁと推測します。詳しい理由はさておき、貿易黒字という事実が、こんなに人々の生活と暮らし心地に影響するのだという事を実感したわけです。

消費者として過剰ターゲットされていないのは、スーパーやドラッグストアに行けばわかります。馴染みのブランド商品が整然と並んでいるだけで、目新しさがありません。新商品は少なく、あっても目立たないので気づきません。価格訴求も効果がないのか、値段は黒字で小さく書いてあるのが一般的です。手書きのポップも派手な店内アナウンスもありません。

一方で、ビオやビーガンの認証表記が統一されていたり、プラスチックなしの包装が増えているなど、環境意識の高い人が選択肢を選びやすいマーケットになってきています。

声の大きい企業に商品を買わされるのではなく、自分が支持する方向性を消費行動を通して企業に伝えていく場になっているように感じます。

誰かのために物を作ることと、その人を幸せにすること

私自身、日本で11年、企画・デザイン畑で働いてきました。自分を含む身近な日本人が求めているものを必死に考え、新しい価値あるものを作り出すことで、人を幸せにするんだと信じてきました。商品の良さを伝えるためのパンフレット作りにも積極的に関わってきました。

でも今は「もしかしたら自分の過去の仕事が、誰かを不幸にしてきたところが少しはあったかもしれない」と思うようになりました。

マーケティング的には、人に何かを「欲しい」と思ってもらうためには、その人に足りないところ、劣っているところ、不便なところを認識させる必要があります。

例えば、TV で「年齢と共に増えるシミ!シワ!どうにかならないかな〜と思いますよね?!」と言われると、気になってなかったのに気になってきます。そこで「新商品のこのクリームが効きます!」と言われると食いつきたくなるわけです。

一見、困ってる人に助け舟を出しているように見えますが、本当にそうでしょうか。シミシワを気にしていなかったときの方が、その人はいい表情で笑えていたかもしれません。そのクリームがどれだけ効こうと、老化によって増えてくるシミシワを全く無くすことなどできません。その広告は「シミシワは恥ずべきものである」という劣等感をばら撒くことでもあるのです

広告費が増えると国民の生活満足度が下がる?!

実際に、スイスの保険会社が行った調査研究では、広告費が増えると生活満足度が下がるという結果が発表されています。

”研究チームは、27カ国90万人を対象にして1980年から2011年にかけて行われた調査データを無作為サンプリングして使用。データの分析結果から、広告支出が増加すれば国民の生活満足度は下降し、反対に広告支出が減少すれば国民の生活満足度は上昇することが明らかになっています。この傾向は、GDPや他の変数(失業率・社会経済的特性など)の増減とは相関関係がないことも証明されています。
(中略)仮に広告費が倍増すると、国民の生活満足度は3%も低下するとのこと。これは結婚が生活満足度に与える影響の約半分、失業が生活満足度に与える影響の約4分の1だそうです。”(引用元:https://gigazine.net/news/20190529-major-human-dissatisfaction/)

photo by Zack Marshall


時代に合った新しいサービス・プロダクトが人々を幸せにすることは疑いません。ただ、人々が本当に必要とするサービス・プロダクトは、過剰に広告費をかけることなく受け入れられていきます。過剰に広告しなければ商品が売れないほど飽和している市場に対して、更に消費させようと迫ることのデメリットが示されているのだと思います。

一つの職場、関係性の中でものづくりに没頭しているとどうしても、それが本当に人々に必要とされているのかが見えにくくなってきます。でも、コロナで働き方が変わり、職場と距離が取れるようになったことで、一歩引いた視点で冷静な判断がしやすくなるはずです。そう考えると、これから日本が明るく変わっていける希望の光を感じます。

「消費は善」の呪縛から解放されよ

ドイツの暮らしでは、消費できる時間が限定され、消費から解放されているからこそ、子供が見え、地域が見え、長期的な幸せと目指すべき方向性が見えやすいと感じます。ドイツの環境意識が高かったり、子供の好きな人が多かったりするのは、国民全員が持つこの「暇な時間」に起因するのではないかと思います。

消費でも、労働でもない時間。その時間で正面から自分と向き合って、人は徐々に強くなっていけます。環境に溢れる「消費は善」というメッセージは、次のステージに向かおうとする、すでに満たされた人々の視界を曇らせてしまいます。

「もう消費しなくていいんだよ。消費しない時間と向き合っていいんだよ」

日本で違和感を感じていた若かりし自分と、似たような思いを抱えている人に伝えたい言葉です。そして違和感を感じていた時間で、身体を鍛え、英語を勉強して欲しい!
外の世界には真面目で勤勉な日本人の仕事を必要とする人がたくさんいるから。

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