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僕は「味園」の近くに住んでいた 20

【これまでのお話し】


秋が少しずつ深まりつつあった。
季節を感じられないこの街にも
その気配は感じることはできた。
雑居ビルの向こうに見える空は
高くなり
頬を撫でる風は冷たくなって
いった。


この街で過ごすのもあと少しだ

まずは新しい住み場所を
探さなければいけなかった。

日本橋や難波の近くに
住むことは考えなかった。
もう十分この街を堪能した

最初は大阪市内で検討したが
なかなかこれという場所はなかった。
やはりこの2年近くの日本橋での
生活で、まずは便利な場所というのが
住む上での優先事項となっていた。
唯一候補に残ったのが天神橋筋商店街
界隈だが家賃が合わなかった。

僕が考えていた条件は
2LDKまたは2DK、
家賃は共益費込みで8万円以内だった。
これが僕が払える限界だった。

もちろんケイコさんと一緒に住むことが、
前提だ。
二つの部屋はひとつは寝室
もうひとつはケイコさんの仕事部屋に
あてたかった。

ただ当時はバブルの残滓を引きずっていて
家賃はまだまだ高かった。
特に大阪市北区はその傾向が、顕著だった。
2DKでも10万円近くになった。

どうしようか。

ケイコさんが言ってたことを
思いだした。
「次、住むんだったら絶対ここよね」

そうだ、神戸だ。
神戸で探してみよう。

その週末、神戸に出かけた。

よく晴れた気持ちのいい1日だった。
大阪からJRに乗り三宮で降りた。
まず駅周辺の不動産屋を回る。

2軒ほど回ったがさすが
神戸市の主要駅、
三宮駅から徒歩圏の物件はどれも
10万円を超えてくる。

「うーん、難しいかな」
独り言を言うと接客してくれた
年配の親切そうな女性が言った。
「元町とかどうですか?」と言う
「元町、三宮から一駅でJRと阪神の
駅もありますよ」
ちょっと待ってくださいね。
と物件のカードが収められている
背後にあるキャビネットを、探している。
「これとかどうでしょう?、JRの元町駅から
徒歩5分、少し坂をあがりますが
駅近の割には静かでいいところですよ」

実際の部屋も見ることができると言うので
鍵を預かり、歩いて見に行くことにした。

三宮からアーケードに入り
西に向かって歩く。
アーケードは人通りは多いが
大阪と比べると何となくのんびりとしている

元町商店街に入ると、さらにアーケードは
広くなり伸びやかさも増した。
両脇のお店も喫茶店 古本屋、お茶屋さん、八百屋さん
古着屋さん。骨董店、個性豊かな店も多い。
見ていて飽きない。

いいところだなと思う。
ケイコさんも気に入ってくれるだろう。

JRの元町駅を山側にはいる。
このあたりは官庁街で落ち着いた街並みだ。
街路樹も美しい。
駅近くの喧騒とはまるで別世界だ。

少し坂を登ったところに
そのマンションはあった。

7階建て、1988年竣工だから
まだ十分新しい。レンガ調の外壁が気に入った。

部屋は4階にあった。
東向き、ベランダも広く
隣のマンションとも十分な距離があり
陽当たりも悪くない。

キッチン、ユニットバスもきれいだ。
ケイコさんの仕事場にする予定の部屋も
十分な広さがある。

ケイコさん、ここにしようか?

言った途端に涙が溢れてきた。

そう、僕は帰るあてのない人と
暮らすための部屋を探しに来たんだ。

「必ず戻ってくる」というケイコさんの
言葉をだけ信じて。

とりあえず1年は待とうと思った。
1年経ってケイコさんが帰って来なければ
その時はその時で考えれば
いいと

あの不動産屋に戻り、あの部屋に決めます。
接客してくれた女性に伝える。
女性はそれは良かったですと笑顔に
なった。私もあの物件はおすすめですと言ってくれた。

とりあえず手付金を払い、引越し予定日を
決める。

11月最終の土曜日を引越し日に決めた。

それからはやるべき事がたくさんあった。
現在の持ち物の整理。
捨てる物、残す物の選別
役所に行き転出届けをもらう などなど

とりあえず家具、家電は今ある物を持っいく。
新しく買うものはケイコさんが帰ってきて
からでいい。
ただ洗濯機だけは、この先必要となるので
近くにある電気街に買いに行った。

電気店の店員さんに、2人用だとしたら
こちらがおすすめですと言われた中で
一番安いものを買った。
貯金が加速度的に減っていく。
節約しなきゃなと思った。

改めて思う。
僕は海外に行ったきりの、
何の連絡もない
人妻と一緒に住むための
様々な用意をしているのだと。

とんでもなく現実味のない
滑稽なことをしている。
でも、それは、僕とケイコさんの
関係性そのものかも知れない。

翌週も元町に行き部屋の窓のサイズを測る
今、使っているカーテンのサイズが
合うかどうか、確認するためだ。

一番大きな窓のカーテンは幸いにも
そのまま使えそうだ。
ただ他の窓をどうするか。
とりあえず僕のセンスで買い揃える
しかないだろう。

部屋を出て元町商店街を散歩する。
こうやって僕はこれから住む
新しい街に自分を馴染ませていく。
日本橋に住み始めたときもそうした。

秋の観光シーズンを迎えて
街は多くの人で賑わっていた。
特に中華街は賑わいを通り越して
混雑していた。
僕はそこを避けてアーケードのある
商店街を散歩する.
そちらは通りが広いせいか
穏やかな気持ちで歩くことができた。

何店舗かある古本屋をまわって
再度通りを歩きかけた時
前から歩いてきた女性と目が合った
南 さつきさんだった。
お互い「おーっ」と声を出す。
「久しぶりやん」と僕
「本当久しぶり」と南さん。
立ち話も何だからと近くにある
喫茶店に入った。

聞けば南さんはこの近くに住んでいる
らしい。元々地元がここで、今も
親元に住んでいるとのことだ。

名刺の裏の電話番号のこともあるので
変な期待を抱かせてはいけない
彼女と同棲する予定で部屋を
見に来たんだと伝えると
彼女はイタズラっぽく笑い
「だから、電話してこなかったんだ」
と言う。 
「普通、即電のパターンが多いんですが」
「電話しても、自宅やん?お父さんとか
出たらどうすんの?」と言うと
彼女は笑い、確かにと言う。
「今日は彼女さんは一緒じゃないんですか?」
と痛いところをついてくる。
彼女は今日仕事で来れないんだと
苦しい言い訳をする
「そうなんですね」
彼女が僕の言ったことをそのまま
信用してるかどうかはわからない。

良かったら、また、元町ご案内しますよ
と言う南さんと分かれて三宮方面に歩く。
少し気持ちが暖かくなった。
さてそろそろ戻るか。

翌週も細々とした買い物は続く。
近くの家具屋で収納用のケースを見に行き
帰ろうとしたところに前から
自転車に乗った女性が
「久しぶり」と声をかけてきた。
トレーナーにGパン姿 メガネをかけている。
「ええっと、どなたでしたっけ?」
「わからへん?」
女性はメガネを外した。

レイさんだった。

「たまたま今日電気街に 
買い物があったんできたんよ」と言う
目が悪かったんですか?と聞くと
「このあたり昔のお店の人とか 
お客とかに会うから
変装用にかけてんねん」と笑う。

レイさんは保育所の
クリスマスイベント用の電飾の
飾り物を買いにきたと言う。
「そういのはさ、やっぱり電気街が 
品揃えも多いし、安いね」

なるほど。

「レイさんには色々お世話になったけど、
僕もここから引っ越すことになりました」
と言う。
「そうなん?」とレイさんは少し驚いた。
「そうか、皆、それぞれの
新しい場所に行くんやね」
とレイさん

レイさんが、
手を出してきたので
握手した。

「結婚するの?」とレイさん
「まあ、そんなとこ」と僕
「まあ、そんなとこって何やねん」
とレイさん笑い
バイバイ 元気でなと手を振って
自転車に乗って去っていった。

僕はレイさんの後ろ姿を見ながら思う。

この間のマイ、そして今日のレイさん。
この街であった人と会い、そして別れていく。
まるで僕が街そのものと別れを交わしているようだ

部屋に入る前に共同の郵便受けを確認する。
少し厚めの封書
エアメイル


ケイコさんからの手紙だった。






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