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2023


365日毎日noteを書いた後のわたしは
どんな人間になっているのでしょう。


そんな実験です。2023です。


何かを続けてやったことなんて、
30年生きてきて息吸って吐くことくらいです。

歯を磨かず寝ることもあるし
お風呂に入らず寝たことも
化粧落とさず寝ることも
ドライヤーせず寝ることも。

ご飯食べずに1日終えることもある。
服着ずに1日終えることもある。

寝ずに1日が始まることもある。


そう考えたらまじで息吸って吐くことだけが
わたしが30年で唯一続けてこれたことのような。


何かを継続できたことが、
これっぽっちもないわたしです。


2022年の暮れから
2週間ほど地元の愛媛に帰っていました。

お母さんの癌が発見されてから
もう5年?6年?そのくらい経ちます。

久しぶりにあったお母さんは
酸素をつけながらだけど、思ってたより
元気でした。
口をひらけば、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ
誰かの心配事、気がかりごとを
掠れた声で喋り続けているのですから。
安心しました。


田畑のグリーンとなんの遮りもないスカイブルー

顔を上げればキレイに交わるそれが
私のDNAに流れてるんやないか?と思うくらい

安心する景色です。


朝陽が昇る海がすぐそこにあって
ベランダから見える山に沿って動く太陽

時計はいらなくて、
太陽の色と位置で時間がわかる。


ここは16時台
ここは10時台



夕暮れは、山の向こうに深く沈んで

満月の夜は、空が明るい。

そんな田舎街です。

スターバックスは去年2店舗目ができました。
ドライブスルーです。(大喜び!)

そんなこともビッグニュースになるくらいの
愛おしき田舎街です。


癌だとわかってから、
お母さんは毎日お参りに行くようになりました。

鳥居がある神社でもなく、
ただただ
田んぼの真ん中にぽつんとある不思議な場所です。 

そこには重い病気もなおるという
言い伝えがあるらしく、
始まりはきっと未知の病が不安で
藁にもすがる想いからだったと思います。

5年間毎日、行くんです。

お母さんが入院していけない日は
家族の誰かが行っていて
毎日毎日、そこに行くんです。


6年一緒にいたら、癌だって自分の一部で
未知の病でもなんでもなく付き合っていくものに
変わっていきます。


本当は、3年間お参りに通ったら大丈夫
っていう言い伝えらしいのだけど、
3年を過ぎても、毎日毎日続けているんです。


車の中には必ず"お参りセット"が乗ってて
私たち家族の(特にお母さんの)
1日のルーティンに組み込まれてるんですよね。


帰省している2週間も、もちろん
毎日通っていました。

食べて寝て、食べて寝て。
そんなぐーたらな年末年始。

初詣に出かけた三が日。

Huluをシーズン6まで見続けた2日間。

わたしがそんなことしてる間も
変わらず、欠かさず、続けてました。


地元で生活していた19年間
もちろん、そんなルーティン
私たち家族の中で存在していませんでした。

今や当たり前にしていることも
当たり前じゃなかった時が、
もちろんありました。 


ここに行ったら治るとか
そんなのやっても意味ないとか、

どうでもいいんですよね。そんなこと。本当は。

それは、本人が1番思っているのです。
解っているのです。

それでも、意味があるのですから。

続けてたら、
ある意味どんどん感覚が麻痺してきて

それが『習慣』って呼ばれるものに変わるのね。

不思議なもので、
私も行くたび当たり前みたいに
車から降りて

今日もお母さん元気に生きてるよー!
ありがとね
明日もよろしくね!
と手を合わせて

車に戻る。
なんのワンクッションもなく
流れるように。1分そこらの出来事です。

お願いするでもなんでもないの。

それがただ、5年も6年も続いてるだけで
毎日生きてることにありがとう。ってして
来月は孫のこんなことあるよって言って
だからまだよろしくねって話して

そんな日常なのだと思います。

生きることが、お参りに行くことが、
目標なのではなくて

日々を生きるのなかで、
生活に組み込まれて在るもの。

それだけなのよね。

意味なんて、続けた後にわかるもの。

生きるとか人生とか、
そんな気がします。

言葉と共に生きたくて、
そんな毎日があってほしくて
だからさ

やってみようって

なりました。2023の始まりです

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