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【エッセイ】水辺の暮らし 海と川


故郷の家は海のそばにある。
正確に言えばあった。
今は山手の新興の住宅地に引っ越しをして
父は5年前に死に、母が一人で暮らしている。

ともあれ、生まれてから高校を卒業するまで
私は海のすぐ近くの家で暮らした。

どれくらい近くかというと、これは話しを
しても中々信じてもらえないのだが
台風が接近して波が高くなると、波の打ち寄せる衝撃で家が軽く揺れるほどだった。

住んでいたエリアは外海に接していて
波の荒いことで有名だ。
皆さんは波高6メートルの波を見たことが
あるだろうか?
津波ではない、
荒れた普通の波だ。
台風が接近してくるとそんな波が
次々と海岸に押し寄せてくる。

海岸線にはコンクリート造りの高さ5メートル
以上の堤防がつらなっていた。
ある年の大きな台風が来た時は
その堤防さえも波は超えてきた、
普段は、はるか彼方にある波打ち際が
気圧のせいか堤防のすぐ近くに寄ってきていた。数軒の家が被害を受けた。

自転車を買っても3年と持たなかった。
塩害ですぐ錆びてしまうのだ。

波の高い日など海岸周辺は
白い飛沫に覆われ
少し歩いて自分の腕などを軽く舐めてみたら
塩辛かった。

海は恐ろしくもあったが、また豊かさも
与えてくれた。
特に冬の波穏やかな日などによくあったのたが
大きな魚に追われたのか、大量のイワシが
打ち上げられたこともあった。
そういう時は皆でザルを持ってイワシを
拾いにいった。まだイワシは生きていて
ぴちぴちと跳ね回る。
その日の夕食の格好のオカズとなった。

海岸は、広く砂利浜で
格好の子ども達の遊び場だった。
砂利浜は砂浜とは違い足を取られて歩きにくいのだか、そういうことは、子どもだからへっちゃらで鬼ごっこや少し大きくなると
野球をした。
焚き火をしたり、焼き芋を焼いたりしたことも
あった。
海岸に流れ着く廃材を拾って友達と建てた秘密基地は10回ほど建て替えた。

ただ眼前にある海で泳ぐことはほとんどなかった。
外海のため潮の流れが早く波打ち際から急に深くなっていて遊泳禁止区域となっている。
「ほとんどない」と書いたのは実は中学生の頃2回ほど泳いだことがある。ただ波の力が近くの海水浴場の波とは段違いだった。恐怖感を覚えて以降は泳ぐことは無くなった。

釣りを覚えて、投げ釣りで
大きなシロギスを釣ったのもこの海岸だった。
今だにその時のサイズを超えるシロギスを
釣ったことがない。
また海岸の西端にある防波堤でルアー釣りを
していて1メートルほどの魚(おそらくブリ)
がルアーを追ってきたこともある。
(残念ながら見切られて逃げられた)
タコを釣って来た時は、母からとても喜ばれた。

高校生になり親に隠れて煙草を吸ったのも海岸だった。(確かマイルドセブン)
大晦日の夜、友人10人くらいで
大きな焚き火をし、酒を飲んで一晩中騒いだ。
(当時は未成年にも酒を売ってくれたのだなあ)

初めてのデートもこの海岸だったし、
初めてのキスも、この海岸だった。

その時の彼女を自転車の荷台に乗せて、
家まで送っていったこともある、
その日は満月。
よく晴れた夜は自転車のライト無しでも
堤防沿の道を走ることができた。
当時スピルバーグのETという映画が
ヒットしていて、そのシーンの中に
宇宙人であるETと少年が自転車で
満月の中を飛ぶシーンがある。
彼女とそんなシーンみたいだねと話しながら
自転車のスピードを上げて漕いだ。
あたり前だが空を飛ぶことは無かった。
でも飛べそうな気になったのも事実だった。

高校3年生のある夜
親の経営していた会社が立ちいかなくなり
進学できないと告げられ、呆然としながら
ぶらぶら歩いたのも海岸だった。
冬だった。
この夜は月もなく、かなり寒かった。
踏みしめる砂利の音と波の音を聞きながら
長い時間歩いていた。

海はどんな時にもそこにあり
刻々と日々その姿を変えた。
荒れ狂う灰色の海、穏やかな藍色の海
満月に照らされた銀色の海
眺める私の心象とは関係なく
海はただそこにあり、
そして今も私の中にある。



一年浪人して翌年再度大学を受験するため
故郷を離れて都会に出てきた。
暮らした場所は海とは無縁の土地だった。
海は休日車や電車に乗って出かける
ハレの場であり日常ではなかった。

就職して、当時付き合っていた彼女と電車で海水浴に行った。免許は持っていたが、車は持っていなかった。都市近郊の海は濁り、身体を浸す気にはなれなかった。私が知るあの海は遠くにあった。

結婚して子どもが生まれ、家、と言っても
中古のマンションだが、ともかく家を買った。
他の物件も見たのだが
妻が窓からの眺望を気に入り
僕は川の側というのが気に入った。
私の中にある海の記憶が
この場所を選んだのかもしれない。

海と川。共通するのは水。
そう私は水辺の暮らしが好きなのかもしれない。いや好きなのだ。

川も海ほど変化は激しくないが、
その姿を変える。
大雨が降れば、普段はそれほど水量は
多くないのに濁流に姿を変える。
何年か前の大雨の際は、警戒水位を超えて、
避難指示が出て、裏手の台地にある
公民館への避難指示が出された。道路は数カ所濁流によって擁壁が崩されその復旧工事は今も続いている。

川も凶暴だ。

と、同時に自然の様々な姿を見せてくれる。

春はまずカゲロウの群舞から始まる。
夥しい量のカゲロウが川で孵化するのか
夜明かりをつけると窓にたくさんのカゲロウが
張り付く。明かりに寄る習性があるみたいだ。

その、カゲロウを餌にするツバメ、そして
夕方からはコウモリが飛び交う。
またこの季節になると鯉の産卵が始まる。
一匹の雌の周りに多くの雄が群がり雌を
奪い合う。川の、あちこちに鯉達の水飛沫が上がる。
夏はナマズが動き出しいつもの定位置にいる。
夜行性で昼間は大人しくしているが
あたりが暗くなると、餌を探すため
そろそろと動きだす。
スッポンが甲羅干しのためか、大きな岩の上でじっとしている。
その春生まれたのか白鷺が数羽のまだ羽毛が黒い雛達を連れて魚獲りのトレーニングをしている。

都市河川であり、水質はそれほどいいとは言えない川だが、観察していると豊かな生の営みがある。

初秋を過ぎると、ハヤなどの小魚達の動きも活発になる。早朝や夕方、羽虫などの餌を食べるのか水面のあちらこちらにモジリが浮かぶ。

少し離れた場所では、秋になるとハゼも釣れる。
ホタテの切り身を餌にして釣ると退屈しない程度に釣れてくる。
天ぷらにして食べたが美味しかった。

秋も深まり冬近くになると
越冬準備のヌートリアをたまに見かける。
いわば大きなネズミそのものだか
愛くるしい顔をしている。
しかし動物園にいるカピバラほど
人馴れしていることはなく、近寄るとノソノソと逃げていく。

冬が近づくとカモ達がやってくる。
河川敷の枯れた芝生の上などで
群れで餌を探している。
こちらもあまり人を怖がらない。
だが一定距離以上近づくと面倒くさそうに
羽ばたいて逃げていく。

30代、激務と言っていい日が一月ほど続き
珍しく仕事が早く終わって
まだ日のあるうちに家に帰ることができた。
川にかかる橋を渡り、マンションの前の道路を歩いていた。あたりは初夏の夕暮れ。
茜色に風景が染められていた。
川沿い特有の涼しい風が吹き始めた。
すると上の方から「パーパ!」と言う声が。
仰ぎ見ればベランダで妻に抱かれた当時まだ2歳くらいの息子が、私に向かって一生懸命に手を振っていた。

この文章はリビングで寝っ転がりながら
スマートフォンで書いている。
今日は風は強いが素晴らしい五月晴れだ。
午後から外出せずベランダのプランターにミニトマトを植えたり、青じそを植えたり昼寝をしたりして過ごしている。
時刻は午後4時。5月の陽光はまだ強い。
川沿いに立つ楠木の緑が美しい。

僕はこの場所でこれからも生きていく。






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